大須は萌えているか?

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石垣にも「萌え」はある ~赤木城と新宮城、そして青岸渡寺をぶらぶら

しばらく書きそびれていた、9月のお出かけネタ。

9月の中頃くらいに、例によって「続日本100名城」巡りに精を出すうちのかーちゃんが「赤木城へ連れて行け」と宣うので、ドライブがてら出掛けてきました。「赤木城」なんてぜんぜん聞いたこと無い城だったので、どこにあるのかと思ったら三重県南部の熊野市。遠いね!(遠くてパックツアーもなかなか無い場所だから、連れて行けと言われるのだけど)

赤木城

んで、まず足を運んだのは熊野市の中心部から国道311号を辿ってちょっと山の方へ入っていったところにある、紀和鉱山資料館。なんで鉱山資料館かというと、ここに続日本100名城のスタンプがあるからだそうな。

中の展示物を見るには入場料が必要なんですが、スタンプを押すだけならお金は掛かりませんでした。そもそも、こんなとこに鉱山があったというのも知らなかったんですが、あとでググってみると、この資料館のすぐ近くには今も選鉱場の跡や坑道が残っており、保守用のトロッコ電車もある模様。なんかこれはこれで面白そう……。

資料館の前には、昔使っていたと思われるトロッコの車両なんかも展示されています。

鉱山資料館から赤木城址はまた少し離れているんですが、位置関係的には先に赤木城址行っても良かったかもしんない。なお、有名な丸山千枚田もすぐ近くです。

赤木城を築いたのは、後に築城の名手と謳われる藤堂高虎天正年間、秀吉による紀州攻めのあと、この地を任された秀吉の弟・秀長が在地勢力の一揆の平定を高虎に命じ、現地に赴任した高虎がせっせと築城したみたいですね。建物はなんにも残ってませんが、石垣はかなり残ってます。

城の一角には鍛治屋敷があったともされ、さっきの鉱山との関係も窺えますね。

全体的にそこまで大きな城、というワケでは無いんですが、山の地形を利用して曲輪が作られている感じ。そういう意味ではいかにもな山城。

主郭は一段高い石垣の上にあり、そこに攻め入ろうとすると西郭か東郭を突破して、さらに折れ曲がった虎口を抜けていなかくてはなりません。小さいながらも、守りを意識した実戦的なお城なんですね。ただ、南郭だけは道路に面した一番低い場所にあり、ここは生活の場となっていたようです。

ちゃんと日常の利便性まで考慮されているとは、なかなか良い城ですねここは(?)。

この城から少し離れた田平子峠には、一揆を起こした勢力が斬首されたという刑場跡もあるようですが、それだけこの地域の独立性が高かったというコトなんでしょうね。

新宮城

赤木城を見物したあとは、さらに南へ向かい、和歌山県の新宮へ。ここにある新宮城も、続日本100名城のひとつなんだそうで……。そういや、新宮に入る直前、熊野川を渡る橋から左手に石垣のようなものが見えるなーと思った記憶がありますが、それが新宮城だったんですね。

この城を築いたのは紀州藩主だった浅野幸長重臣・浅野忠吉で、一国一城令で一度は廃城になっちゃったものの再度の築城が認められ、1618年に再度の築城に取りかかるも、福島正則が改易となった影響で浅野家が広島に転封となり、そのあとを継いだ水野重央(紀州徳川家の祖・徳川頼宣の附家老)が完成させたという城。その後は明治まで、水野家が代々城主を務めたみたいです。

新宮城は別名「丹鶴城」とも呼ばれ、城址は「丹鶴城公園」として整備されております。とりあえず公園の駐車場のクルマを駐め、階段を上って軽く周辺の写真を撮っていたところ……

近くにいた初老の男性に、「地元の方ですか?」と声をかけられたんですね。「いや、観光で来ました」と答えると、「良ければ、自分にこの城を案内させてもらえませんか?」と。この方(いちおう仮名で「Aさん」とします)、なんでも熊野市で小学校の教諭をされている方で、その傍らで市の文化財専門委員も務め、赤木城などの地元の城や、ここの城主だった水野家の研究などもされてるとのこと。んで、頼まれて今度団体客を相手にしたお城のガイドをするコトになっていて、そのリハーサルに付き合ってもらえまいか、というコトみたいで。

面白そうだったので承諾したところ、「じゃあまずこちらへ!」と石垣の下の細い道を進み、出丸へと案内されました。熊野川に向けて、突き出たような位置にあるところですね。

そして「ここを見てください」と言われて見てみた出丸の本丸側に向いてる石垣のフチ、角のところがちょうど何かが引っかけられるような形状になっています。

「これがね、『萌え』なんですよ!」

……今なんと仰った?

