この記事は、夏の青函連絡ツアー その1:はるばる来たぜ函館の続きです。
青森は大荒れ
函館で1泊したあとは、再び在来線特急のスーパー白鳥に乗って青森まで戻ります。せっかく北海道まで行ったのにさっさと引き返すのも勿体ないんですが、今回はどちらかというと青森をメインに考えていたので……。
往路でもこのスーパー白鳥に乗ったんですが、帰省客でごった返していたためか指定席が取れず(3週間くらい前にみどりの窓口で確認したら既に売り切れてた)、自由席も満員だったため立ち席だったりして。狭い通路に立ちっぱなしだから結構疲れた。函館⇒青森はさすがに混み合うコトも無く、指定席を確保済み。
指定席に座って目に付いたのは、備え付けのテーブル裏面に貼られていた青函トンネル通過予定時刻表。
車内放送でも青函トンネルの通過予定時間をアナウンスしていたし、車内案内表示でも現在通過中のトンネル名が表示されたりして、これだけトンネルをウリにしている路線というのも珍しいなぁと。正直トンネル通過中はケータイもエリア外になっちゃうし、車窓もただただ暗いだけなので特に嬉しいワケでもないんですが。途中通過する、2つの海底駅はちょっとテンション上がりますけどね。
車内では、函館駅で買ったいかわっぱ弁当を朝飯代わりに食いました。なかなかイケる。
青森駅に到着すると、偶然隣のホームにリゾートあすなろが停車していたので撮ってみたり。
これは新青森から三厩まで行く「リゾートあすなろ竜飛号」。今の時期は土日のみ、1日1往復だけ走るという結構レアものな列車ですね。
しかしコレ、車両に大きく「RESORT HYBRID TRAIN」と書かれているんですけど、どの辺がハイブリッドなんですかね?
んで、ここからはレンタカーを借りて、下北半島は大湊まで行き、海上自衛隊の艦艇見学(この日は護衛艦「すずなみ」が見学可能となる予定だった)へ……という算段だったんですが、台風の影響により雨が強い。それでも一応大湊へは向かってみるか、と予約していたヴィッツを借りて下北半島を北上してみたんですが……ますます雨が強まってしまいまして。
むつ市まで来たところでコンビニに寄り様子見していたんですが、クルマから降りたくないレベルの大雨。困ったなぁ……と思っていたところ、今度はiPhoneがけたたましく鳴り響き、なんじゃこりゃと思ったら緊急地震速報。その時はコンビニで買ったおにぎりをクルマの中で食べていたんですが、クルマがゆらゆらと揺れている。
iPhoneで地震情報を調べて見ると、青森東部を震源地とした震度5の地震とのこと。もう自衛隊さん、どう考えても艦艇見学やっている状況ではありません。そんなワケで、大湊の海上自衛隊を訪れるのは断念。鎮守府巡りの続きと思ってやって来たのですが……自然には勝てません。大湊はまたいつかリベンジしたいですね。
ここからは恐山も近いので、せっかくだから寄っていこうかとも思ったんですが……しばらく雨の様子を窺ってみても、全然弱まる気配が無かったためこちらも断念しました。まーずぶ濡れ上等で見学するコトは可能だったかもしれませんが、過去に1度行ってるし、まぁいいか、と。
そんなワケで、下北半島ではなにもできないまま、この日の宿を取ってある八戸へと向かったのでした。
蕪島
ただ、まったくどこも訪れないまま一日が終わるのもシャクだったので、ホテルに行く前に八戸の蕪島というところに行ってみました。ウミネコが大量に繁殖しているコトで有名らしい。
島とは行っても地続きになっており(戦時中に海軍が埋め立てた模様)、あるのは小さな神社くらい。海岸沿いにあるため風が強く、雨が横殴りに吹き荒れる状況だったんですが、とりあえず参拝だけしてみました。賽銭箱の横にはカブとひょうたんの像があるのがユニーク。
ウミネコは8月にはどこかへ飛び立っていってしまうらしいのですが、この風雨の中10羽ちょいくらいが岸壁の柵の上でじっとしておりました。人間に慣れているのか、かなり近づいてもじっとしたまま。
結局この日はこの蕪島を見ただけで、あとは移動するだけの日でした。八戸では虎鯖棒すしというのがめっちゃ美味いという話を聞いていたんで食べてみたいなぁと思っていたんですが、それが食べられるお店が日曜・祝日定休という事実に現地で気付きまして(八戸訪れたのは日曜)、いろいろと予定が狂いっぱなしの1日に。でもまぁ鯖もシーズン外しちゃってるから……。
