大須は萌えているか?

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吉村昭『戦艦武蔵』と『陸奥爆沈』を読んでみた

G/Wに長崎を訪れた際、三菱重工長崎造船所なんかを見て「いつになったら艦これで武蔵を建造できるようになるのかな……」なんてコトに思いを馳せていたところ、同行していた荒川茂樹氏(仮名・東京在住)が「武蔵に興味があるならば吉村昭の『戦艦武蔵』は読んでおくべきだ」と言うもんだから、旅行から帰ってきたあと読んでみました。ちなみに、Kindle版も出てたんでそちらを。

戦艦武蔵
リエーター情報なし
新潮社

子供の頃から活字離れが甚だしいので吉村昭の著作は今まで読んだコト無かったんですが、いや確かにこの本は面白かった。一気に読んじゃいました。この本が発表されたのは1966年、小説の体裁を取りながらも綿密な取材の上で実在の人物を描いている、いわゆる「記録小説」です。

ただ、小説ではあるものの全体的に筆致が冷静なんですよね。過剰に盛り上げるような書き方はせず、淡々と綿密な取材による事実を積み上げ、その時々の情景を再現している感じ。そういう意味では、関係者の証言や資料を基に、武蔵建造から沈没までを再構成したルポルタージュというべきなのかも。

『艦これ』の関連書籍なんかでも紹介されている、武蔵建造時にはこれを秘匿するために棕櫚(しゅろ)のスダレで周囲を覆っただとか、進水時には狭い長崎港内の水位が一気に上昇して周辺の住宅に浸水被害が出ただとかってエピソードも記載されており、たぶんそういうのもこの作品がネタ元になってるんでしょうね。

全ページの7割くらいは武蔵建造のエピソードで占められており、特に極秘で建造された艦ゆえにその機密保持にまつわるエピソードが多い感じ。プロジェクトの全貌を知る人間はほんの一握り、建造に携わる人間は全員が身元調査をされた上に一切の口外を禁ずる宣誓書にサインさせるという徹底ぶり。

「今後、工事が始まれば、それにタッチする者は、益々増加します。竣工までには、おそらく三千名、四千名という所員がそれに取り組むことになりますが、機密保持の方法については、どのように考えますか」 玉井所長は、気遣わしげに首席監督官にたずねた。

「当然、それは、そうなる筈だ。それについては、艦政本部とすでに打合わせずみで、一人一人の身元を調査した上で、さらに絶対に口外させないよう宣誓をさせることになっている。艦の全体の規模がわかる基本設計図と主要寸法は、所内の最高幹部数名が窺い知るだけで、それ以外の者には、部分部分の図面しか目にふれさせない。万が一、機密を漏らすような者が出た場合には、本人はもちろんのこと監督者も連帯責任を負って処置されることを覚悟してもらいたい」

監督官の語気は、荒かった。

via 吉村昭戦艦武蔵Kindle

呉の海軍工廠で建造された大和と違い、民間の造船所に発注された武蔵は大和以上に機密保持には気を遣っていたんでしょうね。しかし、それでも武蔵の設計図面が1枚紛失するという事件が起きています。しかも、最も機密性の高い「軍極秘」の、主砲砲塔の一部が記されたもの。

総力を挙げて図面を探すも見つからず、事故から一ヶ月してようやく判明したのは、製図工として関わっていた19歳の少年が、職場から逃げ出したいが故にわざと図面を1枚紛失させた(ボイラーで焼却してしまった)……という。どんなに厳密に管理しているつもりでも、数千人という人間が居れば隙もできるし、妙な考えを起こす人間も当然居るって話ではあります。

あと、別の若い工員がガントリークレーンの長さから艦全体の長さを推定し、屋台で酔った勢いでそれを口にしてしまい、翌日特高警察に逮捕されたなんていうエピソードも。極秘裏に建造されたという武蔵でも、裏ではこういう人間くさいエピソードがあるというのは、逆にリアリティを感じます。数千人の人間が皆規律を守り、完璧に仕事を遂行するなんてコト有り得ないですし。

前例の無い巨艦であるが故の苦労も多かったようで、例えば主砲の46センチ砲は呉の海軍工廠でしか作れず、しかも途方も無く重いため陸路では運べず、海路もその重量に耐えうる運搬船が無かったため、主砲運搬専用の船を建造したんだとか。また、進水後の武蔵を回航するために専用の曳船も建造したというんだから、途方も無いスケールですね。

