大須は萌えているか?

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「SUZUKA Sound of ENGINE 2017」を見物してきた(後編)

※この記事は、「SUZUKA Sound of ENGINE 2017」を見物してきた(前編)の続きです。

バックヤードツアーで見物した車両の他にも、マスターズのクルマはいろいろ走ってました。まずはウィリアムズFW04と、

FW08。

これらは今年のF1日本GPでもデモランやってましたね。日本GPから1ヶ月以上間が離れてましたけど、その間サーキットに保管してあったんでしょうか。

あとはロータスが結構いましたね、まずは92。

いわゆる「フルアクティブ」と呼ばれるアクティブサスペンションを実戦投入したマシンとして知られているのはロータス99T(中嶋悟のF1デビューマシン)ですが、実はそれ以前にこの92で簡易型アクティブサスペンションが搭載されていた、という。1983年のマシンなので、99Tの4年前ですね。ナイジェル・マンセルがドライブするも結果は芳しくなく、結果としてアクティブサスペンションはしばらくの間お蔵入りとなってしまうのでした。

アクティブサスはコーリン・チャップマンが前から温めていたアイディアだったようですが、チャップマンは1982年末に急死。このマシンの実戦投入を目にするコトなく、この世を去ってしまいました。

そして出ました、ロータスの「迷車」として必ず名前が挙がる、88。

1978年にいち早くウイングカーを開発・投入して成功を収めたロータス、その後他チームも一斉にそのコンセプトをコピーし急激に増加するダウンフォースが懸念された結果、81年から「可動式スライディングスカート」が禁止されるコトとなりました。マシンのサイドポンツーン下にぶら下げてある、地面にぴったり密着してマシン底面の空気を横に逃がさないための「スカート」ですね。

このスカートを禁止すると同時に、最低地上高を60mmとするコトによって、マシン底面で発生するダウンフォースを大幅に削減しようと。しかしそこはF1界きってのアイディアマンであるコーリン・チャップマン、「ツイン・シャシー」なるコンセプトでこれに対抗しようとします。モノコック部分とその外側部分を別々のシャシーとして、外側のシャシーをスプリングでマウントするコトによって、速度が出たときに外側のシャシーが沈み込んでスカートの代わりを果たす、という。そのアイディアを元に製作されたのがこの88。

が、同じ頃定められた「空力的可動物」を禁じるレギュレーションによって、88は他チームからの猛抗議に合い、レギュレーション違反車両として出走は認められず。

しかしまー、スライディングスカートを禁止するレギュレーションが定められた経緯というか、精神みたいなものを斟酌すれば、こういうマシン作ったら駄目だろーっていうのは明らかなんですが、しかし他チームを出し抜くためならどんな手でも使うというのがF1技術者たちのステキなところであります。

そして最後に76。

こちらは大成功を収めたロータス72の後継車として1974年に投入されたマシン。最大の特徴はクラッチ操作をペダルではなくスイッチで行うコトができる「電磁クラッチ」を採用したという点。今では常識と化している左足ブレーキングのコンセプトが、1970年代半ばにはもう実現していたというのはかなり驚き。

ただ結果的には大失敗で、程なくしてチームは76に見切りをつけて再び72を引っ張り出すコトに。チャップマンって革新的なアイディアを次々に形にしていく一方で、こうした大失敗エピソードも多々あるのがスゴイというかなんというか。なんなスティーブ・ジョブズとダブって見える。

……っていうか、76・88・92って、ロータスの「やっちまったマシン」ばかりが集まってしまっているような……。

マクラーレンからはM26。傑作車として名高いM23の後継車。

ロータス76もそうなんですけど、大成功を収めたマシンの後継ってなぜかパッとしないコトが多いんですよねぇ。このマシンもそうなんですけど。とはいえ、こいつはハントのドライブで優勝も記録しているので、まだマシな部類かもしれません。

しかしなんですよ、このマシンのマルボロカラーってかなり明るい蛍光オレンジなんですね。確かにマルボロの赤がテレビ映えするように、F1のカラーリングではわざと明るい色にしているとは良く言われますけど、ここまで明るい色だったっけ?