結局晩飯はホテルの近くにあった居酒屋で済ませたんですが、メニューにあった自家製しめ鯖というのを頼んだら以外と美味かったので良しとします。
大湯環状列石
気を取り直して翌日。雨は降っていなかったんですが、まだ怪しい雲が上空に居ます。天気予報を見ると、午前はそれなりに雨が降って、午後から回復するかどうか……といったところ。結局のところ、出たとこ勝負のようです。
八戸からは国道4号線・国道104号線を辿って西へ。途中、雨が降ったり止んだりな天気。結局、この日一日中雨が降ったり晴れたりを繰り返すコトになるんですけども。
そして一度青森県を出て秋田県に入り、やってきたのは大湯。ここにある環状列石(ストーンサークル)が目当て。
これは縄文時代の遺跡であり、出土品や建物跡などから推定するに、大昔の共同墓地あるいは祭祀が行われていた場所と考えられているみたい。イギリスのストーンヘンジと似たような遺跡ですね。大湯の環状列石は「万座」と「野中堂」の2つあり、万座環状列石の大きさは日本一だそうな。
いやー、こういう太古の宗教的な意味のありそうな遺跡って、ムー的でステキですね。なお、この日は当然のように去年購入した『月刊ムー』のTシャツを着ておりました。たぶん、ハタからみたらすごく怪しい人物だったと思います私。
道路を一本挟んだ隣にあるのが、野中堂環状列石。万座に比べるとやや小ぶりですが、それでも結構な大きさ。
ストーンヘンジのような巨石が用いられているワケではありませんが、2つの環状列石を合わせると結構な量の石が使われているハズ。古代にそれだけの労力を払ってこれだけの規模の環状列石を作り上げたその意味を想像してみると、なかなか面白い。
黒又山
さて、ここいら辺のムー的なスポットはこれに留まりません。この大湯環状列石の目と鼻の先(ホントに歩いていける距離)には、かのMMRで「日本のピラミッド」として紹介された黒又山があるのです(単行本11巻)。
確かに形だけ見るとピラミッドっぽい。黒又山の麓には鳥居があり、「本宮神社」と書かれていました。山全体が神社となっているんでしょうか。
山頂には薬師堂があるらしいので、とりあえず登ってみます。15分くらいで登れる小さな山なんですが、結構急な上り坂なので疲れました。
普段あまり登る人も居ないのか、道もあまり整備されていない模様。途中、倒木が道を塞いでいたりして。
そしてどうやら山頂にたどり着いたみたいで、お堂が見えてきました。
……が、なんかこのお堂も結構放置されちゃっているような……。でも屋根は割と新しそうなところを見ると、最低限の補修は行われている感じなのかな?
MMRではこの黒又山でMMRメンバーが謎の女子高生と出会い、そこからキバヤシが「fの法則」がどーとか言い始めて「な、なんだってー」な展開になっていくワケですが、女子高生どころか私以外に人っ子一人いませんでした。あ、イタチは居た。
あと、MMRによれば黒又山の山頂地下には巨大な空洞があるコトが判明している、とされていましたけど、アレってホントの話なんですかね?古くから地域の信仰の対象になっていたようではありますが……。
ただ少なくとも、その三角錐状に整えられた山容は、同じくピラミッド説がある長野の皆神山↓よりはよほどそれっぽいと言えましょう。
MMR-マガジンミステリー調査班-(11) (少年マガジンコミックス) | |
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新郷村のピラミッド
黒又山を堪能したあとは、十和田湖の南を通って再び青森県内に。途中から、雨雲が途切れて晴れ間が覗いてきました。
少し八戸方面に戻る形で、やってきたのは新郷村。この村にもピラミッドがあり、しかもその近くにはキリストの墓まであるという、おそらく東北でも随一のムー的な雰囲気漂う村です。ていうか、この村もMMRで紹介されてる(単行本3巻)んですけど(どんだけMMR好きなんでしょうか私)。
道中にある案内標識を見ると「↑キリストの墓 ←ピラミッド」とあり、もはやここがどこの国なのかわからなくなってくるレベル。
てなワケで、まずはピラミッドの方に行ってみます。案内標識に従って国道を外れた道を進んでいくと、なんかそれっぽい看板が出てました。
