大須は萌えているか?

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よくわからないモノにコンテンツが殺される気持ち悪さ

最近は『鉄道むすめ』バージョンの『駅乃みちか』のイラストがWEB上で紛糾してたりしましたけど、なんかこういうネタって次から次へと出てきますねぇ。

しかし、こういうイラストやら画像やら映像やらのコンテンツを見て「不快かどうか」というのは個人の受け取り方次第ですし、「これを不快と思うヤツはどうかしてる」だとか「これを不快に思わない方が狂ってる」みたいなやりとりは大変不毛だなぁと思うワケです。どんなコンテンツであれ「不快だ」と思うのは自由ですし、それを表明するのも自由です。

が、時としてこれがエスカレートしていって、コンテンツそのものの公開が中止されたりする事態になったりもするワケですね。これは萌えイラストに限った話では無く、テレビCMなんかでもよくある話。

お蔵入り!批判殺到CMまとめ【打ち切り】 - NAVER まとめ

で、こういう時にWEBニュースの記事なんかでよく使われる表現が「批判殺到」とか「大炎上」。上にリンク貼ったまとめでもそう書かれてますが。たださ、この「批判殺到」っていうのが、具体的にどれくらいの批判が集まったのかってわからないんですよね。コンテンツの公開元がどれくらいの数の抗議があったのかって公表してるの見たコト無いので。

具体的な数を出しちゃうと、「これくらいの数のクレーム集めればコンテンツを潰すコトができる」と誰かに思われたりするのがイヤなのかな、と思ったりもしますが、ただ「批判が殺到」って書かれると世の中の過半がそのコンテンツを好ましく思って無いのかな、なんて思えて来ちゃうんですよね。

ただ実際のところそんなコトはないだろうと思ってて、ちょっと前に話題になってた「炎上に実際に参加してるのは全体の1%未満」(⇒ 「炎上」参加者、実は少数 慶大准教授らがネット調査:朝日新聞デジタル)みたいなのと同じような話かと思ってます。

……とはいえ、企業や自治体ってどうしても世間的なイメージをかなり気にせざるを得ないと言いますか、「何かトラブったときは安全な方に倒す」という判断をしがちなので、こういう実態がかなり曖昧な炎上騒ぎでもコンテンツの公開を取りやめる、となるんだろうなぁと。

しかしそうなると「コンテンツの公開を取りやめるくらいの批判が殺到した」と見なされてしまい、「そういう表現はけしからん」というムードが醸成されやすくなっていく気がしてて。そしてますますこういう批判をするのが大好きな人は勢いづいていき、あんま興味無い人も「あーそういうもんかー」と思い始め、コンテンツを作る上での縛りが増えていく……という流れが出来上がるような。

なんか実態のよくわからないモノに様々なコンテンツが潰されていっているような、そんな気持ち悪さを日々感じてます。