大須は萌えているか?

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「SUZUKA Sound of ENGINE 2016」を見物してきた(後編)

※この記事は、「SUZUKA Sound of ENGINE 2016」を見物してきた(中編)の続きです。

グリッド&ピットウォークの続き

そんなワケで、前回途中だったグリッド&ピットウォークの続きを。

フェラーリ312T

ウルフWR01の次は、今回のレジェンドF1マシンの中でもメインディッシュ(?)のフェラーリ312T。70年代のフェラーリを代表する、っていうか1974年から1980年まで312Tシリーズで戦ったワケですから、まさに一時代を築いたマシンといえますね。

マシンをデザインしたのはマウロ・フォルギエリですが、この人車体だけでなくエンジンの方の設計も手がけているというオールマイティーな人。今じゃちょっと考えられませんが。1980年代後半には長年在籍したフェラーリを離れ、ランボルギーニのF1エンジンを設計したりもしています。

フェラーリ312Tは3リッター12気筒エンジン横置きトランスミッション(Transverse)から命名されていますが、312Tシリーズ初代となるこのマシンは高くそびえるインダクションポッドも特徴的ですね。これは当時のトレンド。

その巨大なインダクションポッドが行き着くところまで行き着いちゃったのがリジェ・JS5というマシンであり、程なくして高くそびえるインダクションポッドはレギュレーションで制限され、フェラーリも次の312T2ではこのインダクションポッドは姿を消しました。まーお世辞にも格好いいとは言えませんが、この当時のF1マシンの外見的特徴を表す大きな要素であるのは間違いないですね。

この車両はラウダではなく、チームメイトのレガッツォーニの名前が書かれていますが……そういや後年、ホンダのCMにも出てたよねレガッツォーニ。

ロータス97

そしてこちら↓はロータス97T。1985年、トールマンから移籍してきたアイルトン・セナと、エリオ・デ・アンジェリスがドライブしていたマシン。セナがF1初優勝を遂げたマシンでもありますね。

ロータスの象徴的なカラーリングであるゴールドリーフカラー(前回の記事で触れたロータス72のカラーリング)とJPSカラーの両方を一度に拝めるとは実に眼福であります。やっぱJPSカラー格好いいよね。

87年シーズンが始まる前、当時ホンダF1プロジェクトの総監督だった桜井淑敏が、ウイリアムズに加えてロータスにもホンダエンジンを供給したい旨社内の偉い人たちに上申する際、JPSカラーのマシンにホンダロゴを差し込んだイメージ写真を見せたらすごくウケたという話も(三栄書房『GP Car Story Lotus 99T』掲載の桜井淑敏インタビュー)。結局、JPSは87年シーズン前に撤退し、ロータスのマシンはキャメルカラーになっちゃうんんですけどね?

練習走行では走ってなかったので今日は走行しないんだろうなーと思っていたんですが、午後のデモレースでは走ってくれました。エンジンはルノーV6ターボ、NAとは違う低めの野太い音が特徴的です。昨年のSound of ENGINEはセナがデビューイヤーに乗ったトールマンTG184が招かれて、今年はセナが2年目に乗ったロータス97T……まさか毎年セナが乗ったマシンを1台ずつ紹介していく目論見では……。

補足:グループC概略

グリッドウォークも後半戦、ここからはグループCカー。ぶっちゃけグループCはあまり知識が無いのでアレなんですが、そもそもグループCとは1982年に制定されたレース車両カテゴリーのひとつ(他にグループAとかBとかいろいろあった。F1のような国際フォーミュラはグループDに分類)で、それまでシルエットフォーミュラだとかプロトタイプカーだとかって言われていたカテゴリーを再編したものになります。

このグループCの特徴として、エンジンに関する規則がガバガバだったというのがありました。排気量はどれだけでもOK、ターボエンジンもOK、もちろんロータリーエンジンもOK。その代わり、燃料タンクの大きさに制限があり(100リットル)、レースの距離に応じて補給可能な回数も制限されてました。つまり、自由な発想で燃費が良くてパワーの出せるエンジンを作ってね、という、エンジン技術者さんにとってはかなりステキなカテゴリーだったワケですね。

同時にグループCによる世界選手権(年代によってWEC、WSPC、SWCと名称が変わった)が始まり、ルマン24時間レースもそこに組み込まれたもんだから、各メーカーがグループCマシンの開発に力を入れるようになったのは自然な流れでした。そうして80年代のモータースポーツ界にその名を轟かせたグループCですが、80年代末になって一気に雲行きが怪しくなります。

というのも、当時FISA国際自動車スポーツ連盟)の会長で暴君として知られたジャン・マリー・バレストルというじいさんが、「91年からグループCのエンジンはF1と同じ(当時)3.5リッター自然吸気のみにするからー」とぶち上げたのです。しかも各レースの走行距離はより短く、燃費規制は撤廃。早い話「屋根の付いたF1」を作れと。どうもこれはメーカーにF1への参入を促す狙いがあったとかって話ですが。しかしこれでは、当初のグループCとは完全に別物。

