大須は萌えているか?

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SNSやってる人にはオススメの2冊『ファスト&スロー』と『FACTFULNESS』

しばらく前に読み終えた本の話。どちらの本もWEBを眺めてて知ったものなんですが、このSNS全盛の時代にあって非常に示唆に富む内容の本でした。まず『ファスト&スロー』。

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
リエーター情報なし
早川書房
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
リエーター情報なし
早川書房

この本の著者、ダニエル・カーネマンは米国在住の心理学・行動経済学者で2002年にはノーベル経済学賞を受賞している人。私は当然ながら(?)この方を前から知っていたワケではなく、確かブログ界隈で有名なふろむださんが書いた本(⇒ 人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている | Amazon)に興味が湧いていくつかのレビューを眺めていたら、「この本は『ファスト&スロー』が種本だ」と書いている人がいて、ほんならその種本のほうをまず読んでみようかしら、と買ってみたのでした。

上下巻でそこそこボリュームがあるので読み切るのに少々時間が掛かりますが、一般向けにわかりやすく具体的な事例を交えて書かれているので、私みたく心理学も経済学もぜんぜん知らん、という人間でも興味深く読むことができる内容。ちょいちょい耳にするコトもある「認知バイアス」の研究でも知られている方で、本書でも人間の記憶や意志決定がどのようなプロセスで行われているのか、そこにいろんなバイアスがどのように作用しているのか、なんてコトが書かれています。

あともう一冊、『FACTFULNESS』。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
リエーター情報なし
日経BP

こちらの本を知ったのは以下の記事。

「ファクトフルネス」は、2019年に日本人がまず真っ先に読むべき1冊だと言えると思います。|徳力基彦(tokuriki)|note

この本の著者、ハンス・ロスリングはスウェーデン出身の医師で、アフリカやアジアの貧困地域における調査研究を行いその実情を知る一方で、世界に広がるそうした地域へのイメージが事実とあまりに乖離していることを訴えています。本のタイトルにあるように、冷静に事実を確認しよう、というのがこの本の一貫したテーマ。

著者が世界各地で講演を行う際に、世界の変化に関する三択クイズ(温暖化だとか、ワクチンの摂取率だとか)を出してみると、正解率が1/3を余裕で下回ってしまう(これを「チンパンジーにすら勝てない」と著者は表現している)そうな。なぜそんなコトになってしまうかというと、大抵の人は「世界はどんどん悪い方に向かっている」という思い込みにハマってしまっているからで、これは正しい知識に触れる機会があるハズの人でもそうなってしまう、と。

ではなぜ「世界はどんどん悪い方に向かっている」と思い込んでしまうかというと、「ドラマチックすぎる世界の見方」が原因だと言います。

わたしのクイズで、最もネガティブで極端な答えを選ぶ人が多いのは、「ドラマチックすぎる世界の見方」が原因だ。世界のことについて考えたり、推測したり、学んだりするときは、誰でも無意識に「自分の世界の見方」を反映させてしまう。だから、世界の見方が間違っていたら、正しい推測もできない。

(中略)

わたしは何十年も講演やクイズを行い、人々が目の前にある事実を間違って解釈するさまを見聞きしてきた。その経験から言えるのは、「ドラマチックすぎる世界の見方」を変えるのはとても難しいということ。そして、その原因は脳の機能にあるということだ。

via Kindle版『FACTFULNESS』 イントロダクション より

そして『ファスト&スロー』では、人間は「自分の見たものがすべてだ」と思い込みやすいという性質が指摘されています。

「自分の見たものがすべてだ」となれば、つじつまは合わせやすく、認知も容易になる。そうなれば、私たちはそのストーリーを真実と受け止めやすい。速い思考ができるのも、複雑な世界の中で部分的な情報に意味づけできるのも、このためである。たいていは、私たちがこしらえる整合的なストーリーは現実にかなり近く、これに頼ってまずまず妥当な行動を取ることができる。だがその一方で、判断と選択に影響をおよぼすバイアスはきわめて多種多様であり、「見たものがすべて」という習性がその要因となっていることは、言っておかなければならない。

via Kindle版『ファスト&スロー(上) 』 第7章より

人間が複雑に情報が入り交じる世界でそこそこ問題のない判断を繰り返しできているのは、自分の見た情報の整合性がとれていればそれでオッケー、と見做しているから、という話。人間が自分の判断に自信が持てるかどうかは、その判断を下すためにどれだけ情報を集めて吟味をしたか、ではなく、自分から見えた情報に整合性があるか否かで決まる、というコトです。しかも、集めた情報が少ないほうがむしろ整合性があるように感じられ、それで満足しちゃうというんですね。

