大須は萌えているか?

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「SUZUKA Sound of ENGINE 2016」を見物してきた(中編)

この記事は「SUZUKA Sound of ENGINE 2016」を見物してきた(前編)の続きです。

F1フリー走行

GPスクエアでトークショーとエンジンサウンドを聴いたあとは、再びラウンジ席へUターン。もう少しするとF1マシンの練習走行が始まってしまうので、とりあえずお昼ご飯食べます(ホスピタリティラウンジはお弁当付き)。

そしてF1練習走行、今回の目玉マシンはフェラーリ312Tでしょうか。1975年のデビュー以降多くの派生形が造られたフェラーリの傑作マシンの1つであり、ニキ・ラウダに初の栄冠をもたらしたマシン。

この車両はリシャール・ミルさんの所有だそうで、ドライブしているのもリシャール・ミルさんご本人。ウェットの路面でもある程度踏んでくれてました。ヨーロッパだとこういう稀少なヒストリックマシンでも走らせてナンボ、という価値観が強くてステキ。

312Tに搭載されるのはフェラーリ水平対向12気筒エンジン。ただしスバルのボクサーエンジンなんかと違って、対になるピストンが振動を打ち消し合うように左右対称に動くのではなく、同じ方向に動く=V型エンジンバンク角を180度に広げたものであるため、これはあくまでV型エンジンの派生形なのであり、正確に言うならば水平対向というのは誤りみたいです。

……という理屈はさておき、やはりフェラーリの12気筒サウンドは良い。そこまで甲高い音では無いですが、自分が生まれる前に実戦を走っていたマシンがこれだけ良い音させて目の前走っているというのがもうね。

あと気になったのはアルファロメオ179C。昨年のSound of ENGINEにも参加予定だったものの、直前に故障が判明して来られなかったんですよね。

アルファロメオ179は1979年途中から投入されたマシンで、その後改修が重ねられ、1981年に走ったのがこの179C。この時代はロータスが先鞭を付けた「ウイングカー」全盛の時代であり、このマシンもそれに倣った姿をしています。

マシンに「MARIO」と書かれている通り、1979年にロータスのウイングカーでチャンピオンを獲得したマリオ・アンドレッティが1981年にアルファロメオに加入、179Cをドライブしています。しかしこの時代のアルファロメオはガッタガタで、アンドレッティをもってしても入賞は開幕戦の1度だけ。結局、アンドレッティがフルシーズンF1で走ったのはこの年が最後になってしまいました。

エンジンはアルファロメオV12を搭載してますが、しかしエンジンサウンドはあまりパッとしなかったんだよなこのクルマ。やっぱりあまり調子よく無かったのかもしれません。しかし、F1ウイングカーの実物が走っているのを見るのは初めてだったので、それだけでも嬉しかったですね。

グリッド&ピットウォーク

F1練習走行のあとは、グリッド&ピットウォーク。今年はF1やグループCの主要なマシンはホームストレートのグリッド上に並べて展示されるようになったんですね。この方が360度ぐるっとマシンが眺められるのでステキ。あと、ホスピタリティラウンジの入場者は優先的にピット・グリッドに入れるというオマケ付きでした。

アルファロメオ179C

そんなワケでさっそく、目の前に居たアルファロメオ179Cのケツから下をのぞき込む。ウイングカーはサイドスカートと呼ばれるマシン左右の板で横から空気を逃がさないようにして、マシン底面に巨大なトンネルを作る格好になってます。これによりグラウンドエフェクト効果によるダウンフォースを最大化しているワケですね。

ちなみにこのマシンが走っていた1981年には、増加の一途を辿っていたダウンフォースを抑制する狙いで可動式のサイドスカートが禁止され、サイドスカートと路面の間に60mmの隙間を付けることが義務づけられました。ぱっと見、サイドスカート下の隙間が大きく見えるのはそのため。

たまにWEBで晒されている、コスプレ女子のスカートの中を撮ろうと必死にローアングルからカメラを構えるおっさんを見ると「うわぁ……」と思ってしまう私ですが、このときばかりは「(サイド)スカートの中見せろゴラァ!」と言わんばかりにローアングルの写真撮ってしまいました。大変失礼いたしました。

