大須は萌えているか?

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時代の変化を楽しめるかどうかの境目

寓話として、なかなか面白いなあと思った増田(はてな匿名ダイアリー)の記事。

ゲームはダウンロード版購入のため、ゲーム機本体のみ。
本は極力電子書籍版。音楽はitune。
映画などの動画はAmazonプライムで十分。
PCは1台。スマホが1台。プリンター1台。40インチのテレビが1台。
プリンターにスキャナーがついてるので一部の書類のみ
取っておくだけ。また、データの保存には、GoogleDriveを利用。
こうして部屋がとてもすっきりした。
衣類や生活用品などを置くだけ。
…すごく殺風景な部屋になった。

via: 電子化した結果

全文は元記事でどうぞ。

平たくまとめると、ゲームや本や音楽といったコンテンツを全部電子データとして買うようにして部屋をすっきりさせた結果、自分の生活がどんどん無機質になっていっている……というお話。

自分も最近は、本はほぼKindle版、PS4のゲームは必ずダウンロード版、音楽はmp3で購入+Prime musicで概ね事足りている有様で、電子化の波を満喫しております。

ただ、自分の部屋は全然すっきりしておりませんで、それは何故かというと、過去に購入した本やゲームのパッケージやCDといったモノがまだまだ沢山残っているからなんですね。ただ、正直これらのモノも全部電子化して捨ててしまいたいという欲求は結構あったりします。

確かに人間、「自分の好きなモノに囲まれて暮らす」コトによって精神的に充足するという面は少なからずあると思ってまして、自分の好きな本・CD・BDないしDVDなどを本棚にずらりと並べておくというのは、実際にそれを視聴するという用途に加えて、部屋のインテリアの一部であり、ちょっと大げさに言うならば自分のアイデンティティの一部でもあると言える気がするのです。

これらをすべて電子データにしてしまうと、コンテンツそのものは確かにPCなりスマホの中に存在しているんだけども、ひどく生活が無機質に感じられるようになってしまう……という状況は、確かに起こりえるのだろうと。

だけどやっぱり、自分は本やらCDやらゲームのパッケージを部屋から一掃したい欲求は無くならないんですよねえ。なぜかというと、それによって空いたスペースを別のモノで埋め尽くす自信があるからです。

置く場所が無くて箱のまま放置されているねんどろいどだけでも、結構な数があるのでね!

コンテンツを電子化するコトによって、利便性は確実に上昇するワケですよ、本棚の残りスペース気にする必要が無いし、次の巻読むのにいちいち本棚に向かう必要無いし、思い立ったらすぐ買って視聴できるし。

それによってぽっかり空いた部屋のスペースを、「喪失」と捉えるか、「新しい何かを詰め込める余地ができた」と捉えるかで、人生の面白さは変わってくる気がします。

てか、私も酒は軽く嗜む程度だし、タバコは結構昔に止めちゃったし、ギャンブルやらないし、風俗も興味無い(キャバクラみたいな店すら行ったことない)し、嫁もいませんけど、今のとこ特に「退屈」だと感じるコトは無いんだよなあ。酒・女・ギャンブルにハマらずとも退屈しない、良い時代だと思いますよ、今って。