細い道を少し登ると、なにやらそれっぽい看板と鳥居があったためクルマを駐めて見物。ここは「大石神ピラミッド」と言うみたいなんですが、その説明が書かれた看板がいきなり電波ゆんゆんで期待が高まります。
『ピラミッドは、エジプト、メキシコだけにあるとは限らない。したがって、茨城県磯原町にある武内家の文庫に秘蔵されている神代史によると、わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基あるとされた。』
……ピラミッドがあるのはエジプトやメキシコだけとは限らない、ってのはまぁそうなのかな、という話なんですが、「したがって」という言葉からいきなり竹内文書に話が繋がるあたりがとてもシビれます。ていうか、どう考えても繋がってないです。そもそも、「竹内」が看板だと「武内」になっちゃってるし。
この新郷村にある「ピラミッド」と「キリストの墓」は、この竹内文書が発端となって「発見」されたようなんですが、その竹内文書というモノが眉唾物である上に原本が存在しない極めて胡散臭い資料なワケで、あんまりそういうコトを大まじめに案内看板に書くモノではないのでは……と思っちゃうんですが。しかもコレ、新郷村オフィシャル(?)の看板みたいだし。
そんなワケで、鳥居をくぐって早速ピラミッド見物。ピラミッドに鳥居というのもシュールな感じがします。
順路を辿ると、まず太陽石なる大きな石というか岩がありました。「むかしは光っていて反射した太陽を礼拝したと言われている石」と説明書きがありますが、苔むしていて今となっては大昔の姿を推し量ることも困難ですね。
続いて方位石という岩が。「正しく東西南北を示している石」とのことですが、この岩のどこがどのように方角を指し示しているのか、ぱっと見サッパリわからない……。
仮にこの「ピラミッド」が数万年前のモノだとしたら、方位も今とは若干違っていたんじゃないかと思うんですが、それも踏まえて「正確」なのかなぁ……。
お次にあるのは星座石。「めぼしい星を記録しておいたと言われている石」とありますが、岩に星の位置を掘っていたとかそういう話でしょうか。だとしたら何らかの痕跡があっても良さそうですが、ぱっと見それらしい跡はありませんでした。
……で、なんでここピラミッドというコトになってるんでしたっけ?これらの巨石がなんらかの祭祀に使われていた可能性はあるのかも知れませんが、それがピラミッド扱いされる理由がどうにもピンと来ない……。
竹内文書にかこつけて、キリストの墓のついでに勢い余ってこじつけちゃった感がバリバリなんですが、あんまりその辺ツッコむのは野暮というものかもしれません。
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キリストの墓
で、お次はいよいよキリストの墓。
なんでこんなところにキリストの墓があるのかはキリストの墓 - Wikipediaあたりをご覧いただければ。一応いくつか根拠めいたものはあるんですが、発端は竹内文書であり、たまたまそれを補強するような材料があったもんだからついつい盛り上がっちゃった感もあるんですが、ここがそれなりに身分の高かった人の墓というのは間違いないみたいで、確かにいろいろ想像したくなるような場所ではあります。
キリストの墓の対面にはイスキリの墓もあるんですが、伝承だとイスキリはキリストの身代わりとなって磔にされたんじゃなかったでしたっけ……。
お墓の近くには「キリストの里伝承館」という史料館みたいなのがあり、見物してみようかとも思ったんですが、受付にいたおじさんが爆睡してて起こすのも申し訳ないんで遠慮しました(実話)。
あと、伝承館の真ん前にまたしてもピラミッド発見。こっちは実にまっとうな形をしたピラミッドですね。
中を覗いてみると、願い事を書いた札がいくつか錠前でぶら下げてありました。ピラミッドパワーで願い事が叶う、とかそういうようなヤツなんでしょうか。……このオカルト要素のごった煮感、ステキ。
まーピラミッドといいキリストの墓といい、眉唾ものであることは間違いないんですが、そうした珍奇な言説と結びつく「何か」があったコトも確かなんだろうな、とは思います。その「何か」を想像してみるというのは、なかなか面白いのではないかと。来た甲斐はあったと思います、新郷村。
……続く。