ティレル006

アルファロメオの前に居たのがティレル006。こちらもリシャール・ミルさんのコレクションで、ドライブしていたのは弟さんだとか。

ティレルというと90年代、中嶋悟片山右京がドライブしていた頃の中堅イメージが強いですが、1970年に初のオリジナルシャシーである001を投入、翌1971年にはジャッキー・スチュワートがドライバーズタイトル&チームもコンストラクターズタイトル獲得という、F1参戦して間もない頃にとんでもない絶頂期があったワケです。

そしてこの006は1972年から74にかけて使用されたマシンで、73年にはスチュワートが3度目のタイトルを獲得した名車。……なんですが、同じ年にポスト・スチュワートと目されていたチームメイト、フランソワ・セベールが凄惨なクラッシュにより命を落としたマシンでもあります。

後述するロータス72同様、前後にインボードブレーキを採用しているのが特徴的。

ヴェンチュリLC92

そしてさらにその前には92年、デビューイヤーの片山右京の愛機・ヴェンチュリ(ラルース)LC92が……ってなんなのこの大人気ぶりは……。

……って、コクピットに右京本人が居るー!

そういやピットウォーク前のトークショーで「LC92の調子が良くなくて走れなさそうなんですけど、ピットウォークの時には『コスプレ』してマシンと一緒に居ようかなと」みたいなコト言ってたっけ。

さらにはレーシンググローブとヘルメットも装着して、エンジン始動のポーズしたり親指立てたりしてサービス満点。しかしこれ、コスプレっていうかまんま自分の仕事着じゃないですか!

ロータス72C

右京ばかりを見ているとピットウォークの時間が無くなってしまうので、急ぎ足で他のマシンも見物。こちらはロータス72C、70年代のロータスを代表する名車・ロータス72シリーズの1台。

葉巻型が主流だったF1に「ウェッジシェイプ」と呼ばれるくさび形ボディを持ち込み、葉巻型ではフロントに置かれていたラジエターを両サイドに配置。現代のフォーミュラカーに通じる原型がありますね。

72は1970年から75年までの長きに渡って使用されましたが、72Cは1970年後半から1971年に掛けて使用されたマシン。そして1970年のモンツァで、当時のロータスのエースだったヨッヘン・リントが命を落としたマシンでもあります。リントは死後F1ワールドチャンピオンになった唯一のドライバー。ちなみにこのとき、パーソナルマネージャーとして雇われていたのが若き日のバーニー・エクレストンだったりもします。

そしてリントの事故の一因になったとも言われるのが、先ほどのティレル006にもあった4輪インボードブレーキ。

普通だとバネ下……ホイールの内側にあるブレーキを車体寄りに取り付けるコトで、バネ下重量の軽減だとか、大径ディスクを取り付けられるとかってメリットを期待して採用されたメカニズムですが、リントの事故の際にはフロントブレーキと車輪を繋ぐロッドが破損したコトによりマシンが制御不能となり、クラッシュしたという話が。

ティレル006とロータス72、どちらも栄光と悲劇が同居するマシンですが、なにせレース中の死亡事故が当たり前のように起きる時代のマシンですからね……。

ウルフWR01

お次はウルフWR01。

ウルフはカナダの実業家ウォルター・ウルフが1977年に立ち上げたチーム。元々1976年にフランク・ウィリアムズのチームに出資し共同オーナーになったものの、翌年ウィリアムズが独立し別チームを起こした(これが今のウィリアムズ)ため、旧チームの資産をそのまま引き継いだのがウルフ。

新興チームとはいえ、ベースとなるチームがあったことと、後にティレル019などを手がけるハーベイ・ポストレスウェイトや、1979年にフェラーリでワールドチャンピオンになるジョディ・シェクターをチームに迎え入れたことで、デビュー戦でいきなり優勝。

しかし1年目は良かったものの、翌年チームは下降線を辿り、やる気を無くしたウォルター・ウルフは1979年でチームを手放すコトに。そんなワケで非常に短命ではあったものの、成績は妙に良くってマシン自体も結構カッコ良かったもんだから、マニア筋には人気のあるマシンですね。

なお、ティレル006・ロータス72・ウルフWR01のエンジンは皆フォード・コスワースDFVです。70年代のF1においてDFVというエンジンがどういうポジションを占めていたか、この事実だけでもわかりますね。それゆえ、エンジンサウンドが皆似通っているのが難点といえば難点なんですが……。

……ってF1のことをダラダラ書いていたらなんか長くなってきてしまった……ので、もう1回だけ続く。