建造時のエピソードで一番手に汗握る(?)のは進水時の話。ドック内で建造された大和は注水して浮かべればOKだったものの、船台上で建造された武蔵はそこから海面に滑り降ろして進水させる必要があったと。しかし、武蔵の途方もない重さゆえに、そもそも船台から滑らせられるのかという問題があったと。その重さに耐えうる強靱な進水台と、滑らせるために使う獣脂の選定にも相当な苦労があったようで。

加えて、武蔵を建造した第二船台は対岸までの距離が短く、計算上普通に滑り降ろしてしまうと対岸に激突してしまう。それを避ける方法を検討した結果、船体の両舷に鎖を取り付け、その重さで船体の動きを止めるという方法を採用。鎖の重さは合計570トン。それだけの鎖は長崎に無いため、呉・佐世保舞鶴・横須賀の海軍工廠から鎖をかき集めたんだとか。

ちょっと分かりにくいですが、グラバー園から撮影した長崎造船所。中央のクレーンの対岸奥が第二船台。対岸まであまりスペースが無いのはわかります。

さらに問題なのが機密保持。今までは棕櫚スダレで隠していたものの、進水させた途端、港内にその姿を晒すコトになってしまいます。そのため、防空演習という名目で市民が外を出歩くことを抑制し、高台や海岸線には憲兵や警察官を配し市民の監視に当たらせたと。挙げ句、外国人の家には家庭調査と称し警察官に一斉に戸別訪問させ、港から目をそらさせるなんてコトまでしたようで。

結果、1940年11月に武蔵は無事進水し、長崎・佐世保で艤装を終えたあと1942年8月に就役。呉の柱島泊地を根拠地に訓練を行い、いよいよ南太平洋のトラック泊地へ進出。

……その後の顛末はよく知られるところではありますが、就役からわずか2年ちょいで撃沈されるまでの間、ホントに活躍の場が無かったんですね。横須賀からパラオに向かうときなんかは、兵員と補給物資を満載して輸送艦代わりに使われる有様。敵潜水艦などにより海上輸送が麻痺していたコトを受けてのコトみたいですが、なんとも贅沢な輸送艦です。

就役してからの描写はますます淡々としたもので、あれだけ苦労して建造された艦がどうしてこうなったと言わんばかり。トラック、パラオではほとんど外洋に出るコトもなく訓練のみに明け暮れ、ようやくその真価を発揮できると思われたレイテ沖海戦では敵航空機の攻撃をまとめて引き受けるコトとなり、大量の爆弾と魚雷を浴びて沈没。「不沈艦」だったハズなんですが。

この『戦艦武蔵』に続いて読んでみた、同じ吉村昭の著作『陸奥爆沈』(こちらは小説ではなく、吉村昭自身の目線から語られるルポ形式)にはこんな記述があります。

しかし、私は、一種の兵器である軍艦そのものに対する興味はなく、その集結地である柱島泊地にも関心はない。

(中略)

そうした私が、「戦艦武蔵」を書いた理由は、フネのまわりに蝟集した技術者、工員、乗組員などに戦争と人間との奇怪な関係を見、また多くの技術的知識、労力、資材を投入しながら兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員とともに沈没した「武蔵」という構造物に戦争というもののはかなさを感じたからであった。

via 吉村昭陸奥爆沈』Kindle

また、戦争についてこんな風にも。

戦争は、多くの人命と物資を呑みこみ、土地を荒廃させ人間の精神をもすさませる。失うことのみ多く、得ることのない愚かしい集団殺戮である。それを十分承知しながら、人間は戦争の中に没入し、勝利をねがって相手国の人間を一人でも多く殺そうとつとめる。戦時中少年であった私もその一人だったのだが、私が戦争を書く理由は、自分も含めた人間というものの奇怪さを考えたいからにほかならない。

via 吉村昭陸奥爆沈』Kindle

著者にとって、武蔵は戦争の奇怪さの象徴なんですね。ただ、多くの人がこうした巨大戦艦に憧れたりするのも、その奇怪さゆえなのかもしれません。『戦艦武蔵』を読了するとその著者の意図するところは十分に伝わってくるんですが、中にはこの小説を武蔵を讃えたものと捉える人もいるみたいで。

