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ロシア側の論理を垣間見ることができる一冊 『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』

ロシアがウクライナに侵攻した、というニュースが飛び交っている昨今ですが、そういやしばらく前に読んだ本が今の状況を理解するには良い内容だったなあ、というコトを思い出したのでちょっと触れてみます。

著者の方はロシアの安全保障政策・軍事政策等を専門としている方だそうですが、本の内容としてはロシアの対外政策がどのような価値観において行われているのか、というかロシアという国の境界はどこらへんにあるのか……という点を論じている内容になります。そりゃ当然ロシアの国境は厳密に定義されてはいるハズなんですが、どうもロシア内部から見た場合「ロシア」というものの範疇は国境線とイコールではないのではないか、っていう。出版されたのが2019年と比較的新しく、ウクライナの問題についても詳細に言及されているため、現在の状況を理解するのにも役に立つ内容。今回はいきなり全面侵攻に打って出たのは正直驚きでしたが、やっていること自体はこの本で論じられているロシアの論理に沿ったものであることはわかります。

イギリスの国防相プーチンのことを「正気を失った」と批判したなんてニュースも見かけましたが、この本を読んでいるとプーチン自身は至って正気であり、昔からの自身の価値観に従って行動しているようにも見えます。要は西側諸国の常識と、ロシアの常識が結構違うっていう話なんですよね。もちろん、ロシア国民の中にはこの侵攻に対して批判の声を上げている人達もいるようですが、半分くらいの国民はこうしたプーチンの強硬姿勢を支持しているようでもあるんですよね。

プーチン氏の支持率上昇、非政府系の調査でも69%…ロシアが進む方向「正しい」5割 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン

こうなる背景として、ロシアにおける「主権」というものの考え方や「勢力圏」という概念、またロシアのアイデンティティのひとつに「第二次世界大戦の記憶」がある、という本書の指摘が思い浮かびます。

ひとことで言えば、ロシアの考える「主権」とは、ごく一部の大国のみが保持しうるものだという考え方がその背景に指摘できよう。ロシア国際法思想の専門家であるメルクソーが指摘するように、ロシアの国際法理解における主権とは、すべての国家に適用される抽象的な概念ではなく、大国のそれを特に指すものであり、大国の周辺に存在する中小国の主権に対しては懐疑的な態度が見られる。オーストラリア外務省出身のロシア専門家として知られるローもまた、ロシアの言う主権とはごく少数の大国だけを対象とした極めて狭義のものであって、中小国は基本的に主権国家とはみなされていないとしている。

小泉 悠. 「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略 (Japanese Edition) (p.54). Kindle 版.

プーチンに言わせれば、ドイツですら主権を持った国とは言えないらしいです。他国への依存なしに自己決定権を持てる国が主権国家なのであり、その意味でいうと米国の顔色を見ないと行動できない日本もおそらく主権国家とは見なされていないと。逆に、中国やインドは主権を持っていると見なされるようです(核の保有国でもあるし……)。この論理で言うと、当然ウクライナは主権を持たない国というコトになります。

また、ロシアは旧ソ連諸国を直接的に支配することはできなくなったものの、あの手この手で間接的な支配=消極的勢力圏とすることで影響力を維持しようとしていると。そして、その中でもウクライナベラルーシは別格の扱いであるようで。

ウクライナ人とベラルーシ人は民族的にも、言語・宗教・文化などの面からもロシア人との共通性が高く、時に「ほとんど我々」とも呼ばれる。そして、ロシアの地政学思想においては、こうした人々を含む広義の「ロシアの民」が地理的概念としてのロシアの広がりとして理解されてきたことは第1章で見たとおりだ。この意味では、「ほとんど我々」=「ロシアの民」であるウクライナベラルーシは、ロシアの勢力圏の核(コア)を構成するものと言える。

小泉 悠. 「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略 (Japanese Edition) (p.125). Kindle 版.

ロシアから見るとウクライナは実質ロシアの一部みたいなもので、そもそも主権を認められる国でもない、ロシアに従うべき国であると。もちろん国際的にはウクライナは主権を持った独立国家として成立しているワケなので、今回のようなロシアの侵攻は言語道断というコトになるんですが、一方でロシア側から見えている風景は西側のそれとずいぶん違うのだということは本書を読んでいると理解できます。いやもちろん現代の国際秩序という観点から見るとロシアが圧倒的におかしいというコトにはなるんですが、ロシア側からすれば譲れない背景があるのだ、という点は理解しておかないと、問題の本質は見えてこないのでしょう。

そして、第二次大戦においてナチスドイツを退けたという経験が、ロシアにおけるアイデンティティのひとつになっているという指摘も興味深いです。

現在のロシアにとって第二次世界大戦の記憶は貴重なアイデンティティよすがとなっている。それは単にソ連という国家の勝利だったのではなく、ナチズムという悪に対する勝利だったのであり、ソ連はここで全人類的な貢献を果たしたのだという自負は現在も極めて強い。現在のロシアに暮らす諸民族に対しても、「共にナチスと戦った仲」だという意識は(ナショナル・アイデンティティとまでは言えないにせよ)一定の同胞意識を育む効果を果たしている。ロシアの社会が日本では考えられないほど軍隊好きなのも、単に国民性というだけでは片付けられない部分があろう。

小泉 悠. 「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略 (Japanese Edition) (p.38). Kindle 版.

若者はどうなのかわかりませんが、ある程度の年代のロシア国民にとってはロシアの軍隊というのは正義と解放の象徴のような存在なのかもしれません。そういう背景を合わせて考えると、プーチンウクライナ侵攻によってむしろ国内の世論は自分の味方をすると踏んでいるのかもしれません。

ただ、この侵攻によって西側からの経済制裁が強まるとロシアにとってもそれなりのマイナスにはなるはずで、その辺をどこまで考えているのかっていうのは気になるところですが。欧州だってロシアからの資源供給が無くなればかなり困ったコトになるのだし、そこまで強硬な態度には出られないハズだと高を括っているのか、あるいはそういう経済的な損得勘定抜きでやっているのか。

直近のニュースではウクライナとの交渉の用意があるようなコメントも出しているみたいですが、一瞬にして相手の喉元にナイフを突きつけて、「俺の言うことを聞け」と言っているようなもんですよねコレ。そのうえで非武装化や現体制の即時退任を求めるつもりなんでしょうけど、これを交渉というのかどうなのか。ただ、ロシアからしてみると悪いのは自分らの勢力圏をあの手この手で切り崩し続けているNATOアメリカだ、って話になるんですよねえ。

そういや、このロシアとウクライナを巡るニュースをいくつか見ている間に『紛争でしたら八田まで』っていう地政学的リスクをテーマにしたマンガが話題に上っているのを見かけて、Kindle版が1〜2巻無料だったので試しに読んでみたら結構面白く、続きも買ってみたりしているんですけど、この中でウクライナを舞台にしたストーリーの最後にあるコラムの中でもこの『「帝国」ロシアの地政学 』の名前が挙げられていましたね。

ウクライナ問題以外にも、グルジアバルト三国の話、それから北方領土に中国との関わり方、さらにはなぜロシアがシリアに軍事介入したのかっていうところまで触れられていて、ロシアに関する様々なニュースを理解する一助になる本かなと思います。