大須は萌えているか?

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これはニュータイプの敗北の物語なのか? ~小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

今年映画化されるっていうんで、今更ではありますが小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上・中・下巻)』を読んでみました。この本、『逆襲のシャア』公開後の1989年から1990年の間に角川スニーカー文庫から刊行された作品ですが、今まで読んだコト無かったので……。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ - Wikipedia

あと、この作品は同じくスニーカー文庫から出ている『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』の続編というコトで、こちらも併せて読みました。この『ベルトーチカ・チルドレン』、劇場版の『逆襲のシャア』とはちょっと内容が違うんですよね(元々は劇場版の第一稿だったものを、劇場版ではボツになった点も含めてノベライズしたそうな)。

30年前の小説なので今更だとは思うんですが、ネタバレ全開で書きますので一応ご注意ください。

まず読んでて思ったんですが、富野監督の小説ってめっちゃ読みづらい!……いや、それでも本業が小説家ってワケでは無いのであんまりツッコミを入れるべきでは無いとは思うんですが、それにしてもこれはなかなか……。ていうか、編集者の人とか何か言わなかったんだろうか。いっそこのまま出したほうが「味」が出るとでも思ったんでしょうか。

特に気になるのは、読点の打ち方のリズムが独特過ぎる点と、台詞が連続するシーンで時折どれが誰の台詞かわからなくなる点と、急な場面転換で文章に意識が追いつかなくなるときがある点ですかね。たぶん、富野監督ってめちゃくちゃ頭の回転が速い人で、その頭からあふれ出るイメージを一気にブワーッとアウトプットしていって作品を作っていくようなタイプじゃないかと思うんですけど、そういうスタイルがアニメの世界では上手くハマったけど、小説ではちょっとアレだった、という気がしなくもありません。

まあそれはさておき。

閃光のハサウェイ』は、昔プレイしたゲーム(『GジェネレーションF』だったかな?)にシナリオとして収録されており、そのオチはうっすらとは覚えていたんですけど、改めて小説を読むとホントに救いの無い話ですねコレ。いやまあ「皆殺しの富野」の異名まで持つ富野由悠季作品なので、主人公が最後処刑されるくらいでギャーギャー言っても仕方無いのかもしれませんが。ただなんて言うか、なぜハサウェイは処刑されなければならなかったのか?というコトを考えると、読み終わった今でもまだ自分なりの答えが出てこないんですよね。

いや『逆襲のシャア』だって、地球連邦の反旗を翻したシャアはトホホな最後を迎えている……という見方もできますが、それでもシャアはあと一歩でアクシズを地球にブチ落とすところまでは行ったワケじゃないですか。でも、ハサウェイはまだ全然道半ばといったところで捕縛され、そしてきっちり処刑されてしまう。しかも、すぐ近くに父であるブライトが居るところで。

この物語におけるハサウェイは、主人公としてガンダムを操って見せてはいるんですが、しかしとびきり優秀なニュータイプ、といった感じもないんですよね(ハサウェイ自身が「自分にはニュータイプ的な才能は無い」と言ってる)。シャアやクェスを間近で見て、ある意味その亡霊を心に住まわせてしまっている感じ。

「……ぼくは、まえにニュータイプといわれた人びとに会ったことがある。彼等は、年齢に関係がなく、大人社会にくいこんでいったけど、いい結果を手にいれられなかった。それに、ぼくには、ニュータイプ的な才能はない……となれば、地球を中心にした体制にふくまれている毒をとりだして、根源的な問題を、人類のすべてに認識してもらうためには、こんなことしかできないな」

富野 由悠季; 美樹本 晴彦. 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(下) 機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ (角川スニーカー文庫) (Kindle の位置No.422-425). 角川書店. Kindle 版.