そしてさらに、出丸の石段を登って本丸側の石垣を見てみる。

「この部分、なんかおかしくありません?」

言われて見ると、写真真ん中の部分は明らかに後から別に積まれた石垣ですね……!つまり昔は、石垣のこの部分はくり抜かれたような形になっていて、出丸との間に渡し通路があったというコト。しかも、屋根付きの通路だったようです。うーむ、これは言われなきゃ気付かないポイント。

出丸から下を見下ろすと、熊野川に面したところにも施設の跡が見受けられます。ここは「水の手」と呼ばれる船着き場の跡で、ここから備長炭を出荷して藩の財源にしていたという話。

出丸の中をよく見てみると、何やら丸い木のあとのようなものも。「これ電信柱の跡なんですよ、こんなところに立てやがってね、ホンマに……」と憤るAさん。

本丸の一角には、「丹鶴姫の碑」があります。

丹鶴姫は源為義(頼朝の祖父)と熊野別当の娘との間に生まれたとされ、この地で暮らしていたことから「丹鶴城」という別名が生まれたんですね。

本丸天守台の裏手は急な斜面になっていますが、昔ここにはなんとケーブルカーが設置されていたんだとか。

「ここに滑車があるでしょ、これケーブルカーの名残ですよ」と言われて見てみると、確かに城址にはそぐわない滑車の残骸がある。

ケーブルカーの軌道は100メートル程度しかなく、日本一短いケーブルカーとも言われたようですが、なんでこんなもん設置したんだ……と思ったりもして。なんでも、明治の廃城後に一度民間に払い下げられたようで、建物は全部取り壊され、昭和になってから旅館やビアガーデン(!)が作られたようなんですね。それで、少しでもアクセスを良くするためにケーブルカーまでも設置してしまったようです。

古墳なんかを見てても思いますけど、「歴史的な建造物を大切にしましょう」っていう価値観が日本に芽生えたのって、つい最近の話なんじゃないですかね?

なお、旅館は本丸の下にある「鐘ノ丸」に建てられていたようなんですが、旅館の名前は「二の丸」だったそうです。……適当にも程がある!鐘ノ丸付近には今も昭和的な感じの庭園っぽいものが残されており、当時の風情を楽しむコトができます(?)。

鐘ノ丸から松ノ丸、さらに降りていくと大手門があったと思われる場所に出ます。ここも石垣が一部崩れて積み直されたような感じになってますね(写真左手)。

そして、Aさんが「これがこの城最大の萌えポイント」と仰っていたのが、ここの石垣の内側にあります。

えーと、写真の右寄り、タテに筋みたいなのが走っているの、おわかりになるでしょうか……。これがまさに、ここに門があった痕跡だ、というワケですね。これも、言われないと全然気付かないヤツや……!

現在の大手道は、この門を過ぎて左に大きく曲がり、そのまま真っ直ぐ県道に降りていく形になっていますが、Aさんの話だと昔の大手道は県道方面に降りていかず、県道と並行するように延びていたはずだと言います。それってつまり、熊野速玉大社に向かって真っ直ぐ延びる形になるんですね。確かにそれは、なんか納得できる話。

いやしかし、思わぬガイドをしていただけたおかげで、新宮城は非常に楽しめました。そして石垣にも「萌え」があることを知りました。ていうかAさん、あれは完全にガチオタですわ。やっぱり、学者というのもその道のオタクなんだよね、うん。この先生に歴史を学ぶ子供たちはさぞ楽しみながら学べることだろう、と思いつつ、でもひょっとしたら一部の子供はドン引きしているかもな……なんて思ったりしたことはそっと胸の内にしまっておこうと思います。

ちなみに、「続日本100名城」のスタンプはここからクルマで数分のところにある「新宮市歴史民俗資料館」にあります……が、ここではスタンプ押すにもちゃんと入場料払わないと駄目だったみたい(自分はクルマの中で待ってた)。

那智大社青岸渡寺

そしてこれにて家に帰る……のではなく、さらに南に向かって那智大社へ。久しぶりに来たなここ。

なんでここまで来たかというと、うちのかーちゃん最近になって西国三十三ヵ所巡りを始める気になってしまったらしく、その第一番札所がこの那智大社の隣にある青岸渡寺というワケです。なお、このときは三連休の中日だったので、もう日が傾きつつある時間でもクルマが一杯きており、那智大社社務所の駐車場に辛うじて駐められたという有様でした。(社務所の駐車場も有料で駐めさせてくれる)

青岸渡寺もご覧の混雑ぶり。

御朱印も行列ができている有様でしたが、私はその間に三重塔まで行き、

せっかくなので300円払って塔に登って那智滝の写真を撮ったりしたのでした。

那智滝の目の前にある飛瀧神社まで行くのも手だったんですが、そこまで降りてまた登ってくるのがさすがに辛そうだったので止めました。そのうち、泊まりがけで熊野古道歩いたりするのも面白そうだなーと思ったりもするんですけどね、できれば空いてるときが良いなあ……。

熊野三山も愛知から日帰りで行ける場所ではあるんですけど、やっぱりこの距離を往復するのは結構疲れる。紀伊半島は広大だわ……。