巷じゃ、将棋や碁でコンピュータが人間を負かしたり、Microsoftがりんななんてものを作ったりと、AIというものがすっかり馴染んで来ておりますが。そんな折り、たまたまKindleストアで見かけたこんな本↓を読んでみたのでした。
![]() | ビッグデータと人工知能 - 可能性と罠を見極める (中公新書) |
| クリエーター情報なし | |
| 中央公論新社 |
著者の西垣通氏は、巻末の紹介によりますと東大工学部卒で日立製作所に入社、その傍らスタンフォード大で客員研究員を務めたりもして現在東大名誉教授という方。私は根っからの文系人間なんでコンピュータの原理とかはサッパリ理解の範疇を超えていますが、この本はわりと分かりやすい言葉で書かれているので理解しやすかったです。
この本はタイトルの通り、近年ニュースなんかでもよく見かけるキーワードである「ビッグデータ」「人工知能(AI)」とはどういうものなのか、それがもたらすものはなんなのか、というのをまとめたもの。ただ、どうも著者の西垣氏はマスコミが喧伝している「近い未来、AIが人間を超える!」みたいなAIの概念に対してかなりイラついているようでして、「コンピュータ(機械)」と「人間」の違いについて、これでもかと語っております。
私は不勉強ゆえ知らなかったんですが、近年レイ・カーツワイルという人が唱えているという「シンギュラリティ(技術的特異点)」という概念があるそうで。
カーツワイルは、2030年代の始めには、コンピュータの計算能力は現存している全ての人間の生物的な知能の容量と同等に達し、2045年には、1000ドルのコンピューターの演算能力がおよそ10ペタFLOPSの人間の脳の100億倍にもなり、技術的特異点に至る知能の土台が十分に生まれているだろうと予測しており、この時期に人間の能力と社会が根底から覆り変容すると予想している。
via: 技術的特異点 - Wikipedia
……お、おう。大丈夫ですか2030年まであと10年ちょいですけど。
この「シンギュラリティ」については特にムカついていらっしゃるようでして、たびたび引き合いに出してはけちょんけちょんに言っています。このシンギュラリティ、荒唐無稽すぎて最初は注目を浴びてなかったのに、「深層学習(⇒ ディープラーニング)」という手法が注目を集めるようになってからAIの可能性に対する楽観的な意見が目立ち始め、それに付随してシンギュラリティも持て囃されるようになってきたと。
というのも、ディープラーニングによるコンピュータの学習プロセスが、人間の脳の動きと似ている(ように見える)そうなんですね。人間の脳と同じような動きをコンピュータにさせられるなら、コンピュータが人間を超えるのも時間の問題というワケです。それに対して、著者はコンピュータと人間はまったく違うものだ、と言い切ります。
コンピュータにかぎらず、一般に機械とは再現性にもとづく静的な存在である。再現性を失ったら、それは機械でなく廃品だ。これに対して、生物とは、流れ行く時間のなかで状況に対処しつつ、たえず自分を変えながら生きる動的な存在である。この相違は途方もなく大きい。
(中略)
こう述べると、「機械学習も、流れ行く時間のなかで賢くなっていくではないか」と反論が来るかもしれない。だが残念ながら、たとえ学習する機械でも、一般の機械と事情はまったく同一である。プログラムが少々抽象的で複雑になっているだけだ。機械学習の場合、処理の結果におうじてプログラムが自動的に変更されるのだが、その変更の仕方はあらかじめ厳密に決まっている。深層学習だろうと何だろうと、設計者とプログラマが「プログラム変更の仕方」をふくめて事前にプログラムを作成しているのである。
まぁ、そりゃそうだよなぁ。いくら途方も無い処理能力をもったコンピュータでも、その動作するロジックはあくまで予め設計者が決めた範疇に留まるワケで。SFなんかだと、いつのまにかコンピュータが設計者の意図を超えた動作をするようになって……なんて展開もありそうですが、それは単なるバグだろっていう。
コンピュータはあくまで過去に積み上げられたデータから、決められたプログラムに従って論理的に判断を下すもの。なので過去に蓄積されたデータや、決められたプログラムの枠外にあるものは関知できない。ただ近年はスマホの爆発的普及や、IOTの普及により「ビッグデータ」が収集されるようになり、またクラウド上にある無数のコンピュータの並列処理により一昔前に比べて桁違いの演算処理が可能になり、よりその判断の精度を上げてきたのが今のAIってワケですね。
だからぱっと見、AIがどんどん人間に近い存在になっているように見えるけど、でもそれは、過去に人間が積み上げてきた膨大なパターンを学習してそのように振る舞っているだけであって、どれだけ高性能化しようとも「今起きていること」を瞬時に、自律的に判断する人間の思考とはまったく違うものだ、と。これは頷ける話です。
もちろん、ビッグデータやAIを活用することで可能になるコトというのもたくさんあるハズで、そこは著者も否定してません。ただ、「AIが人間を超える」という考え方は間違っている、というお話ですね。将棋や碁なんかは、まさに過去の膨大なパターンの蓄積がモノを言う世界であり、むしろコンピュータの得意分野。ただ、現実世界の様々な事象は、過去に例の無いようなものだったり、ルール自体が改変されていく中で起きるものだったりするワケです。そういった世界の思考や判断をすべてAIに任せられるか?といったらそりゃ答えはNoでしょうね。
結局、コンピュータにできること・できないこと、得意なこと・苦手なことを見極めて、それをうまく使いこなしていくスキルこそ肝要なのでしょう。
ところで余談なのですが、私初めて「ディープラーニング」という言葉を聞いたときには、何か卑猥な意味だと勘違いしておりました。大変失礼いたしました。
