大須は萌えているか?

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最初から面白い仕事なんて無いのデス

先日、下記のブログ記事を読んで。

「死んだ魚の眼をしたサラリーマン」という表現は、サラリーマンという立場を不当に貶める為に、無理に作られた言葉なのではないか、というのが私が言いたいことなのです。

実際のところ、サラリーマンにもいろんな立場がありまして、面白く働く立ち位置を確保した上でのサラリーマンは相当面白いです。いわゆるブラック企業になんか勤めてしまったらそりゃ大変だと思いますが、そうでもない企業であれば、サラリーマンという生き方は決して悪いものではない、と私は思います。

via: 「通勤電車で死んだ魚の眼をしているサラリーマン」は本当に存在するのか: 不倒城

サラリーマンのつまらなさを形容する表現として、「スーツとネクタイ」もありますよね。毎日没個性で窮屈なカッコしてる、って意味で使われてたりして。だいたいの場合、「死んだ魚の眼」も「スーツとネクタイ」も、最近だとプロブロガーだとかそういう方向を志向している方々からよく聞こえてくる気がします。昔だと「フリーター」と呼ばれていた方々ですかね。まぁ気持ちはわからんでもないですが。ただ、視野が狭いなぁ、というのは常々感じるところ。

上記引用させていただいた記事では『サラリーマンにもいろんな立場がありまして、面白く働く立ち位置を確保した上でのサラリーマンは相当面白い』と書かれていますが、もっと直裁的に言うならば、世の中毎朝満員電車に乗らずに済んだり、サンダル履きで出勤しても咎められるコトが無いサラリーマンというのも存在するワケです。

「死んだ魚の眼」や「スーツとネクタイ」という言葉には、サラリーマンとして組織で働く=上からの命令に服従して粛々と作業をする、っていうイメージを植え付けようとする意図が感じられますが、実際のところサラリーマンとはいっても、自分の立ち回り方やスキルの付け方によって仕事のやり方はどんどん変えていくコトも可能だったりします。

もちろん、世の中軍隊みたいな教育を施して「お前は上からの命令に粛々と従っていればいいのだ」的な空気がムンムンしている会社もありますけどね。大量に人を採用するような会社は、大勢の新人を一度に教育する必要があるからマニュアル主義に傾倒しやすいですしね。特に効率と均一性が求められる店舗型の商売しているようなところはね。

一方で、マニュアル主義ではなく、仕事のやり方をある程度社員に任せちゃう会社もあるワケです。そういう会社では、言われたコトを言われたとおりにやる社員よりも、我流でも効率よく仕事をさばける社員が評価されたりする。さらには、社員の仕事のしやすさを考慮して営業職以外は私服OKだったり、完全フレックス制により昼に出勤しても文句言われない会社もあったりします。

「サラリーマン」と一言でいっても、その文化は業界や企業によってビックリするくらい違うんですよね。大企業なんかだと、部署が違うだけでも文化がガラリと変わったりする。そういうのを十把一絡げに「サラリーマンは毎日着たくないスーツ着て、通勤ラッシュに飲み込まれて疲弊している」と言うのは乱暴すぎますわな。

ただひとつ思うのは、自分にとってやる気の出る、『面白く働く立ち位置を確保』するのにはそれ相応の努力も必要というコトです。組織の下っ端だと、どうしても「俺の言うとおりにやれ!」っていう上司の言いなりにならざるを得なかったり、会社のルールに粛々と従わざるを得ないですからね。私服OKの会社でも、ド新人がいきなり短パン・ビーサンで出勤したら多分殴られると思います。そこから経験を積み、社内で一目置かれるような立場になってくると、「ルールを変えられる」ようになってくるワケです。そうなってくると面白い。当然、その分責任も増えますが。

そういう努力が厭わしい、でも俺は自由が欲しいんだ!って人がプロブロガーなりユーチューバー目指しちゃったりするのかも知れませんが、しかしアレ言うほど自由にも見えませんけどね。常にPVを最大化するようなコンテンツを考える必要があるだろうし。PV回して貰うためにSNSで密に仲間内の交流する必要あるだろうし。そのくせ、もしそれで食えなくても誰もフォローしてくれないっていう。言うほど自由は無いのに、自己責任の部分だけはやたら大きいようにしか見えません。

プロブロガーだって、どこかの業界で経験を重ねて知識を得て、それをバックボーンにした個人メディアとしてブログを運営している人は強いですよね。Publickeyなんかはその典型かな。PV至上主義的な見出しや、炎上商法とは無縁な専門分野の記事でちゃんと稼いでいらっしゃる。これを運営している方も雑誌編集者などで経験とスキルを積み上げ、その結果としてブログで食えているワケですよね。こういうブログが主流なら、「プロブロガー」も大歓迎なんですが。

なにをするにしたって、なんの努力も無しに理想的な環境が得られるワケは無いよね、ってある意味当たり前の話でした。