大須は萌えているか?

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夏の青函連絡ツアー その3:渓流と山と遺跡とラーメン

この記事は、夏の青函連絡ツアー その2:青森・秋田でMMR聖地巡りの続きです。

奥入瀬渓流

新郷村でピラミッドとキリストの墓を堪能したところで、時刻はお昼を回っておりました。なんかメシでも食うかな、と思ったんですが、想像通りの田舎だったのでコンビニひとつ見当たりません。

新郷村に道の駅があったので寄ってはみたものの、道の駅というよりは田舎の直売所という趣きで、弁当的なものは売っておらず、あるものといえば青森産のニンニク袋詰めとかそういうの。流石にニンニク丸ごと食い散らかすほどは飢えてません。

とりあえず十和田湖まで戻ればなんかあるかな、と思い十和田湖の東側を北上してみたんですが、レストハウス的なモノがさっぱり見当たらない。潰れている店(だったもの)はありましたが。十和田湖って観光地としては廃れているんですかねぇ……。あるいは、たまたまこの辺りが寂れているだけなのかな?

んで、ようやくなんか店らしきものが見つかったと思ったら、今度は妙に混雑してたりして。ちょうど有名な奥入瀬渓流沿いに進む道への分岐点なので、見物客が集まってるっぽい。まーメチャクチャ腹が減っていたワケでもないので、メシは断念してそのまま奥入瀬渓流沿いにクルマを進めるコトに。

しばらく進むと、道沿いに駐車スペースがあり少し空きがあったので、クルマを停めてしばし渓流を散策。

ただ、やはり結構な雨が降っていた影響もあってか、流れが結構激しいコトになってました。

ほとんどなんの予備知識もなく訪れた奥入瀬ですが、いろんな滝があって面白いですね。こちらは銚子大滝。十和田湖への魚の遡上を阻止している「魚止めの滝」。なので、十和田湖に棲息する魚は皆人為的に放流されたものだそうな(⇒ 十和田湖 - Wikipedia)。

こちらは九段の滝。確かに九段ある。

こちらは千筋の滝。見た目地味ですが、このワビサビめいた雰囲気が他の滝と比べてもゴジュッポ・ヒャッポです。

銚子大滝と並んで賑わっていたのがこちら、雲井の滝。なんというか、落差があって一番滝らしい滝ですね。

ただ、この滝の近くにクルマを停めようとする人が多いもんだから、観光バスが身動き取れずプチ渋滞が起きてたりもしました。奥入瀬はどこかにクルマ駐めたら、あとは歩いて回るのが正解っぽいですね。

しかしまー、有名なだけあって絵になる風景が多いですねここは。遊歩道も整備されており、人気があるのも頷けます。

八甲田山

奥入瀬渓流から少し北に行くと、雪中行軍の遭難事件で有名な八甲田山があります。「八甲田山」というのは複数の山々の総称となっており、最高峰の大岳は標高1584m。また、その八甲田山系のひとつ田茂萢岳(たもやちだけ)の山頂近くまでロープウェイで登れるみたいだったので麓の駅に行ってみたんですが、天候不順につき運行停止してました。……おのれ台風。

仕方ないのでロープウェイは諦めて、も少し進んだところにある「雪中行軍遭難記念像」を見物してみるコトに。八甲田山ロープウェイ乗り場から国道103号線を進み、途中青森県道40号線へ。この道、まさに雪中行軍のルートだったみたいで。

県道を少し進むと、広い駐車場のある「銅像茶屋」という売店に行き当たります。ここの裏手に銅像がある模様。ていうか、「雪中行軍遭難の地」なんて看板まであります。

看板からしばし丘を登って行くと、銅像がありました。

この銅像は雪中行軍の数少ない生き残り(行軍参加者210名中199名は死亡)である後藤房之助伍長のもので、1906年に作られたものだそうな。後藤伍長は立ったまま仮死状態になっていたところを救出されたとされていますが、この銅像がある場所とはまた違う場所らしい。

この銅像がある場所は、行軍2日目と3日目の露営地の間に位置しているみたい(⇒ 後藤房之助 - Wikipedia)。2日目の露営地ではもっとも多くの犠牲者が発見され、3日目には発狂して川に飛び込んだりする兵士も居たという話なので、まさに部隊が一番の極限状態に追い込まれていた頃合いですよねそれって……。

そんな過去もあって、八甲田山の辺りでは旧陸軍の亡霊を見たなんていう話がたくさんあるワケですが、銅像茶屋の駐車場隅にある公衆トイレも「出る」という噂があるそうで。ただ、私はそんなコト知らずにフツーに用を足してましたが。夜とか冬じゃないとダメなんですかねぇ?

