大須は萌えているか?

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九州縦断ツアー再び その3:長崎造船所と熊本城

※この記事は九州縦断ツアー再び その2:ギリギリのバランスを保つ島・池島 の続きです。

長崎は今日も雨だった

池島から西海市の瀬戸港に戻ったあとは、宿をとっていた長崎市内へと向かい1泊。翌日、ホントは南島原へ向かって原城跡などを見物しつつフェリー乗って天草に渡り、天主堂とか見て回って鹿児島へ行こうかなー、と思っていたんですが、前日の午後から降っている雨が止んでくれません。むしろ、この日一日中、かなりの勢いで降るという予報。これじゃフェリーがどうなってるかもわからない……。

そんなワケで、「プランB」として船は使わず、陸路でぐるっと回って鹿児島を目指すことにしました(この日の宿は鹿児島にとっていたので、向かわざるを得ない)。熊本市のもうちょい南から橋を渡っても天草に行けるようなんですが、そのルートだと時間がかなり掛かりそうで鹿児島着くのが何時になるか分からなさそうなので却下。まぁ天草は昔一度行ったので、スルーしても……。

とか言って旅行から戻ってきたら、こんなニュースが出ていて間が悪いというか何というか……おのれ低気圧。

長崎・天草、世界文化遺産に登録へ 潜伏キリシタン遺産:朝日新聞デジタル

長崎造船所 史料館

なにぶん天気が悪いので、屋内でなんか見られるもの無いか……というコトでまず行ってみたのが、三菱重工 長崎造船所(以下「長船」)内にある史料館

ここ、前回長崎訪れたときにはいつでも見学できるような施設では無かったんですが、その後この史料館の建物等が世界遺産の構成要素となったことで、月一&年末年始の休館日意外は見学可能となった模様。見学前に電話予約(電話のみ!)が必要なんですが、池島で帰りの船待っているときにふと思い立って予約しておいたのでした。

個人見学の場合、長崎駅から出ているシャトルバスに乗って史料館に送迎してもらう形になります。一日何便か出ているので、予約時に何時のバスに乗るかを指定する格好。見学時間は50分で、その時間が過ぎたら帰りのバスに乗って長崎駅に戻るっていう。

史料館の建物自体は、1898年に木型場として建てられたそう……って120年前か……。当然、長船でもっとも古い建物。原爆も落とされた長崎で、よくこんな昔の建物が残っているもんです。

館内は撮影禁止の札があるとこ(数カ所程度)以外は撮影OKなんですが、史料館外の造船所敷地内は撮影禁止。ホントは、これも世界遺産の構成要素にもなっているジャイアンカンチレバークレーンだとか、戦艦武蔵を建造した第二船台とか間近で写真撮りたいんだけどなー……もうちょっと見学時間長めでそっちにも案内して貰えたら最高なんだけどなー……。まぁ敷地外から見えるっちゃ見えるんだけど……。

史料館に入ったらまず簡単な説明を受けるんですが、そこで巨大な岩崎弥太郎像がお出迎え。なんだこの存在感は。

館内ではスタッフの方が展示物を順にざざっと説明しながら案内してくれるんですが、見たいものを自由に見て貰っても構わないとのこと。私はせっかくなので、ガイドを聴きながら見物してました。

最初は江戸時代から太平洋戦争に至るまでの時代のモノや写真が展示されてるコーナーを見物。長崎造船所の前身となるのが江戸幕府が開いた「長崎溶鉄所」であり、一企業の歴史というよりは日本史そのものなんだよなあ……。

下の写真は「泳気鐘」という代物。徳川家斉が命じてオランダに発注されたそうですが、到着までに何十年もの時が経過してしまい、使い方もわからぬまましばらく倉庫に放置されていたそうな。この鐘みたいな物体の中に人が入って水中を観察するための物らしいですが……なんか拷問器具にしか見えない……。

下の写真は現存する日本最古の工作機械だそうで。これも幕府がオランダから購入したもの。平たく言うと「うすらでかいミシン」みたいな感じ。

三菱マーク入りの鬼瓦まであったりして。こんな風に展示されてると、どこかの城跡から発掘された物のように見えるから困る。

下の写真は、日露戦争時にロシア艦隊からの砲撃を喰らったという「佐渡丸」の外板。あんまり厚みがないせいもあるかとは思いますが、見事なぶち抜かれっぷり。

長船で建造された船の写真もいろいろ展示されてます。初めて知ったんですけど、ここで建造された船って軍艦・民間船問わず通し番号が付けられているんですね。写真の「日向」は241番船(「霧島」は225番)。

