大須は萌えているか?

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おっさんから見た「戦闘美少女もの」の良さ

ベストアンサーがスゴイと話題になっていた、Yahoo!知恵袋の質問。

どうして最近女に戦わせるアニメが非常に増えたのでしょうか?

オタクは他力本願だからですか?

via: どうして最近女に戦わせるアニメが非常に増えたのでしょうか? オタクは他力本願… - Yahoo!知恵袋

ベストアンサーがどうスゴイのかはリンク先を見ていただくとして。

「女に戦わせるアニメ」と言ってもいろいろありますが、とりあえずなんとなく深夜枠の「戦闘美少女もの」のコトを指しているのだと解釈した上で話を進めます。まーなんか上記リンク先の回答とか、Wikipediaで「戦闘美少女」などと検索してみるとなんかそれっぽい解釈が紹介されていたりしますが、ここでは一人のおっさんとしての見解を。

そもそも、「戦い」をモチーフにした作品というのはアニメやマンガにおける王道のひとつであり、廃れるコトの無いジャンルだと思っています。闘争というのは人間の本能だとも思うので。当然ながら私も物心ついたときからずっとそういう作品をあれこれ見続けているワケで、その流れの先に「戦闘美少女もの」があるんですね。

子供の頃は普通のヒーローもの特撮や少年ジャンプの主人公なんかに自己投影したりしてた子供だったワケですよ、私も。ただ当然、年齢を重ねるにつれアニメの主人公より自分のが年上になってしまうワケで、自己投影がし辛くなってくるワケです。

そうなるとだんだん、主人公らに自分を重ねて見るのではなく、傍観者的な立場で物語を見るようになる。自ら戦うのではなく、司令官よろしく主人公たちの戦いを見守るポジション。

ただね、戦う主人公たちが男だと、長年の習慣でそこに自分を重ねようとしちゃうんですよ。んで、「なんかしっくりこないなー」となる。青年ならまだ良いんですが、少年だとどうにもしっくりこない。おっさんになっちゃうと、どうしても少年とは価値観が変わっちゃうから。(いや主人公に自己投影出来なくなった時点でアニメ卒業しろよ説もあるんですが問答無用で却下です)

そこで戦うのが少女だとどうなるか。さすがにうっかり自己投影することがなくなる。どこかで「男のジェンダーロールに疲れたオタクが少女に自己投影して云々」みたいな言説も見かけたことありますが、私に関してはそれは無いですね。男であることには別に疲れてないし。

でもそれにより、「見守るポジション」に徹するコトができるワケです。それに、どうせ見守るなら野郎より可愛い女の子の方が良い。あら一石二鳥。「女の子に戦わせたい」が先にあるんじゃなくて、自己投影せずに済むバトルモノが観たい→ならせっかくだから女の子に戦わせようぜ!みたいな。

少女が強い敵相手にドンパチやるのは不自然とか違和感あるって向きもあるかもしれませんが、それ言ったら年端もいかない少年がロボットに乗り込んで戦争に参加するのだって違和感あるでしょ。そこをあまり不自然と感じない程度に刷り込みができてるんですよ、子供の頃からいろんなマンガやアニメ観てきたので。

今期やってる『ビビッドレッド・オペレーション』なんて、少女が戦う上に一色健次郎博士という自己投影するのにドンピシャなキャラまで居るんですよ。開発した兵器を少女に与えてその戦いぶりを見守るポジションですからね。私がこの作品気に入ったのって、そういう側面もあるかも。おかげで作品世界にすっと入れた。

なので、主人公が少年でも、他に自己投影できそうなおっさんキャラが出てくればそれはそれでアリなんですよね。『ガンダムUC』なんかがそうかな。あれ、イカすおっさんがたくさん出てくるんですよねぇ。富野ガンダムにも言えることですけど。おかげで、「おっさんがしっかり描けている作品は概ね名作」説が自分の脳内で展開されております。

じゃあおっさんが主人公の作品なら喜んで観るのかと言われると、それはそれでねぇ……画面映えしなさそうだよねぇ……。それに、主人公に自己投影するのは10代の頃に散々やってきたので、むしろ一歩引いたポジションから物語を眺めた方が居心地が良い、というのもあるかもしれません。おっさんは現実社会の方で疲れているので。

なので、『けいおん!』のような日常系アニメであずにゃんを眺めてほっこりしたりもするんですが、やっぱりそればかりでも物足りなくなる。そこに戦闘美少女もののニーズがあるワケです。「自分が傍観者でいられるバトルもの」として。

逆に、10代の視聴者からすると『ストライクウィッチーズ』や『ビビッドレッド・オペレーション』ってどう見えるんだろう、ってのは興味ありますけどね。自分が10代のときだったら、たぶん興味持ってなかったと思う。

ラノベなんかは10代の読者が過半数を占めるんだと思いますが、ラノベ原作のヒットアニメに目を向けると主人公はメインの読者層と同じ中高生の男が多いんじゃないのかな、と。『インフィニット・ストラトス』とか『とある魔術の禁書目録』とか『ソードアート・オンライン』とか。これらは「男の主人公が女の子と共に戦う物語」であって、決して他力本願ではないですね。

私からみると、この辺の作品の主人公は自己投影できないんですよ。逆に同性である分、いろいろツッコミを入れたくなる。『IS』は「この野郎うらやまけしからん」となるし、『SAO』は「お前真面目にアスナ助ける気あるのか」となってしまうのです。あ、『禁書目録』の当麻さんは高校生とは思えぬ説教くささがあるからまだいけるかも。でも私、『超電磁砲』はBD集めましたけど『禁書目録』はスルーしてたりして。

そう考えると、「男が女の子と共に戦う物語」と、「女の子ばかりが戦う物語」はまた別物なんですよね。前者は10代の「モテたい」願望の表れで、後者はそこを通り過ぎたおっさんの「見守りたい」願望の表れ。

あと、日常系にしろバトルものにしろ、そこに登場する女の子を見守るというポジションは、そのまま「萌え」という感情にリンクするのかなと。まぁそんな感じ。