大須は萌えているか?

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音楽とストーリーの「抱き合わせ商法」

なんかいろいろ話題になってるこのニュース。

聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース

この発表を受けて、レコード会社は曲の販売を中止。今後のコンサートも取りやめになるっぽい。

これを受けて、「交響曲第1番」をはじめ作品CD3枚とDVD1枚を発売する日本コロムビアは同日、「驚愕(きょうがく)しており、大きな憤りを感じております」とコメントを発表し、商品の出荷とインターネットでの楽曲配信を停止。また、「交響曲第1番」などを演奏する全国ツアーを企画する音楽事務所サモンプロモーションでは、「今後予定しているコンサートは中止することになるだろう」としている。

via: 佐村河内さんの楽曲、別人が作曲…制作を依頼 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

これらの曲のゴーストライターをやっていた方も記者会見を行って、曲の著作権を放棄するとかなんとか。

佐村河内さんに提供した曲については著作権を放棄する意向を示したが、自身の今後については「音楽活動を続けていきたい」と語った。

via: 時事ドットコム:「私は共犯者」と実作者謝罪=18年間、代作担う-佐村河内さん別人作曲問題

しかしなんですよ、曲を書いていたのが別人だと言っても、曲そのものはなんら変わりないワケだし、名義を直してまた売ればいいんじゃね?という気もしちゃったりするんですが、でもやっぱりこういうのって「被曝二世の聴覚障がいを持つ作曲家が書いた」というストーリーが大きなウェイトを占めているんでしょうね。

よくよく考えてみると、ヒットする曲って何らかのストーリーとセットで持て囃されているものが非常に多いワケで。アイドルの曲はそのアイドル自身の成長物語とセットで語られるコトが多いし、ドラマやアニメの主題歌はその作品のストーリーとセットになっていると言えるでしょうし。あるいは、そもそも歌詞がわかりやすいストーリー仕立てになってるものも多いですね。

個人的には「優れた音楽」って「聴いていると頭の中でどんどんストーリーが紡がれるもの」だと思ってるんですよ。自分の想像力や思い出みたいなものをどんどん刺激してくれる音楽。ただこういうのって、当然ながら個人差が大きい。頭の中身は人によってバラバラですからね。だから、「優れた音楽」って人の数だけあると思ってます。

ただ、ビジネスとして音楽を多くの人に売りたいと思うと、少しでも多くの人に「優れた音楽」だと思ってもらわないといけない。そこで、ストーリーを組み合わせて売るという手段が有効になってくるのかなと。聴き手の想像に任せるのではなく、万人にわかりやすいストーリーを最初からセットにしてしまうコトで、想像力の個人差を吸収しようっていう。

なので、そのストーリーがウソでしたーなんて話になると、それでもその曲が「名曲」と思える人はある程度いるかも知れないけど、多くの人は曲そのものに幻滅しちゃうのは仕方の無いコトなんじゃないかなぁ、と。

正直音楽や絵画なんかもそうですけど、こういう趣味的文化的なモノって人によって好みがバラバラなのが当たり前なのであって、それをビジネスにするために普遍的な価値付けを業界が必死こいてやった結果が消費者の「ストーリー偏重主義」と言われるものの正体なんじゃないですかねぇ。