大須は萌えているか?

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映画『ラッシュ/プライドと友情』を観てきた

70年台のF1を題材にしたロン・ハワード監督の映画『ラッシュ/プライドと友情』が封切りになったんで、映画館で観てきました。

観た感想:スゲー良かった

以下捕捉。

ニキ・ラウダジェームス・ハント

この映画は、主に70年台に活躍した実在のF1ドライバー(そしてワールドチャンピオン)であるニキ・ラウダジェームス・ハントという2人のライバル関係を描いた、実話ベースのストーリーになってます。F1ファンの間では非常に有名なこの2人、そもそも脚色の必要が無いくらいそれぞれ「キャラが立ってる」ドライバー。

どちらも良い家柄の生まれなんですが、ハントはロングヘアーのイケメンで遊び好き、当然ながら女性関係も派手という、一昔前のいかにもな「有名レーサー」といったイメージ。一方でラウダはストイックにレースに対し情熱を傾け、自身の才能に奢ることなく仕事に打ち込む職人的なイメージ。ある意味、セナとプロスト以上にキャラが立ってると言えるでしょう。

なので、作中でも概ね実話ベースでストーリーが展開しているにも関わらず、この2人を中心に展開するドラマが非常に見応えのあるものになってます。さすがにハントが知り合ったばかりの女性とあっという間にやらかしている(性的な意味で)シーンは演出やろと思うんですが、しかしハントのプレイボーイぶりが尋常なモノでは無かったというのも有名な話なので、案外ほぼ実話なのかもしれません。

なにより、演じる役者さんがハントとラウダのイメージにすごく合致してるんですよね。見た目もすごく似てるし。ハントは既に他界してしまっておりますが、ラウダを演じるダニエル・ブリュールはラウダ本人と直接会って、当時の話を聞くなどして役作りをしていったというのだからスゴイ。一方、ハントを演じるクリス・ヘムズワースもヨッヘン・マス(1976年、マクラーレンでハントのチームメイトだった人)に会ってハントの話を聞いたりしたんだそうです。

ラウダとハント以外も、劇中に登場する人物が本物によく似てるんですよねぇ。ヘスケス卿、若き日のハーベイ・ポスルスウェイト、クレイ・レガッツォーニ、エンツォ・フェラーリ……いやこれF1ファンならニヤニヤしちゃいますよ。

劇中でちょっと「盛ってる」のかな、と思ったのはラウダとハントの仲。結構2人が罵り合うシーンが出てくるので、あれだけ見るとライバル同士仲が悪かったのかなぁという風にも見えてしまうのですが、実際雑誌なんかで紹介されているラウダやハントのコメントを読んだりしていると、2人の関係はチャンピオンシップを争っている最中に於いてもとても良好なものだったそうです。

「ニキと初めて会ったのは70年だった。お互いをよく知らないうちからロンドンのアパートでルームシェアした。それで打ち解けていい友達になった。それからずっと友人関係が続いている。76年にはタイトル争いをしたが、その最中も関係は変わらなかった」

via Racing on No.455(特集 ニキ・ラウダ)67ページ

でも、劇中でも憎まれ口を叩きながらも互いをリスペクトする関係として描かれていて、決して某セナ・プロのような陰湿なモノでは無いので、観てて気持ちがどんよりするコトはありません。相反する個性を持つ2人ですが、どちらも魅力的なんですよねぇ。いや私は「リア充爆発しろ」的な立場なんですが、ハントくらいぶっ飛んでるとむしろ賞賛したくなりますよ、ええ。

マシンとサーキット

この映画、役者さんもスゴいんですが、マシンやサーキットの映像がこれまたスゴい。ストーリーの中心となるのはラウダが大事故に巻き込まれる1976年シーズンですが、ちゃんと当時のマシンが登場してるってのがね。これCGか、あるいは外見だけ似せて作ったレプリカなのかな……と思いきや、コレクターなどが保有している「実車」を使って撮影しているシーンも多いんだとか(パンフレットの小倉茂徳氏のコラムより)。

しかし「6輪車」で有名なティレルP34も登場して、しかも日本GPではしっかり「たいれる」の文字まで書かれていたのには驚きました(ただ、小倉氏のコラムで「富士でのウイングが前半戦仕様のままだった」との指摘もあり)。そうなると、ハントのマクラーレンM23やラウダのフェラーリ312T2なんかも「本物」なんだろうなぁアレ。さすがにクラッシュシーンなんかはCGとか使ってるんだよね?

