大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

本多勝一『日本語の作文技術』を読んでみた

最近、ふと思い立って本多勝一『日本語の作文技術』という文庫本を読んだりしてました。

日本語の作文技術 (朝日文庫)
リエーター情報なし
朝日新聞出版

この本、実は十数年前に一度読んでいるんですけどね。ただ、ふと今になって読み返してみたくなったものの、手元にもう残ってなかったので再度購入した次第。奥付を見ると第1刷が1982年1月となっているんで、今まで30年に渡って重版され続けていることになります。

本多勝一っていうと朝日新聞時代にはずいぶん物議を醸すようなルポを書いてたり、その後『週刊金曜日』の編集委員をやっているような人なので、人によっては名前聞いただけで拒否反応を示したりするかもしれませんが、そーゆーのはさておいてこの本はタイトル通り「日本語の作文技術」の本。世の中には文章の書き方を説いた様々な本やらWEBサイトやらがありますが、その中でも非常にわかりやすくて役に立つ部類に入ると思います。

なんでかとゆーと、「わかりにくい文章」の実例を数多く挙げ、この文章がわかりにくいのはなぜか、どう直せばわかりやすくなるのかを端的にまとめてあるから。わかりにくい文章の実例→わかりやすく直した例→なぜわかりやすくなったかを検証しルールを導き出す……という流れで説明されているので、どうしてそのルールが必要なのかが納得しやすい。

あと、この本は10章で構成されていますが、一番肝心なコトはだいたい1~4章に凝縮されています。ここに書かれているコトを押さえておくだけでも、かなり文章が読みやすくなる。ちなみにこの4章までの内容というのが、

  1. なぜ作文の「技術」か
  2. 修飾する側とされる側
  3. 修飾の順序
  4. 句読点のうちかた

という内容。いや修飾語とか句読点とか今更だし……と思われるかもしれませんが、結局こういう基礎をどれくらい意識して文章を書けるかが重要なんだろな、と。この本で挙げられている悪文の例には朝日新聞に掲載された記事も含まれており、プロの新聞記者でもわかりにくい文章を書いてしまうコトが往々にしてあるってのがよくわかります。文章を書くプロでもそうなんだから、ましてや私みたいな素人では……。

3章の終わりには修飾語の語順に関する4つの原則がまとめられており、修飾語に関してはこれをきちんと覚えればぐっとマシな文章が書ける、はず。

  1. 節を先に、句をあとに。
  2. 長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。
  3. 大状況・重要内容ほど先に。
  4. 親和度(なじみ)の強弱による配置転換。

朝日文庫『日本語の作文技術』 71ページより

また、4章のテーマとなっている句読点のうちかたについては以下の二大原則があるとしています。

第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による。)

第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。

朝日文庫『日本語の作文技術』 104ページより

この二大原則に加えて『「思想の最小単位」としての自由なテン』もあるそうですけど。

ただ、これらの原則だけポンと見ても恐らく「なんのこっちゃ?」という話になると思うので、興味あれば本を読んでみてください。文庫なんで安いし、図書館にもたぶん置いてあるでしょう。一度読んじゃえば、あとはこの原則を見返せば内容を思い出せるんじゃないかと思います。

もちろん、1~4章よりあとの章にも興味深いコトがいろいろ書かれているので、時間があればぜひ。後半になるにつれ、ちょっと応用編になっていきます。

個人的には、8章の『無神経な文章』がおすすめ。筆者はこの章の冒頭で「紋切り型の表現」の多用を痛烈に批判しています。手垢の付いた表現を乱用してしまうコトで、文自体が笑い出してしまうと。なにか気の利いた表現、面白い表現を書こうとして紋切り型表現に頼ってしまうコトってありがちですね。

ネットスラングなんかも紋切り型表現の一種だと思いますけど、ブログの文章を書いているとついついそういうの使ってしまいがち。私も「どうみても○○です本当に~」とか「その発想はなかった」とか無意識に使ってます。ええ。

その上で「文自体が笑う」とはどういうコトか、章の中盤でもう少し具体的に触れています。

おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではない。美しい風景を描いて、読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら「美しい」と感嘆しても何もならない。美しい風景自体は決して「美しい」と叫んでいないのだ。その風景を筆者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するのでなければならない。

朝日文庫『日本語の作文技術』 213ページより

これは確かに感じるコトがあって、「さあ読者を面白がらせるぞ」って気合いが入りすぎちゃってるブログって、読み始めはまだ良いんですけど、だんだんクドくなってきてうんざりしちゃうんですよね。筆者が「ほら面白いでしょ?面白いでしょ?」って絶えず問いかけてきているような気がして、うるせーバカとか思っちゃうんですね。

そこいくと「@nifty:デイリーポータル Z」なんかは良くできてるなぁと。ここの記事って、ちゃんと読者が「面白さの追体験」ができるようになってるので。

あとは以前にもちらっと触れたコトありますけど、やたら「神アプリ」とか連呼してるようなiPhone系サイトとかね。もう記事タイトルから「神」とか叫んじゃってるんだからスゴイ。こういうのもたまになら良いんですけど、現代のWEBでは神が氾濫しすぎてしまいました。

しかしまー、1~4章からの内容も含め、この本に書かれているコトを私もほとんど実践できてないところが悲しいワケですが。……だからまた読み返そうと思ったんですけどね?