大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

春の新潟方面ツアー その5:米沢・会津の上杉巡りと国道252号線

※この記事は、春の新潟方面ツアー その4:宿根木と佐渡金山編の続きです。

米沢へ

佐渡島見物で1日潰し、新潟市で2泊したあとは新潟の隣の山形県は米沢へと向かいます。ナビでルート検索したら高速経由のルートを推奨されましたが、国道7号線がバイパスとして整備されているので国道7号線で少し北上⇒国道113号線で東へ向かうルートを取りました。信号も少なく、むしろ高速経由よりも速かったっぽい。

なぜ米沢へ来たかと言えば、米沢市上杉博物館を見物するためです。

なにせ、ちょうど上杉景勝の特別展をやっていたのです。大河パワーでしょうか。

展示品は撮影禁止なので撮ってませんが、一番の目玉は信長が上杉謙信に送ったという、狩野永徳によって描かれた洛中洛外図屏風(国宝)なんでしょうね。ミュージアムショップに屏風のミニチュアまで売ってたし。他にも直筆の書状やら、朝鮮出兵のあとに明の使者から贈られた服なんてのも展示してありました。

博物館に続いて、隣接している上杉神社に参拝。米沢城の跡に明治になって建立された神社で、祭神は上杉謙信。この日は朝からしばらく雨模様だったんですが、それでも拝殿に行列ができる混雑ぶり。どうも私が訪れた前日まで「米沢上杉まつり」が開催されていたみたいで、その影響もあるのかも。駐車場もかなり混雑してました。

上杉神社には稽照殿という宝物館もあったので、入場料払って中を覗いてみました。こちらも撮影禁止なので写真はありませんけども。

ここには上杉謙信・景勝・直江兼続の鎧は当然のこと、謙信が愛用していたという琵琶だとか、謙信が被っていたという頭巾、信長が謙信に贈ったとされるマントまであったりして、結構ぶったまげます。展示物の濃さで言うと、今回巡った中ではここが一番かも。

また、摂社として松岬神社という神社がひっそりと存在しているんですが、こちらは米沢藩中興の祖としてビジネス書なんかにもちょいちょい紹介される上杉鷹山を祀った社。

元々は上杉神社に謙信と鷹山の2人を合祀していたみたいですが、その後鷹山はこちらに分祀されたようです。そのせいか、上杉神社の参道には鷹山の像が座像と立像の2つもあります。

神社に参拝したあとは、少しだけ離れた場所にある上杉家廟所へ。歴代上杉家当主の廟所です。何気に入場料が必要です。

中央に謙信、そこから左に二代目景勝、右に三代目定勝、といった具合に十二代斉定(+鷹山の長男で藩を継ぐ前に没した顕孝)までの廟が並んでいます。

なお、景勝の遺骨は高野山にあるそうで、この廟所には遺灰などが収められているそうな。

十三代斉憲は特に何も無く、十四代茂憲は廟では無く記念碑が建てられてます。斉憲の時代に戊辰戦争があったワケですが、その際に新政府軍とドンパチやったのがなんか関係してたりするんでしょうか。

にしても、こんな風に一カ所に歴代藩主の廟を並べている場所って他で見た記憶がありません。景勝は秀吉の元で五大老まで上り詰めて会津120万石の大大名となったものの、秀吉の没後家康と対立し、会津征伐⇒関ヶ原を経て米沢30万石に減封されるというダイナミックな出世と左遷(?)を味わったワケですが、こうして米沢の地で上杉家が今でも親しまれている様を見ると、景勝の生涯も悪くなかったんじゃないかという気がしてきます。

会津

米沢からは国道121号線を辿って会津若松へ向かいます。ここの山間の風景がまた良かったんですが、少し巻き気味で走ってたので特に写真とか撮ってないです。んで、昼飯は会津の手前、喜多方の道の駅で食べたんですが、喜多方ラーメン丼と喜多方ラーメンバーガーなるものがメニューにあったので思わず頼んでしまいました。