そしてここで建造された船の代表格といえばやはり戦艦「武蔵」。

南洋で戦死した山本五十六の遺骨を運んできた武蔵に昭和天皇行幸した際の写真も展示されてましたが、この要塞感すごい。これが海に浮かんでたってねえ。

武蔵の建造時にも使用されたという大型ハンマー。鋼板の曲げ加工に使っていたとか。実際持つことも出来るんですが、重さが22キロありまして数センチ持ち上げただけで心が折れました。

それから、武蔵の進水式用の斧。存在そのものが軍機密の艦なので、「武蔵」の名前は書かれておらず「第二号艦」とだけ書かれてるんですね。もちろん、第一号艦は「大和」。

長船における綿密な取材の元、『戦艦武蔵』を著した吉村昭のコーナーまでありました。手書きの取材ノートまである。(関連過去記事⇒ 吉村昭『戦艦武蔵』と『陸奥爆沈』を読んでみた

なぜか九一式魚雷も中身が見えるようにして置かれてました。

あとインパクトのあった展示物としては、破損したタービンローターでしょうか。1970年に50トンもある大型のタービンローターが高速回転中に破裂するという事故があったそうで、その破裂した破片そのものが置かれてます。こんな巨大な金属の塊がこんなズタズタになっているという見た目のインパクトがすごい。

客船のコーナーでは、船内装飾のイメージ図とでも言うべきカラースキームが展示されてました。下の写真は戦前の豪華客船・橿原丸のカラースキーム……しかしこれらの船内装飾は世に出るコトは無く、空母「隼鷹」になるワケですな……。

正直、50分の見学時間では少々物足りないくらいのボリュームがありました。ここも、もう1回来ても良いくらいの場所だなあ。艦これ提督的には、テンションの上がる展示物もいっぱいありますしね。

熊本城

長船を見物したあとは、クルマで高速に乗って佐賀を経由しつつ熊本方面へ。途中、佐賀県のサービスエリアでちゃんぽんとチャーハンのセットを食べました。

途中、断続的に台風みたいな激しい雨にも見舞われたのでゆっくりめに走って行ったんですが、このまま真っ直ぐ鹿児島へ向かうのもシャクだったので、途中熊本城に寄ってみました。今まで来たコト無かったんですよね、熊本城。前回九州来たときなんて、熊本市街で1泊したにも関わらず。また訪れるチャンスはあるだろ、くらいに思っていたんですが……

震災の爪痕が深く刻まれたまま。熊本地震が発生したのが2016年4月、愛知県に居る身からすると「過去の出来事」になりつつありますが、こうして熊本城の状況を見るとかなりショックを受けますね。

復旧工事中の大天守は少しずつその姿を見せつつあるようですが、小天守がめっちゃ宙に浮いてる……。

芝生には、倒壊した石垣が整理して置かれてました。これ、元通り組み上げるのに何年掛かるんだろう……。

ギリギリのバランスで支えられているように見える戌亥櫓。見た目のインパクトがスゴく、また見やすい場所にあるため、新たな観光名所になっているという話も(⇒ 熊本城:もう一つの“一本足”戌亥櫓が新名所に - 毎日新聞)。

「三の天守」こと宇土櫓は比較的無事なようにも見えますが、よく見ると壁面が一部剥がれ落ちていたり、石垣が膨れ上がったりと、やはりかなりのダメージを負っている様子。

城内のあちこちに立ち入り禁止のバリケードが築かれており、これだけでもかなり物々しい様子。 

クルマは二の丸の駐車場に置いていたんですが、雨がやや小降りになっていたので、三の丸の方もぐるっと回ってみました。しかし、こっちの方もかなり激しく石垣が崩落しちゃってますね。

初めて訪れた熊本城がこういう状態なのは非常に残念なんですが、いつか修復が完了した暁にはまた訪れたい場所。全部が修復できるのは20年後、という報道もあったようですけど(熊本城復旧、20年後目指す 熊本市長「天守閣は3年で」 全体費用600億円超 - 産経WEST)……とりあえず復興城主の募金してみるか……。

……にしても、熊本って市街の中心部から高速のインターまでが結構遠いのね。前回は電車で熊本まで来てレンタカー借りたから気にならなかったんですけど、九州自動車道が市街の東の端を通ってて、かつそこまでの道の交通量も結構多い。これ、もう少しなんとかならないですかね?

おまけ

鹿児島で宿泊したホテルのすぐ近くに、評判の良さげなとんかつ屋さん(⇒ 味のとんかつ 丸一 [食べログ])があったので行ってみたら、確かにめっちゃ美味しかったしボリュームも素晴らしかったです。上ロース定食の肉の厚みがヤバイ。

肉が柔らかい一方で、衣がカリカリでクリスピーなのもまた良しですね。18時くらいに行ったらその時点で5人くらい並んでて、かなりの人気店なんですねえ。納得。

……つづく(次でラスト)。