個人的には、「モンツァゴリラ」ことヴィットリオ・ブランビラが駆るBetaカラーのマーチまでもが登場していたコトに感動を覚えました(?)。いやこの人、あだ名もさることながら、唯一のF1優勝時にウイニングランでガッツポーズしすぎてクラッシュするとか、インパクトが強くて好きなんですよね……。

それから、サーキットの雰囲気も70年代のF1ぽさが出てて良いなぁと。いや70年代のF1って写真とかで知ってるレベルだけどさ。ただ、今よりも安全基準が緩かった当時、コースの幅がかなり狭かったり、観客席がコースからすげー近かったり、コースサイドのフェンスも無いような場所にカメラマンが陣取っていたりと、そういった部分がしっかりと描かれています。モンツァサーキットではフィアットの看板に穴開けて観戦しているファンが居たりしたのも良かったですね。ティフォシはそうでなくては。

76年、ハントとラウダのチャンピオン争い決着の舞台となった富士(日本にとってはこれが初のF1開催)も、「昔の富士スピードウェイ」の雰囲気が良く出ているのではないかと。このサーキットの風景なんかはどうやって撮影したんだろうか……いやホントに、びっくりするくらい「70年代のF1」が映像になっています。これはリアルタイムで当時のF1観ていた世代の感想も聞きたいところですね。

事故の恐怖

それから当時のF1を語る上では、どうしても死亡事故のリスクの高さにも触れざるを得ません。今やF1において20年間死亡事故が起きていませんが、劇中でも触れられているように1970年代のF1は毎年数人がレース中の事故で命を落とすのが当たり前でした。それでも、レーシングドライバーって人種は「自分は死なない」という根拠の無い自信に溢れている連中ばかりというイメージがありますけど。

しかしハントは豪放磊落なイメージが強い傍らでナーバスな側面もあったようで、レース前に嘔吐したり、頻繁に貧乏揺すりをしてたそうな。タバコや女性に溺れていたのも、そういう心理の裏返しなのかもしれません。そんなハントの心理も、劇中でうまく描かれています。

ラウダも事故のリスクとどう向き合うかというコトは常に考えていたようで、それがニュルブルクリンクのレース中止要請といったところにも現れています。レーシングドライバーなんだから一定量のリスクは許容する(劇中では「20%」と言ってますね)、でもそれ以上は許さない。

当時は「レースが危険なのは当たり前でどうしようもない」みたいな見方がまだ支配的だったみたいですが、F1ドライバーとしてそういう風潮に一石を投じたのが3度のワールドチャンピオンを獲得したジャッキー・スチュワート。積極的にレースの安全性について啓蒙活動を行ったF1レーサーは彼が最初だと言われてます。

しかし、劇中でも描かれていた1973年のティレルの死亡事故、あの事故で死亡したのがスチュワートのチームメイトであるフランソワ・セベールでした。その事故を知ったスチュワートは決勝を走ることなくF1を去ることに(元々、レース後に引退するつもりだったそうですが)。スチュワート引退後程なくしてチャンピオンを獲得しトップドライバーとなったラウダは、引退したスチュワートの意志を継ぐ立場だったのかも。

レースにつきまとう恐怖を快楽で忘れようとしていたハント、そのリスクと論理的に向き合おうとしていたラウダ。こういうスタンスの違いも興味深いですね。

そんなこんなで

この映画は今ほど洗練されたものではなかった、1970年代の混沌としたF1の世界と、その時代に輝きを放ったジェームス・ハントニキ・ラウダというドライバーを、緻密に、そして魅力的に描き出していると思います。コアなF1ファンが観ても満足できる出来になっているんじゃないかと。

F1よく知らんという人でも、レーシングドライバーという人種に興味があるならば観て損は無いと思いますよ。メカ描写だけでなく、人物の心理描写がとても良く出来ている作品なので。