「こんなこと」というのは、「マフティー・ナビーユ・エリン」を名乗って連邦政府の高官を粛正しているコトを指しています。このハサウェイのセリフ、「ニュータイプでも世界は変えられない」という諦めのようなものも感じるんですよね。それでも、自分が見てきたニュータイプの思いを無駄にしないために、マフティーとして活動する道を選んだ。ある意味、最初から勝ち目の無い戦いだと分かっていたようでもあります。

そして、マフティーという組織を率いる身として、自身がより高潔な存在たらんとするものの、クェスのコトが忘れられずに思い悩んだりもしています。ある意味、若者にありがちな意識高い状態ですね。先に引用したセリフに続く、この作品のヒロインであるギギとの会話が象徴的です(最初に発言してる方がハサウェイ)。

「でもさ、近代の個性の時代といわれていた時代にこそ、人類は、消費拡大をして、その商業主義が、地球まで殺したんだ……人類ひとりびとりに自由を、という思潮がのこっているかぎり、人類はスペース・コロニーをつくったって、地球を食いつくしてしまうんだ」
「それは、家庭という小さい平和も否定することだよ?」
「まっとうき全体というものに人類が収斂されなければ、地球は存続できない時代になってしまったんだ。それは、思い出して欲しいな……」
「人類がすべて解脱して、良き集合体になるなんて、そりゃ、ニュータイプの集団だわ」
「そうだよ」
「……そんなの、セックスだってなくなっちゃう」
「そうかな。そういう行為だって、本当は、透徹したものをめざすためのものになったはずなんだ……」
「冗談?」
「ちがうよ。オーガズムだって、快感というよりも、その行為のむこうにあるなにかを認識することができると思うな……。そうでなければ、インテリジェンスを発達させた人間が、セックスするなんて、恥かしいことだよ」

富野由悠季;美樹本晴彦.機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(下)機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(角川スニーカー文庫)(Kindleの位置No.441-452).角川書店.Kindle版.

さらりと商業主義自体を否定してしまっている辺り、富野監督自身の価値観が滲んでいるように思えなくもありませんが、しかしだんだんと言っているコトが人類補完計画じみてきましたね。地球を存続させていくには、もう人々が皆ニュータイプの集団にでもなるしかない。でも実際問題、それは現実的な話ではない。

中巻では父のブライトも似たようなコトを思っているのがまた。

第一線にいて、中央から使われる身にたつと、軍であれ官僚であれ、その組織そのものが内在する問題を実感することができる。
現有能力のレベルの人類では、組織そのものが生み出す悪癖を改革することなどは、とうてい無理だと知るのである。
聖人であっても、ふつうの人びとがつくった組織に参画するかぎり、組織内で自然発生する個々人の生み出す齟齬などは、とうてい変革できないと思えるのだ。
組織がうみだす悪癖の解決策は、すべての人が清廉潔白になるしかない、というのがブライトの結論であった。
それは、ニュータイプ指向をうむ土壌でもある。

富野由悠季;美樹本晴彦.機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(中)機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(角川スニーカー文庫)(Kindleの位置No.1972-1980).角川書店.Kindle版.

なんかこの、人間社会全体に対する諦観と、それに対する手詰まり感というのがこの作品を覆っているように感じられるんですよね。普通の人々の中に少々ニュータイプが混じっていた程度では、世の中なんて良くならないというワケです。そしてそのまま、ハサウェイは処刑されてしまう。ここまでのガンダムというのは、体制と反体制の物語であると同時に、ニュータイプという形で示された人類の進化の物語でもあったワケですが、その「ニュータイプ」の物語に対するバッドエンドを突きつけている作品、というようにも受け取れます。

そのバッドエンドの象徴が、ハサウェイの処刑だった。……ただ、ラスト近くのブライトのセリフに象徴されるように、わずかな希望を繋ごうとしているようにも感じられます。

「でも、艦長。不穏分子がつかうモビルスーツに、ガンダムという名称をつかうなんて、許せないでしょう?」
カニック・マンが、整備台でいった。
ブライトは、シートの下から抜け出し、ガンダムの煤まみれの顔を見上げて、
「そうでもないさ。歴代のガンダムは、連邦軍にいても、いつも反骨の精神をもった者がのっていたな。そして、ガンダムの最後は、いつもこうだ。首がなくなったり、機体が焼かれたり、バラバラになったり……。しかし、反骨精神は、ガンダムがなくなったあとでも、健在だったものだ」

富野由悠季;美樹本晴彦.機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(下)機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ(角川スニーカー文庫)(Kindleの位置No.1778-1783).角川書店.Kindle版.

