最近読んだ新書×2冊の話。まず森博嗣『集中力はいらない』。
![]() | 集中力はいらない (SB新書) |
| 森 博嗣 | |
| SBクリエイティブ |
本のタイトルは少々過激ですが、著者はべつに集中力を全否定しているワケではないです(むしろ集中するコト自体は大事だと言っている)。ただ、ひとつのことにずっと打ち込み続けるという意味での「集中」に対しての疑問を呈している、という内容。なお、実は私、森博嗣の小説は1冊も読んだコト無かったりするんですが、それはさておき。
それともう1冊、池上彰『わかりやすさの罠』。
![]() | わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方: 池上流「知る力」の鍛え方 (集英社新書) |
| 池上 彰 | |
| 集英社 |
わかりやすいニュースの解説で人気を博している著者がこんなタイトルの本を出しているのが面白いところですが、そういう「わかりやすい解説」だけを見聞きして満足してしまう人が多いコトに対して警鐘を鳴らすような内容の本。
それぞれ内容はまったく異なる本なんですが、それぞれを読み終えてみると共通するテーマがあるなーと思いまして。それは、「多様な視点から物事を眺め、考える」ことの重要性を訴えている、というコトです。
『集中力はいらない』では、1つのコトに思考や視点を集中させ続けるのではなく、いろんな場所、いろんな視点を持つようにした方がひらめきや発想が生まれやすい、という著者の実体験が書かれています。
最初のうちはたしかに焦点が絞られ、集中している思考といえるものの、問題が解けない(つまりその一本道では前に進めなくなる)ため、別の道はないか、ほかに手はないのか、なにか使えそうなものはないか、同じような傾向がどこかにないか、とだんだん思考が発散していく。そういった「きょろきょろ辺りを見回す」思考を長時間続けたあと、突然、なにも考えない空白の場に置かれたときに、発想は生まれる。
(中略)
それはどんな頭(あるいは思考法)なのか、といえば、ものごとにのめり込まない、あるものを見ていても常に別の視点から見ようとする、同時に逆の立場から考える、自分の抱いた感情や自分の意見に対して、すぐに反論を試みる、常識的なもの、普通のものを疑ってかかる、などなど、まとめれば、多視点、反集中、非常識、もっと言えば、「天の邪鬼な頭」ということになる。
via Kindle版『集中力はいらない』 第1章より
これは自分も実感としてわかる部分はあります。仕事上の問題に直面したときって、そのことを集中して考えてもさっぱりう良い解決方法が思い浮かばないコトが往々にしてありますが、そういうときって一度その問題から離れて別の作業をやったりして、頭を一度リセットしたあとにふと解決策が思い浮かんだりするんですよね。
ひとつの問題について考え続けていると、だんだん思考の袋小路に入っていって、同じ角度からしか問題を考えられなくなっていく。そこで一度頭をリセットしてもう一度問題を眺め直すと、違う視点から問題を観察するコトができるようになり、結果として解決方法が見いだせるようになる、っていう。悩んだときは他人に相談した方が良いっていう人も居ますけど、それも「別の視点を取り入れる」というコトですよね。
池上彰は他の著書でもたびたび言っていると思いますが、新聞はなるべく複数紙を読み比べたほうが良い、と主張しています。
社説の内容はもちろん、同じ出来事であっても、主要各紙がそのニュースをどのように取り上げたのかを比べれば、「こんなにも違うとは」と驚くはずです。記事の大きさや見出しの言葉の使い方、掲載された紙面が一面かそれ以外かといったことから、「あれ、他の新聞は一面トップなのに、どうしてこの新聞は社会面でしか扱ってないんだろう」など、それぞれの新聞の姿勢がおもしろいほど見えてきます。
(中略)
そもそも、新聞は民間企業が発行しているものですから、どんなに偏っていても、別に法律違反ではありません。公共の電波を使うテレビやラジオは、放送法により中立公正を求められますが、「新聞紙法」などという法律があるのは、独裁政権が支配する国家だけです。
つまり、「この新聞は偏っている」などと糾弾するのはおかしな話なのです。新聞である以上、偏っていて当然といえます。偏っているのはあたりまえであり、それぞれの違いをおもしろがるくらいの冷静な視点が欲しいものです。via Kindle版『わかりやすさの罠』 第三章より
これも言ってみれば「多様な視点を持つ」ことを重要さを訴えていると言っても良いでしょう。また、それぞれの各紙の報じ方について「偏向している!」と怒るんじゃなくて、その違いを冷静に見比べてみようと言ってますね。『集中力はいらない』でも、多様な視点を持つコトは冷静さを保つことに繋がるといったコトが書かれてます。いろんな視点からのものの見方をまずフラットに受け止める、そしてそこから考えていく、というコトですね。