しかしまーピラミッドやキリストの墓に続いて心霊スポットとは、この辺りのオカルト濃度の濃さはいったいなんなんでしょうか。

三内丸山遺跡

この日の宿は青森市内に取ってあったので、八甲田山の後はそのまま青森市街へ。ただ、すこしまだ時間に余裕があったので、ついでにと三内丸山遺跡に寄ってみました。

想像以上に立派な建物があってびびった。以前行った佐賀の吉野ヶ里遺跡以上かもしれん。吉野ヶ里遺跡は約2000年くらい前の弥生時代を中心とした遺跡であるのに対し、三内丸山遺跡は約5000~6000年前の縄文時代の集落跡とされる遺跡。

この日の午前中に見物してきた大湯環状列石は約4000年くらい前の縄文時代後期のものとされており、こうした大規模集落との関連もなんか考えてみたくなりますね(三内丸山遺跡の近辺からも環状列石が発掘されているそうな)。なお、MMRによれば黒又山ピラミッドも4000年以上前に作られたとされています。

Ω ΩΩ<「な、なんだってー」

話が豪快に逸れました。この三内丸山遺跡吉野ヶ里よりはやや狭い印象ですが、それでも十分大きな遺跡。

復元された竪穴式住居の中にはかなり大型のものもあったりして。縄文時代にここまで大きな住居があったというのは、かなり意外。

その裏手には、巨大な柱で組まれた建物が。

発掘物や柱穴の大きさや土圧から推定して再現されたものみたいですが、こういう多層構造物があったとして、どういう使われ方をしていたんですかねぇ。ただ、実際多層構造物であったのか、屋根もあったのではないかなど、異論も多いみたいです。

ただ、どちらにせよこの遺跡に住んでいた人たちがかなり高い技術を持っているのは間違い無いようで、なんか自分が日本史の授業で習った縄文時代とはなんだったんや、という気がしないでもありません。

4000~5000年前の遺跡でこれだけ高度な技術の痕跡が垣間見えるというのも驚きですが、しかしここで一つ思い出しておきたいのは、新郷村で見た大石神ピラミッドは「数万年前」のものだとされているコトであります。そのような超古代文明に比べれば、三内丸山遺跡なんてまだ可愛いものです、ええ。……エジプトのクフ王ですら紀元前2500年代の人なんですけどねぇ……。

青森でラーメンを食う

三内丸山遺跡を見物したあとは、青森駅近くのホテルにチェックイン。晩飯何食べようかざっと調べてみると、「味噌カレー牛乳ラーメン」なる珍妙なラーメンがあるらしい。

青森味噌カレー牛乳ラーメン普及会 - 青森味噌カレー牛乳ラーメン普及会

なんとなく興味を引かれ、味噌カレー牛乳ラーメンの元祖であるという「味の札幌大西」というお店に行ってみました。青森なのに札幌。お店は青森駅から歩いて10~15分くらいのところ。お店はよくあるラーメン屋という風情で、そこそこ広くカウンター席とテーブル席あり。

この日は昼飯を抜いていたので、ついつい味噌カレー牛乳ラーメンを大盛りで注文。すると、想像以上にデカい丼が出てきてビビリました。

確かにスープは味噌とカレーと牛乳を足したような色合いになっております。んで、食ってみるとこれが思いの外美味い。もっとキワモノ系の味がするのでは、と思っていたんですが、食べやすい。味噌とカレーと牛乳(と上に乗ってるバター)の味が不思議な調和を見せている。

なんやかんやで大盛りを完食、スープも結構飲んでしまいました。北海道や東北はどうしても魚介類のイメージが強いですが、調べて見ると結構面白い食い物があるものだな……。

ラーメン食べたあとは、ぶらぶら青森ベイブリッジを散策したりしてホテルに戻りました。ここの夜景もなかなか良いものですね。三脚持ってればなぁ……。

そしてアスパムは相変わらず悪の秘密結社めいた感じでした。

……前回来たときはブルーにライトアップされていたと思うんじゃが……時期によって色が違ったりする?オカルトめいたものをいろいろ見たあとだと、アスパムもピラミッドかフリーメーソンのシンボルマークに見えてくるから困ったモンです。

……もう一回だけ続く。