大須は萌えているか?

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なぜソーシャルメディアは馬鹿発見機になるのか

夏真っ盛り、WEB上では相変わらずTwitterやらどこかのSNSやらで漏らしてはならないような話をつい書きこんでしまう人が現れ、炎上した挙句「馬鹿発見機」などと揶揄される状況が散見されているワケですが。

でもコレ、傍から見ると「なんでそんなコト書き込んでいるんだ、バカだなぁ」という話ではあるんですが、ああいうのって書き込んでいる本人はテンション上がりすぎて無我夢中な場合が多いんじゃないかと思うんですよ。んで、あとになってから「なんであの時、あんなコト書きこんでしまったんだ……」と凹むケースは結構多いんではないかと。

口外するのはよろしくなさそうな話なんだけど、どうしても他人に話したくてウズウズしちゃって、ついいろんな人に喋っちゃった、みたいなコトは結構やっちゃったことある人多いんじゃないかと思います。

じゃあ、どういう場合に人は喋りたくてウズウズしてしまうのか。これ、大きく3つの条件があるんじゃないかなと。

  1. 何がしかの非日常的な体験をした
  2. その体験が他の人にとっても興味深い内容であろうと思われる
  3. その体験した内容が自分だけ、あるいはごく限られた人しか知らないようなものである

例えば「王様の耳はロバの耳」なんてのは、「王様の耳がロバの耳である」という非日常的な光景を目の当たりにし、当然王様の存在は全国民が知っているハズですから話題性は抜群、そしてそのコトを知っているのは床屋である自分だけ、という具合に3つの条件を満たしているワケです。

非日常的な体験をすると、感情が刺激され自然とテンションが高くなるというもの。人間、自分の感情を他人にもわかってもらいたい、思いを共有したいという欲がありますから、当然周囲にそのことを喋りたくなります。

そしてその体験が他人にとっても興味深いであろうと思われる内容であればあるほど、余計に喋りたくなるというモノです。それだけ感情の共有がしやすくなるというコトですから。

さらにその体験が貴重なモノであればあるほど、もうどうしようもなく喋りたくなります。なぜかというと、そりゃ自慢できるからです。こんだけレアな体験したんだぜすげーだろ的な。

ただ困ったコトに、この3つの条件を満たすような体験って、なんらかの職業的な特権により得られる場合が多いのではないかなと。イソップ寓話の床屋も、床屋という職をやっていたからこそ「王様の耳はロバの耳」という事実を知り得たワケで。

しかし当然ながら、職業上知り得たコトを所属組織やその他関わっている人たちの同意なしに外部に垂れ流すというのはあまり褒められた行動ではありません。でも喋りたくてウズウズしてしまう。

そこで床屋は井戸に向かってその話をぶちまけたワケですが、現代では井戸の代わりにソーシャルメディアがあるワケです。しかもご丁寧に、どんどん脊髄反射で書き込みできるようなインターフェイスになってきているモノですから、「喋りたい」という誘惑に抗うコトが困難になっていると。

もちろん、ソーシャルメディアは井戸と違ってそこに喋った(書き込んだ)内容は基本的に公開される前提があるワケなんですが、そこは喋りたいという欲求と、あまりに気軽に書きこめてしまうシステムの合わせ技で、井戸に向かって喋るのと同じような感覚で書き込んでしまうのかなと。

それに人間、なぜか「自分だけは大丈夫」という根拠の無い自信を抱いてしまうのはよくあることですし。

結局のところ、こうしたWEB上の迂闊な発言が人の素直な欲求に基づいて為されているというコトと、今後ソーシャルメディアが今以上に多くの人の生活に密着したモノになっていくであろうコトを考えると、ソーシャルメディア馬鹿発見機であるという状況は今後ますますヒドくなっていくんじゃないかと想像します。

しかしまぁ、他人を馬鹿というヤツが馬鹿、という格言もありますし、もうWEBで発言してるやつみんな馬鹿ってコトでいいんじゃないですかね?(←ブーメラン)