今まで自由な規定の中でそれぞれの最適解を探ってきたメーカーにしてみればたまったもんじゃありません。一応91年は旧規定のクルマでもエントリーは可能だったんですが、ウエイトハンデが課せられまともに勝負できる状態ではなく、この流れを嫌ったメーカーは相次いで撤退。結局92年いっぱいで選手権そのものが消滅し、グループCというカテゴリーは10年あまりで幕を閉じることになりました。

……と、ここまでが前置き(長い)。

日産NP35

長い前置きを踏まえてこの日産NP35というクルマを見てみますと、92年に制作された車両で3.5リッターV12エンジンを搭載しています。

日産はグループCの新規定には準備が間に合わず、91年から世界選手権への参戦を見送っていたんですね。一方で国内で開催されていたスポーツプロトタイプ選手権(JSPC)は旧規定のグループCが使えたので、こちらは継続。そのJSPC、92年は旧規定と新規定のマシンそれぞれにタイトルが与えられるコトになったんですが、そのJSPCの最終戦のみにエントリーしたのがこのクルマ。

日産は極秘裏に新規定に対応したマシンを開発しており、それを92年のJSPC最終戦に持ち出したんですね。ただ、先にも触れたようにこの年いっぱいで世界選手権は消滅、JSPCも結果的にこの年いっぱいで消滅となってしまいました。なのでこのマシンは結局国内で1戦だけ走ってお蔵入りになったという、数あるグループCカーの中でもかなりマニアックなクルマ、というコトになるんじゃないでしょうか。

R92CP

……ってまたなんか長くなってしまっているので巻きで進めます。

こちらは旧規定グループCの最後を飾った、R92CP。JSPC最後の年となった92年のチャンピオンマシンですね。

星野一義は91年、92年とJSPCを連覇。旧規定最後のマシンというコトで、3.5リッターV8ツインターボのエンジンは予選ブーストで1000馬力を軽く超えたそうな。そういや星野さん、トークショーで「濡れた路面だと4速でもホイルスピンしそうになる」みたいなコト言ってましたっけ。どんだけ。

ポルシェ 962C

ポルシェ962CはグループC最初期に開発されたポルシェ956の進化版(というか車両規則変更に適応するためのモデル)。956はグループC発足当初からレースを席巻し続けた名車で、他メーカーにとってグループCとは「ポルシェを倒すための戦い」だったと言えそう。カスタマーチームにも多く販売されており、これ↓はクレマーが独自進化させた「962CK」。こんなとこにもレイトンハウスが。

こちら↓はシュパン・ポルシェ962LM、なんとこのナリで「ロードゴーイングカー」、つまり公道を走れるように仕立てられたクルマ。

これ以外にも962ベースの公道仕様車はいくつか存在するみたいですが、こんな「まんまグループC」なクルマが公道かっとんで来たらビビるわ。TS020やR390の市販バージョンもこれに比べると可愛いもんですね(?)。

ジャガーXJR–8

F1好きとしてはジャガーってなんかびみょい感じですが。しかしグループCではかのトム・ウォーキンショー率いるチームが87年に世界選手権でタイトル獲得、翌年にはルマンでも優勝を遂げて「無敵のポルシェ」を倒したクルマ。で、このXJR–8はその87年タイトル獲得時のマシン。

↓こちらが1号車(シャシーNo.187)で

↓こっちが3号車(シャシーNo.387)。

同じXJR–8でも外観上の違いがあるのは面白いですねぇ。どういう理由だろ。ジャガーとのコンビでマネージャーとして名声を築いたウォーキンショーは、数年後ベネトンに招かれF1でフラビオ・ブリアトーレと共に辣腕を振るうコトに。

スカイライン スーパーシルエット

こちらはグループCではなく、その前身であるグループ5、シルエットフォーミュラと呼ばれるカテゴリーに属していたスカイラインスーパーシルエット

ちょうど同じ頃やってた『西部警察 PART–2』でDR30スカイラインをベースにした「マシンRS」がシルエットカーと同じようなカラーリングで登場しており、子供の頃それを見てすげー格好良く見えた記憶があります。「大人になったらスカイライン乗りたい!」と思いましたねぇ。結局一度も所有したコトないですけども。

マツダ787B

今度はグリッドからピットの方へ。ホントは一番音を聴いてみたかったマツダ787B

なにせ国内仕様ではなく、ルマンを制した55号車そのものですからねぇ。普段はマツダミュージアムで動態保存されてるんでしたっけ。マツダがルマンに勝った91年は、先にも触れた新旧の車両規則が交錯する年であり、マツダに有利な面があったのも確か。しかしこのクルマが勝っていなかったら、未だに日本車はルマンで勝ててないコトになってたんですよねぇ。

このマシンのサウンドを聴くために、晴れの予報が出ていた日曜日も鈴鹿に行こうかと悩みましたが……2日連チャンで鈴鹿へ行くと月曜日仕事にならなくなりそうだったので断念。……来年も来てくれないかなぁ?