また、森博嗣は、なにか決断を求められるような場面以外では「1か0か」という二択で物事を考えるような態度には反対しています。
今すぐどちらかを選んで行動しなければならない場合を除けば、常に両方の意見を持ったまま、裁決をせず保留する方が良い。賛成も反対も、自身の中にいずれもある。とりあえず、今は六対四で、こちらかな、という程度の自覚で十分だろう。そうして、新しい情報が入ってくれば、そのつど柔軟に意見を修正する。一度決めたら、もうずっとそのまま、という頑固な石頭は、老化と言われてもしかたがないだろう。相手の意見を聞くときも、自分の意見を誇示せず、常に影響を受けようと積極的に耳を傾けることが需要であり、こうでなければ、他者に学ぶこともできないし、議論というものの価値もなくなってしまう。
via Kindle版『集中力はいらない』 第1章より
本の中で森博嗣は、SNSは萌芽期に一部囓っただけで、あとは一切やらないと決めたと言ってます。上記引用部分を読んでいると、なんかその気持ちは分かってしまうところはあります。SNSだと、右や左の思想そのものをアイデンティティにしているような人がゴロゴロいたり、中立的な(悪く言えばどっちつかずな)意見ではなく「良い・悪い」をはっきりさせた主張ばかりが目立つ構造があったりして、まさに「集中的な思考」が悪目立ちしてしまっているのは否めません。
そもそもが、SNSで積極的に情報を発信したがる人というのは、他人の意見に耳を傾けるのではなく「一言言わせろ」というタイプが多いワケですし、そうなるともう「自分の意見を曲げたら負け」みたいな感じになってしまい、当然ながらまともな議論など成立するハズもなく、だいたいは不毛極まりない罵倒合戦になってますからね。
池上彰もインターネットに頼り切った情報収集にはかなり懐疑的な態度を取っており、それはやはり思考や視点が集中してしまうことを警戒しているからなんですよね。
そうしたネットの仕組みでは、SNSで目にするのは自分と同じような意見ばかりになりがちです。それにどっぷり浸かってしまい、現実には他の意見を持っている人も大勢いるのに、「世の中はみんな自分と同じような考えに違いない」などと、勘違いしている人もよく見かけます。その結果、違う意見がそこに混じると、「なるほど、そういう考えもあるんだな」と冷静に受け止めることができず、「自分の意見こそが正しい」とばかりに、過剰に攻撃的になったり、排除に走ったりしてしまうのです。
via Kindle版『わかりやすさの罠』 第二章より
森博嗣と池上彰のSNSに対する認識はかなり近い感じしますね。そして、2人ともSNSはやっていないっていう。ネットにはいくらでも情報が転がっており、その気になれば多様な視点、多様な思考に触れられるハズなんですけど、確かにTwitterをずっと眺めていると思考がタコツボ化していくような感覚は理解できちゃいますね。タイムラインで回ってくる情報はどうしても「刺激的」なものが多くを占めるし、そういうものを立て続けに見せられてしまうとつい感情的になってしまうし、感情的になると視点が一カ所に集中してしまう。
そこに建設的な議論が成立する余地はないし、自分自身の思考はどんどん凝り固まっていく。
それでもまあ、個人的にはSNSがまったくダメなものとは思ってません。中にはユニークな視点を提供してくれる人もいますし、SNSのデメリットたる部分をわかった上で、適当な距離を置きつつ触れる分には面白いものでしょう。適当な距離を置く、ってのが大事なところですが。
Twitterでバズったりして、その感覚が病みつきになっちゃってどんどん入れ込んでしまうと悲惨ですね。SNSの人気を自分のアイデンティティにしてしまうと、それこそ思考がそこに集中してしまって、ヘイトスピーチをエスカレートさせて仕事を失うだとか、過激動画をアップして逮捕されるだとかってコトになるんでしょう。
個人的にも、SNSで「良いな」と思える人というのは、やはり複数の視点が持てる人ですね。他人からの意見にも耳を傾けられる人。自分の主張をゴリゴリまくしたてる一方で、他人からのツッコミには「うるせーばーか」みたいな感じの人はちょっとね。まあクソリプばっか送る人というのも世の中には居るみたいなので、一概には言えませんが。
ともあれ、世の中様々な視点があり、様々な考え方があり、そして世の中の事象というのは視点によって見え方が全然変わってくる。それらはどれが正解、と断定できるようなものではなく、さまざまな要因が絡み合っている。まずはそこを意識し続けるべきなのかな、と。世の中のいろんなニュースをズバズバ断定口調で斬っていくような人の意見はわかりやすいし、それが自分の中で思い描く世の中のイメージと重なれば、それはとても心地良く心に響くとは思うんですが、そこで視点を固着させてはダメ。
日頃、ついついTwitterやはてなブックマークを眺めて時間を潰してしまう自分自身への戒めとしても、有益な2冊でありました。ていうか、情報の密度という意味ではネットって実は効率がめちゃくちゃ悪いよね……。