どんな目にあっても反骨精神を忘れてはいけない、といったところでしょうか。作中で連邦側としてハサウェイと対峙したケネスも、最終的には連邦を辞め、マフティーの思想に共鳴するようなコトも言ってますね。世界はそうそう変えられるものでは無いけど、腐敗した社会に反発する精神は失ってはいけないし、そうした精神は人を超えて受け継がれていくものだ……というラストかなと。

いやただ、それだったらもうちょっと前向きな気分になれるラストにしても良かったんじゃないの、と思わずには居られないんですが、その辺は富野監督なりのコダワリなんでしょうかね。ただ、このオチは小説だからこそ許されているようにも思え、果たして劇場版ではどうするんだろう、という点は興味が尽きません。だって、劇場三部作を見た挙げ句のオチが処刑エンドって、そりゃあんまりだろっていう。

劇場版は『ベルトーチカ・チルドレン』ではなく、劇場版『逆襲のシャア』の続編として作られるようなので、そこがどう影響してくるのかも気になるところですね。『ベルトーチカ・チルドレン』だと、自らクェスをやっちゃってるからね、ハサウェイ。

この小説を読んでから、劇場版『閃光のハサウェイ』公式サイトに寄せられている富野監督のコメントを見ると、これがまたなかなか味わい深いというか。

現実の世界は進歩などはしないで、後退しているかも知れないのだ。だから、ガンダムのファンの皆々様方が牽引してくださった道筋があったおかげで、今日、本作のテーマが現実にたいして突きつける意味があると知ったのである。
その意味では、本シリーズを牽引してくださった皆様方に感謝をするだけである。
同時に、諸君等ひとりびとりも本作のメッセージの希望である解決策を次の世代は開拓してもらいたいと願ってのことでもあろうとも想像する。
すなわち、大人になったガンダムファン世代は、ファンの力だけではリアリズムの閉塞感と後退感を突破する力はなかったと自覚もしたからこそ、その申し送りを本作に託していらっしゃるのではないかとも想像するのだ。

via: STAFF|『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』公式サイト

僕らの世代では世の中良くするコトは出来なかったよね!こうなったら次の世代に託そうね!というコトであります。ううむ。そういや、『Gのレコンギスタ』の劇場版でも、富野監督って「子供たちに見て欲しい」って強調してましたね(1作目の『行け!コア・ファイター』なんていかにも子供向けのタイトルだし、キャッチコピーが『世界の子供たちに送る未来へのメッセージ』だ)。しかしなんだ、大人のガンダム世代は世の中を良くするコトはできなかったよね!って言われると、いやまあそらそうかも知れんけど、本当の意味で「人類の革新」が起きるコトはこの先の未来も無いと思うで……などと思ったりするワケなんですけどね?

ただ、今までアニメとしてしかガンダムを観たコトが無かったんですけど、こうして小説を読んで、加えて最近の富野監督のインタビュー記事(⇒ 富野由悠季が語り尽くす「G-レコとガンダムシリーズの本質的な違い」(富野由悠季,部谷 直亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/5))なんかも読んで、改めてガンダムシリーズが問いかけているものの正体というのが分かってきたような気がします(気がするだけかもしれない)。

……そういや、各地の美術館で順次開催されている『富野由悠季の世界』展、そのうち見に行こうと思ってたけど兵庫は終わっちゃったんだよな……。いまやってるの島根……遠い……いつ見に行こう……。