大須は萌えているか?

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トヨタのモータースポーツに付きまとうネガティブイメージ

今年のルマン24時間レース、結構面白かったですね。トップに立つクルマが次から次へとトラブルに見舞われて。何かの呪いなのかっていうくらいに。

予選で圧倒的なポールタイムを叩き出したトヨタTS040 7号車はリタイヤとなってしまったワケですが、その原因がハイブリッドシステムの電気系統異常という、ハイブリッドカーとしては一番イメージ的によろしくないトラブルっていうのがなんとも言えぬ風情があります。

トヨタモータースポーツ活動ってまぁそこそこの活躍はしてみせるんですけど、そこそこ止まりっていうか、場合によってはむしろ企業イメージ的にマイナスなんじゃないのコレ的なコトになったりすることがちょいちょいあるよーな気がします。

ルマンの場合

トヨタにとってのルマン24時間は「そこそこ止まり」の象徴みたいなレースで、1992年にはTS010で総合2位。94年はサード・トヨタ94C-Vが優勝目前まで行きながらも、残り1時間半でシフトリンケージが壊れ後退し2位。

98年にはどう見てもプロトタイプカーにしか見えないGTカーTS020を投入し物議を醸すも、これまたゴール1時間半前にトップを走っていたブーツェン組のマシンがギヤボックストラブルでストップ。「GTに見えないGT」としては94年のダウアー・ポルシェ962GTという先駆者がいるんですが、TS020はそれよりさらに大人げないと非難の的に。しかもそこまでして優勝できなかったという。

TS020は99年にも3台エントリーするも、2台はリタイヤに終わり、残った片山右京/鈴木利男/土屋圭一の日本人トリオがトップを追撃するも、タイヤがバーストするトラブルにも見舞われやっぱり2位止まり。その後トヨタはF1参戦にシフトするためにルマンから撤退。

そして2012年、TS030で久しぶりにルマンに復帰し、2013年にはまた2位を記録。ホントに、トヨタにとっては「今年こそは」のルマンだったんですよね。ルマンに先んじて行われた、WEC開幕戦シルバーストーン6時間と第2戦スパ・フランコルシャン6時間を連勝で飾っただけに尚更。

F1の場合

トヨタの「そこそこ止まり」はF1でも同様で、予選ではポールポジションを獲得したコトもあったものの、決勝では2位が5回ありながら優勝は無し。2002年から8年間参戦し、F1チームの中でもトップと言われる巨額の予算を注ぎ込みながらも勝てませんでした。

オマケに、2007年には富士スピードウェイに日本GPを招致して鈴鹿に愛着を感じていた古参ファンの反感を買った挙げ句、開催初年度には諸々の手際の悪さが目立ち裁判沙汰にまでなる始末。で、2009年以降は鈴鹿と隔年開催って話になったかと思えば、2009年いっぱいで突然トヨタがF1を撤退しちゃったもんだから、たった2年で富士のF1は幕を下ろすコトになっちゃいました。

トヨタの撤退劇は金融危機の煽りを受けたやむを得ないモノではありますが、結果として「カネに物を言わせて参入したのに勝てもせず、挙げ句日本GPを引っかき回すだけ引っかき回して逃げてった」ような格好になってしまったため、むしろ古参F1ファンの中に「アンチ・トヨタ」を増やしてしまったという説も。あ、でも最後の最後に小林可夢偉にチャンスを与えたのはナイスでした。

WRCの場合

トヨタがそのモータースポーツ活動の中で一番成功したと言っても良さそうなのがラリーで、WRC世界ラリー選手権)で1993年、94年と連続でドライバーズ&マニファクチャラーズの両タイトルを獲得しています。

これだけ見れば立派な戦績なんですが、95年シーズン途中にFIAをして「極めて悪質」と言わしめたレギュレーション違反(エアリストリクターの違法改造)が発覚し、1年間の出場停止という裁定が下っています。タイミング的にはスバル・インプレッサや三菱・ランサーエボリューションが台頭してきた時期であり、タイトル防衛に躍起になり過ぎたのかもしれません。

その後トヨタは97年途中まで参戦を取りやめ、99年に再度マニファクチャラーズタイトルを獲得し、WRCを撤退。成績だけ見れば大成功と言っていい感じですが、やっぱエアリストリクター違反のインパクトがでかい。

ルマンのTS020もそうだし(これは一応合法ですが)、F1でも2003年にチームスタッフフェラーリのデータを盗用したなんて事件もあり、なんとなく「勝つためならえげつないコトやる」という印象は持っちゃいますね。しかもこの中で勝てたのWRCだけってのがまたアレなんですが。

さらに昔の話

そういや、ちょいと前にセナの事故の記事を読み返すために『F1倶楽部』16号を読み返していたら、福澤幸雄の事故に関する記事を見つけて思わず読み返してました。

福澤幸雄はかの福澤諭吉の曾孫にあたり、慶応大教授の父とソプラノ歌手だったギリシャ人の母との間に生まれ、トヨタのワークスドライバーを務めつつ、端麗な容姿を活かしてモデルもやったり、「8人目のスパイダース」と言われるくらい音楽の才能にも優れていたという、リアルこち亀の中川みたいな人。

彼はトヨタ初の純レーシングカーであるトヨタ7のドライバーだったんですが、1969年にヤマハのテストコースで新しいクローズドボディのトヨタ7をテストしていた際に事故死しています。

事故現場はストレートから緩い左コーナーに差し掛かる場所で、普通ならドライビングミスなどはあり得ない場所。マシンに何らかの欠陥があったコトが疑われますが、記事によれば警察の現場検証に対しトヨタは企業秘密を理由に拒否したそうな。ていうか、拒否できるものなのか……それだけ地元の警察とズブズブの関係だったのかもしれませんが。

そして警察には事故車両の写真として、福澤が走らせていたマシンとは異なるオープンボディ版トヨタ7の写真を渡していたという話も。挙げ句、当時テストの責任者だった人物は「ドライバーのミス」と言い切っていたとか。

トヨタ側の説明に不信感を持った遺族は裁判を起こし、1981年にトヨタが和解金を払うコトで決着。しかし、事故原因の真相は不明とされたまま。ちなみに福澤の後任となった川合稔も、1970年に鈴鹿でターボエンジンのトヨタ7テスト中にマシントラブルと思われる事故で死亡しています。

いやまー、トヨタモータースポーツの黎明期と言ってもいいくらい昔の話なんですが、結構インパクトのある話です。

そんなこんなで

なんかいつの間にかトヨタモータースポーツ暗黒史みたいになっちゃいましたが、なんかトヨタってそれぞれのカテゴリーで何らかインパクトのある黒歴史があるので、そういう話を聞いちゃうとなんかネガティブなイメージが付きまとっちゃうなぁと。

まーレースの世界なんて皆勝ちたいワケで、えげつない話は珍しくないんですけどね?ただ、トヨタの場合いろんなカテゴリに首突っ込んでいる分、それぞれの印象が薄くネガティブなイメージの方が思い浮かびやすいってのもあるかもしれませんが。

ルマンで結果が出せれば、そんなイメージも変わっていくのかなぁ。