そしてハントといえば、ヘスケス308B。映画『RUSH』を観ていれば思わず「おお!」ってなるクルマ。F1にデビューしたばかりのジェームス・ハントの愛機ですね。

面白かったのが、このマシンのドライバーの名前が「James Hagan」さんで、ハントのレプリカカラーのヘルメットに、本来なら「JAMES HUNT」ってでっかく書かれている部分に「JAMES HAGAN」って書いていて。オマケに、ハントのマネをしているのか、金髪ロン毛のカツラまで被っていてサービス精神満点でした(下の写真のマシンの向こうに立っている人)。

BT37に加えてもう一台居たブラバムが、BT49C。ネルソン・ピケが初めてワールドチャンピオンに輝いたマシン。

元々ウイングカーとして開発されたマシンを、可動式サイドスカート禁止レギュレーションに合わせてリファインしたもの。しかしマクラーレンMP4/4なんかもそうですけど、ゴードン・マーレイのデザインしたマシンは横から見ると美しいですよねぇ。

そして最後にペンスキーPC4。インディカーでは今もトップチームとして君臨するペンスキーですが、一時期F1にも参戦していたという。

1976年にジョン・ワトソンの手で1勝を記録しているものの、その後特に目立った成績を残すコトもなく、1977年でペンスキーはF1活動を停止。そういう意味ではペンスキーのF1活動自体が黒歴史めいているところありますし、レース雑誌なんかでもなかなか紹介されるコトのないレアなマシンとも言えます。

マスターズのクルマは皆DFV搭載車なので、エンジンサウンドという点では変わり映えしないのが難点といえば難点なんですが……でもそういや、BT49Cはちょっと特徴的な音していたような。エキゾーストの取り回しなんかによるものかな。ちなみに、マスターズでは過度な競争やコスト高騰を避けるために、DFVには1万回転のレブリミットが設けられているそうな。

70年代のF1はDFVによって成立していたといっても過言ではないですし、80年代に入ってターボエンジンが台頭してきてもまだ現役で有り続け、そしてその汎用性ゆえにこうして今でもヒストリックF1のレースが成立している、と思うと、フォード・コスワースDFVの偉大さにはただただ恐れ入るばかりであります。V8を讃えよ。

マスターズ以外のV8じゃないF1つったら、クーパーT86のマセラッティV12エンジンと、

アルファロメオ 179CのアルファロメオV12エンジンですかね。

F1以外のマシンにもちょろっと触れますと、今年もマツダ787B&767Bというレーシングロータリーが2台来てくれていたのですが、やはりレインタイヤが無いというコトで音が聞けませんでした。……来年こそは……。

一方で、「そよ風右京」さんがドライブしていたトヨタTS010は良い音してました。当時のF1と同一規格の3.5リッターV10 NAエンジン。やはり比較的年代の新しいNAエンジンの高回転サウンドは良いものですね。右京もかなり踏んでたし。

GPスクエアでやっていた、右京とロベルト・モレノ(ウイリアムズ FW04をドライブしていた)のトークショーも見物しましたが、モレノめっちゃ良い人でした。

右京のF1デビューイヤーである1992年、ラルースを駆る右京がモナコで予備予選落ちを喰らう一方、モレノがかのアンドレア・モーダで「奇跡の予選突破」を果たしたときのエピソードなんかを話してましたね。また2人とも、25年前の話なのによく覚えてるってのが。

今年のSound of Engine、悪天候でだいぶテンション下がっちゃったんですが、それでもマキとコジマの実物を拝めただけでも貴重な経験となりました。来年は是非、良い天気の中で見物できればな、と……。とりあえず、懲りずに来年も土曜日観戦を貫く所存です。たぶん。