フェラーリF1

こちらのガレージ↓にはフェラーリのF1マシン3台がおりましたが、皆調子が悪いのかウマに乗せられて整備されている様子。

しかしながら、このあとのデモレースでは3台の中の1台、F2003-GAが走ってくれて感激。

プリンス スカイラインGT & R380A

そしてこちらはプリンス時代のスカイラインGTと、その後ろにはR380A……ってなんかその脇にレーシングスーツ着た人が……って星野さんじゃん。

さらに長谷見さんと、スーパーGTでお馴染み柳田真孝も。

クルマの写真撮りながらも、あの3人が何喋ってるのか妙に気になったのでした。

荒ぶる星野一義

グリッド & ピットウォークのあとはグループCのデモレース。NSXのセーフティカーに先導されて1周したあと、ローリングでビッグパワーのマシンたちが加速していく様は全開ではないにせよ迫力ありましたねぇ。

ターボカーは回転数もそこまで高くなく、低く野太い音なんですけど、新規定3.5リッターV12を搭載する日産NP35はまさにF1さながらの吹き抜けるような音を奏でており、シビれましたねぇ。しかしこの新規定がグループCを滅ぼしちゃったんですけど。

NP35は柳田がドライブしていたんですが、それを星野一義が駆るR92CPがテールトゥノーズで突き回し、挙げ句デモレースだっていうのにオーバーテイクまでする有様。さらに別のクルマにヘアピンで仕掛けたりもしていたようで、どうも星野御大のレーサー魂にスイッチが入ってしまっていたようです。この人、もう70歳近いんだぜ……。

デモレースのすぐあと、GPスクエアで行われていた星野・中嶋トークショーも見物に行ったんですけど、星野さんテンションが下がりきっておらず、なんかまだレーサーの顔してました。なんかこれなら現役でいけそうやな……。

しかし中嶋悟は「この前認知症の検査受けてきて、まだ大丈夫だった」なんて話してましたが。さすがに元F1レーサーが認知症になって道路逆走して事故りました、とかニュースになったら嫌だもんな(?)。しかし「自分が認知症になるわけない」と信じ込んじゃう年寄りも多い中、日本でもトップクラスのレーサーだった人がちゃんと認知症の検査受けに行くって素晴らしい。

さらにそのすぐあと、グランドスタンドで60年代プロトタイプトークショーというのをやっていたので行ってみたんですが、こちらは鮒子田寛(70歳)&北野元(75歳)&砂子義一(84歳)という星野一義よりもさらに上の世代の、それこそ日本のレース黎明期を知っているような世代。

印象的だったのは、四輪ではプリンス・日産一筋だった砂子さんが「日産以外のクルマでレースできたとしたら、どのクルマに乗ってみたいか」と質問された際、「日産以外に乗るなんて考えられない」と答えていたコト。プロレーサーは競争力の高いシートを見つけるのも仕事のうち、そのためには契約問題のゴタゴタも付きもの……なんてF1見てると思うワケですが、日本のレーサーは義理というかしがらみというか、そういうの大事にしちゃうんですよね。

そういや星野さんも「日本人は義理人情を大事にするからさ、どんなに怖くたって『行けるか?』って聞かれたら『はい』って言っちゃうんだよ。自分から『危ないから止めるべき』なんて言えない」(うろ覚え)みたいなコト言ってて、こういうところは日本人の美徳でもあるんでしょうが、同時にレーサーとしての欠点にもなっている気がします。

F1デモレース

そして最後にラウンジ席へ戻り、F1デモレースを見物。デモレースでは練習走行に姿を見せてなかったロータス97T、フェラーリF2003-GA、さらにはティレル019が2台(!)も登場し、さらにそれを中嶋悟・大祐親子がドライブするという。

トークショー中嶋悟が「レインタイヤ無いからウェットじゃ走れない。少しずつ乾いてきてるから行けと言われれば走るけど、中途半端が一番危ないからウェットのままでいてくれた方が良いな」なんて話してましたが、結局行くことになったんですねぇ。ただ、父の方のマシンは最初からエンジン音が低く、なんか調子悪そうだなぁと思ってたら途中でピットに戻ってきてしまいました。大祐の方はもうしばらく走ってましたけども。

にしても、土壇場で初登場となったF2003-GAはいい音してました。V10時代のF1サウンド、今となっては懐かしい音ですが、やっぱりこれがF1の音だよなぁ……。

こうなると、V12時代のフェラーリも音聴きたいですね。個人的には成績的にはパッとしなかったものの、ジョン・バーナードが手がけた412T1とか好きなんですが……連れて来られません?あとV10であればやはりウィリアムズ・ルノーとか。

今年は天気には恵まれませんでしたが、それでも今まで実物を見たことが無かったマシンに多く出会えて良かった良かった。天気の割にはそこそこお客さん来ていたように見えましたし。願わくばこのイベントが定着して、もっといろんなマシンを呼べるようになって欲しいですね。キャンギャルのおねーさんが一人もおらず、ひたすらクルマを見てそのエンジン音を聴く、というなんともマニアックなイベントではありますが、だがそれが良い。これだけモータースポーツの文化・歴史に触れられるイベントは日本じゃなかなか無いと思います。

来年も面白いクルマ呼んでください、鈴鹿サーキットさん。期待してます!