大須は萌えているか?

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高根城と秋葉神社(上社)をぶらぶら

先週、ウチのかーちゃんが「高根城に連れて行け」と宣うのでドライブがてら静岡県まで出掛けてきました。

高根城

私も言われるまで高根城という城のコトはさっぱり知らなかったワケですが、浜松市の北部・天竜区水窪町っていう山に囲まれたド田舎(失礼)にある山城。

 

場所的にはまさに愛知・静岡・長野が交わる辺りにあるお城であり、てことは当然戦国期には徳川・今川・武田が綱引きする場所でもあったワケですね。この城を建てたのは井伊家の分家筋である奥山家だそうですが、そもそもは南北朝時代後醍醐天皇の孫である尹良親王を守るためだった、なんて話もあるようです。

高根城跡は、水窪の町の東南端の九頭合の山頂、標高420mに位置しています。南北朝時代後醍醐天皇の孫である伊良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正貞則が応永21年(1414年)に築いたといわれています。

via: 高根城 奥山氏 池の平 - 水窪情報サイト|水窪観光協会

なんかコレ、井伊家が宗良親王を匿った、という話にそっくりですねぇ?なお、城址にあった説明書きによると、戦国期には奥山家内部で徳川・今川・武田のどこに与するかで内部分裂が起き、惣領家は滅亡してしまったとかで……(ただ、兄弟の系統がその後も続いたようです)。大河ドラマ奥山六左衛門って登場してますけど、こちらの奥山家は井伊谷に居館を構えており、同じ奥山でも過去に枝分かれした家っぽいですね。

で、なんでぱっと見大河ドラマに関係無さそうなこっちの城に来たのかようわからんかったのですが、なんでも以前大河ドラマのロケが行われたんだそうで。言われてみれば、確かになんか見覚えあるなこの風景(最近はあんましちゃんと観てないけど)。

柵や櫓など、当時のイメージで若干復元された建物もあり、イメージ的にちょうど良かったんですかね。本曲輪の館は神社として使われており、雰囲気だけ似せてある感じで厳密に再現したってワケではありません。

「やぐらの屋根板が傷んでいて落ちてくることがあります。」という注意書きもあったりして、なかなかにデンジャラス。

しかし城を築く場所だけあって、見晴らしは素晴らしい。下写真真ん中を水窪川が流れ、その右を飯田線が走っています。

あと、城の南側にある二重の堀切はなかなか当時の特徴が残ってて面白いです。

秋葉神社

で、せっかくこんな辺鄙なとこ(失礼)まで来たので、秋葉神社の上社まで足を伸ばしてみました。あちこちにある秋葉神社の総本社のひとつですね。

ここも中々の山奥なので、あんまし人が居ないかと思いきや、結構参拝者がいてビックリ。若いカップルもいましたが、お互いの火遊び抑制のためでしょうか(祭神の秋葉大権現は火防の神)。

奈良時代にはすでに社殿があったという古い神社ですが、現在の建物はどれも新しいものばかりなんですね。しかし、常夜灯が立ち並ぶ整備された参道や、

やたら凝った彫刻が施された山門(明治以前は仏教・修験道もミックスされた場所だったそうな)を見るに付け、

ああ、リッチだなぁと。そしてトドメが拝殿のすぐ下にある百式カラーの鳥居。

鳥居には「皇太子殿下御成婚記念」と書かれており、以前ここに井伊家が寄進したという金銅の鳥居があったことにちなんでいるようです。火事の被害は今も勿論ありますが、消化器も消防車も無かった時代の方が深刻だったでしょうし、今よりさらに多くの信仰を集めていたのかもしれませんね。

東京の秋葉原という地名も秋葉神社に由来するとはよく言われる話ですが、Wikipediaによると東京の秋葉神社はホントは秋葉大権現とは関係のない神社だった、と書かれているのが興味深いところ。真相はいかに。

江戸時代の江戸の街は度々大火災が発生した事から、神仏混淆秋葉大権現秋葉山)が火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていたが、本来この社は秋葉大権現と直接の関係はない(東京府秋葉大権現を勧請したとする史料もあるが、当時の社会情勢からみても明らかに誤伝である。)。しかし、秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々は、この社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだ。

via: 秋葉神社 (台東区) - Wikipedia

まーそれだけ江戸時代に「秋葉」ブランドが絶大な力を持っていたってコトなんでしょうけど。

徳川綱吉の治世の頃から、秋葉大権現神道、仏教および修験道が混淆(こんこう)した「火防(ひぶせ)の神」として日本全国で爆発的な信仰を集めるようになり、広く秋葉大権現という名が定着した。特に度重なる大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、大勢の参詣者が秋葉大権現を目指すようになった。参詣者による賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものであったと言われ、各地から秋葉大権現に通じる道は秋葉路(あきはみち)や秋葉街道と呼ばれて、信仰の証や道標として多くの常夜灯(秋葉灯篭)が建てられた。また、全国各地に神仏混淆の分社として多くの秋葉大権現秋葉社が設けられた。

via: 秋葉山本宮秋葉神社 - Wikipedia

NHKの『ブラタモリ』で、伊勢や熊野なんかは御師がその信仰を全国に広めるのに一役買った、みたいな話がありましたけど、秋葉神社もそのブランド力を全国に知らしめた敏腕プロデューサーみたいな人が居たんでしょうか。なんかそういう歴史がまとめられた本とか無いかなぁ。

今でも秋葉神社のお札って飲食店の厨房やオフィスのキッチンスペースでよく見かけますし、そのブランド力は健在と言って良いんでしょうね。てか、境内に思わぬ人の記念植樹まであったし。

なお、ここも見晴らしの良さで定評があるんですが、訪れたときには雲が多くてちょっと残念な感じでした。