思想とよべるものが日本にあるとしても、それはすべて外来のもので、固有の思想はない。思想のきざす土壌が、貧弱なのだ。
しかし、敗戦という形で終わったあの戦争は、日本の土壌になにか肥沃にさせる養分をあたえたのではないか。日本に、ようやく思想らしきものの生まれる得がたい機会が訪れたとも言える。

(中略)

だが、私は、最近多分に悲観的になっている。得がたい機会をあたえられながら、思想らしきもののきざす気配はきわめて薄い。その最大の理由は、とかく過去を美化しがちな人間の本質的な性格にわざわいされているからで、あの戦争も郷愁に似たものとして回顧される傾きが強い。
私の書く小説も、このような戦争回顧の渦中に巻きこまれている節がある。それは、読者の側の自由であるのだろうが、書く側としては甚だ不本意である。私が戦争について書くことをためらうのは、戦争を美化してとらえる人々の存在がいとわしいからだ。

陸奥爆沈』が新潮文庫から発売されたのが1979年とありますので、『戦艦武蔵』より13年後ですか。なんかその当時から今に至るまで、状況はあんまし変わってないような気がしますね。著者が今のネット右翼とか見たらどういう反応を示すだろうか。

まー私も艦これきっかけで興味持ったクチなので偉そうなコトは言えないんですけどね?ただ艦これを弁護しておくと、あれがゲームのキャラやステージを史実の軍艦や海戦に引っかけているのは、戦争を美化しているワケではなくて、ゲームをきっかけに興味が湧いたら史実のコトも調べてみてね、というスタンスだから(田中Pがあちこちで語っている話)。そこにまんまと乗せられているのが私。

でも、あのレベルでも「右傾化ガー」とか言う人も居るのでアレなんですが。

なんか話が逸れましたが、『陸奥爆沈』の方も読み応えある内容でした。本書では断定こそしていないものの、陸奥爆沈の原因を内部犯行説(乗組員が意図的に第三砲塔の火薬庫を爆破した)と推論しており、そう考えるに至ったプロセスが詳細に記述されています。

そもそも陸奥の爆沈は呉沖の柱島泊地停泊中に起きたコトであり、敵の攻撃である可能性はほぼ無し。それに、魚雷で撃たれたにしては雷跡や命中時に上がるハズの水柱を目撃した者も居ない。

沈んだ船体を調べたところ、爆発したのは第三砲塔の火薬庫でほぼ間違いないという結論。その後疑われた三式弾の自然発火も、実験の結果否定されるコトに。そうなると、あとは人為的な要因しか残らなくなってくるワケですね。

そもそもが陸奥爆沈以前からも海軍内では乗組員の手による軍艦爆破事件が一度や二度ならず起きているみたいで、それらの事件の詳細を追うコトで帝国海軍という組織内部にある「人」の問題にスポットライトを当てています。ていうか、日本海海戦の旗艦「三笠」も人的要因により一度爆沈しているんですね……。

武蔵の設計図面を焼いてしまった製図工の少年もそうなんですが、何千人という人間がそこに関わっている以上、思い詰めて突飛な行動に出る人間が居てもまったく不思議じゃないというコトでしょう。そこに加えて軍内部の規律の厳しさや、軍艦内という狭い世界ゆえの軋轢もあるでしょうし。現代でも、時折自衛官のいじめや自殺の問題が報じられますよね(⇒ たちかぜ自衛官いじめ自殺事件 - Wikipedia)。

陸奥爆沈の犯人と思われる人物は、艦内で常習的に窃盗を行っていたようで、それを疑われ追求を受けそうになった矢先に爆沈事件が起きたそうです。盗んだ金品は遊行費に充てられていたようで、これもストレスのはけ口としての行動だったのかもしれません。

今の常識で考えると、窃盗がバレそうになったからって、戦艦とその二千人を超える乗組員を道連れに自殺するか……?と思っちゃうところですが、なんせ勤務先が戦時下の軍艦という特殊な状況です。

鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門
日向行こうか、伊勢行こか、いっそ海兵団で首吊ろか
地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡
乗るな山城、鬼より怖い

てな標語もあったそうですね。

この本、その当時の海軍という組織や、その人間模様を窺えるという意味でも興味深い内容でした。今も昔も、人間ってそんなに変わっちゃいないんですよね、きっと。

陸奥爆沈
リエーター情報なし
新潮社