喜多方ラーメン丼はラーメンのスープで炊かれた米にチャーシューや卵、メンマといったラーメンの具材を乗せたもの。

ラーメンバーガーは、なんというか名前から想像されるほぼそのままの品です。

どちらも悪くは無いんですが、しかし「これ普通にラーメン食った方が良くね?」と言われてしまうと非常に反論が困難であります。話のタネにはなるかも知れませんが。

で、このあと鶴ヶ城会津若松城)を目指したんですが、これがもう大変な混雑で。城の近辺の駐車場すべて満車、周辺の道路も大混雑。ここまで混むとは、会津ナメてた。で、しかもこれと前後してクルマがちょっとトラブりまして、急遽ヤナセで点検してもらう必要が生じたため、鶴ヶ城は泣く泣くパスしたのでした。

クルマのトラブルについてはまた別記事で触れたいと思いますが、とりあえず点検の結果「自走するのに問題は無い」との判断だったので、引き続きガシガシクルマを走らせるコトに。

国道252号線と田子倉ダム

この日は新潟県の長岡にあるホテルを予約していたんですが、なぜ長岡にしたかというと、会津若松から魚沼方面に抜ける国道252号線(通称にこにー)を走ってみたかったから。この道、JR只見線と併走している道なんですが、只見線って景色が良いと評判の路線(2011年の豪雨で一部区間は不通になり今に至る ⇒ 只見線の全線復旧に向けて | 会津若松市)なんですよね。

クルマの点検による時間のロスが大きく、ちょっと日が傾いて来た頃合いに252号線を走り始めたんですが、しかしそれでもこの道は走って大正解でした。山と川とローカル線の風景が好きならば間違い無く走るべきです。

ふつーに国道走っているだけでも良い景色があちこちにあったので、もうちょっと調べればステキなビューポイントがたくさんあるんでしょうね。

で、特に良かったのが田子倉ダム・只見ダムのダム湖。↓の写真奥が田子倉ダム

このダムの建設当時はその補償を巡り社会問題にまでなったみたい(⇒ 田子倉ダム - Wikipedia)ですが、この風景を見るとそんな騒ぎもウソの様に感じられてしまいます。国道はこの奥で急勾配の連続ヘアピンを上り、田子倉ダムの堤防上に到達します。で、その堤防の真ん中辺りまでは自由に歩いていけるようで。

で、この堤防上からの眺めがまた格別。

反対側のダム湖の風景もまた良し。

私が訪れたときには閉まってましたが、レストラン&土産物屋さんもあったりしたので、日中は観光地として結構人が来たりしてるんですかね。この写真撮ってるときには数人だけ人が居ましたが。

で、この田子倉ダムを過ぎて行くと、今度はすげーカーブの連続する峠道になります。人呼んで「六十里越」。

古くから新潟県中越地方と福島県会津地方南部を結ぶ街道の一つであるものの、国内有数の豪雪地帯に位置し、且つ雪崩や落石の危険性が高い箇所を経由することから通年では通行できない難所であった。昭和時代に入ってから道路改築と鉄道建設が進められ、まず1971年(昭和46年)に東日本旅客鉄道JR東日本只見線の、さらに1973年(昭和48年)9月には国道252号の、それぞれ県境区間が開業および開通した。いずれも区間内にはトンネルやスノーシェッドが連続して設けられている。

via: 六十里越 - Wikipedia

うん、確かにすごい数のスノーシェルがありました。豪雪地帯ゆえ、冬期っていうか例年だと5月中旬まで通行止めになってるたしいです……が、今年は4月21には開通していたようなので助かりました。252号線の規制状態は只見町観光まちづくり協会のサイトなんかで確認できます。

それにしても、想像以上に素晴らしい道でした。山、川、ローカル線、ダム、湖、そして峠。私が田舎の国道に求めているものが網羅されているといっても過言ではありません。ここ以上にドライブが楽しい国道は全国探してもそうそうありますまい(あったら教えて)。

で、そうこうしている間にホテルを予約している新潟の長岡市に入ったのは20時くらい、しかもひたすら山道を走ってきたので晩飯も食わないまま。もうホテルにチェックインしたあと飯屋を探すのもかったるいやーと思い、通りがかりのセブンイレブンで飯買っちゃうコトにしたんですが……

なんかイタリアンっぽいもの売ってる!

これを見た私、思わず買ってしまったのは言うまでもありません。食べてみたところ、これは間違い無くみかづきやフレンドのイタリアンを意識してますね。麺が少々太めですが、食感は悪くなく結構美味しくまとめているのはさすがセブンイレブン

しかし新潟はコンビニでもイタリアン売ってるんだな、すごいな……。

続く。(次でラスト)