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまのあったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、盤石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。

via Kindle版『ファスト&スロー(上) 』 第19章より

考えてみたら、日本で言う高度経済成長期以降、ざまざまな公害や環境問題が噴出するようになり、それが大々的に報じられてきた影響もあってその世界観をずっと引きずっている人も多いのかな、という気がします。てか、私もわりとそんな感じです。世界がどんどん良くなっている、なんてニュースはなかなか出てこないし、というか仮に報じられていても意識に登らないし、そうなれば「世界はどんどん悪くなっている」という認識の方が確かに自分の中で整合性は取れているんですよね。

また、そうした整合性を重視する性質は、それと相反する事実を無視しやすいというコトにも繋がります。そう考えると、「ドラマチックすぎる世界の見方」というのも人間の性質に根ざしているものであり、知識による啓蒙だけではそうそう覆せるモノではない、というのもなんか分かる気がします。

SNSで作り話めいた内容のモノがやたら流布されていたり、フェイクニュースが蔓延したりするのも、こうした人間の心理によるものが大きいということでしょう。てか、昔から人間はそういうものだったんだけど、それがより簡単に拡散してしまうツールが登場してきてしまった、というコトでしょうね。

SNSで自信満々に喋っている人の言っているコトをよくよく調べて見るとデタラメだったとか、ひどく偏見に満ちていたなんてコトもよくある話ですが、こういうのも人間の脳の仕組みと密接な関係があるコトなのでしょう。

世の中のだいたいの事象はいろんな要素が絡み合った結果として起きているのだし、そこには多くの偶発的な事象も含まれているハズ。でも、それを受け止める我々は極力単純でわかりやすいストーリーに置き換えようとするし、いくつかの情報を元にストーリーができたらそれで満足してしまう。んで、なにか問題が発生しているときにはその「犯人捜し」が始まり、その犯人とされた人物に対する集団リンチじみた炎上事件が起きるのもよくある話ですね。『FACTFULNESS』では、これを「犯人捜し本能」と名付けています。

わたしたちは犯人捜し本能のせいで、個人なり集団なりが実際より影響力があると勘違いしてしまう。誰かを責めたいという本能から、事実に基づいて本当の世界を見ることができなくなってしまう。誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。一発食らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。誰かが悪いと責めることで、複雑な事実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう。

via Kindle版『FACTFULNESS』 第9章より

人間、複雑な事象を単純化して捉えようとする脳の働きがあり、そして日常生活の多くの場面ではそれが上手く機能しているため、どうしても「複雑な事実」というものを見ようとは思いませんよね。私は極力見たくありませんめんどくさいし(ホンネ)。ただ、一般公開しているブログやSNSでなにかを発信するときくらいは、自分が今どういう認知をしているのか、というコトを軽くでもいいから意識するべきかな、と感じました。

そういや、『ファスト&スロー』では「ハロー効果」についても触れられているんですが(好ましく感じられる相手の振る舞いはなんでも好ましく感じられ、嫌いな相手の振る舞いはなんでも嫌に感じられる心理効果)、一度「犯人」とされてしまうとこのハロー効果によるブースト効果も大きそうだなー、と。例えば、安倍総理嫌いな人ってもうそのあらゆる発言を毛嫌いする的な。

この2つの本を読んでいると、「ああこういうのWEBでもよく見かけるやつだな」という思いと、「ああこれ身に覚えがあるわ……」という思いが交錯しましてね、いやほんとまず自分自身も人間である以上思い込みの罠から自由になるコトは無いし、であればせめて何かを発信するときは、そういう人間の認知機能というものに少しでも自覚的になるしかないのかな、と。

あとは、自分は間違いを犯す生き物であると素直に認めるコトなんでしょうね。

謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と「知りません」と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。

via Kindle版『FACTFULNESS』 第11章より

この『FACTFULNESS』の一説は金言ですね。自分を含めて、人間がどのようなメカニズムで判断を下しているのかを知る、そしてそのメカニズムに逆らうことの難しさを知る。まずはそこから始めれば良いのかなと。要は、知らないことをさも知っているふうに言わない様になれれば、それだけでも大したもんなんです。きっと。

どちらも、SNSやってる人ならばどなたにもオススメできる本でした。