大須は萌えているか?

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『中二病でも恋がしたい!』の六花は結構タチが悪い性格なんじゃなかろうか

秋の新アニメが始まってしばし経過しましたが、『中二病でも恋がしたい!』は肩の力を抜いて観るには非常に楽しめるアニメにではないかという気がします。中二病というのもネットスラングとして流行った結果言葉の定義としてはよくわからないコトになっていますが、大雑把にいえば思春期特有の精神と思考のアンバランスさが故の愉快な行動様式とかそんな感じでしょうか。 実際の中二病というのを大人になってハタから見ると、おそらく痛々しくて目を背けたくなるんじゃないかと思うんですが、こうしてアニメで観ると程よくオブラートに包まれた感じで微笑ましいなぁと。

ただ、この物語のヒロインである小鳥遊六花(たかなし りっか)については、ちょっと違和感を感じたりもするのです。

この物語に出てくるキャラクターは皆いわゆる邪気眼的な中二病、つまりアニメやゲームの影響で異能の力が自分に宿ったと思い込んだりオカルトを信じ込んじゃったりする系の中二病だと思うんですが、主人公である富樫勇太と六花は同じ邪気眼でもちょっと毛色が違う感じがするんですよね。

勇太は高校入学と同時に中二病を卒業しようとしているワケですが、中二病をこじらせているときにはかなり真性というか、かなり強い自己暗示をかけていたような感じがします。つまり真剣に自分が「ダークフレイムマスター」だと思い込んでいた。だからこそ、その過去をほじくり返されると悶絶するレベルで恥ずかしがるのかなと。

一方で立花は勇太ほど自己暗示が強くない感じがしてて。これは4話の魔方陣のくだりなんかを観ててそう思ったんですけど。いや魔方陣にイルミネーションを仕込んだりしてるってコトは、「実際には自分の魔力を用いて魔方陣を光らせるコトなんてできない」と知っているからそうしているんでしょ?そういう意味では六花は異能の力やオカルトというモノをそこまで強く信じ込んではおらず、「あったらいいな」くらいの感覚なんだろうなぁと。

ハタから見るとどっちも大差無い話なんですが、勇太の場合は本人は至って真剣なのに対し、六花は一歩引いたところから「ごっこ遊び」をしているイメージ。

勇太と同じように中二病を卒業しようと必死なモリサマー……丹生谷森夏(にぶたに しんか)は勇太寄りのポジションだし、六花の弟子である凸守早苗(でこもり さなえ)は当然六花寄りのポジション。でも、勇太と同じ立ち位置に見える森夏は勇太のコトを「さむっ」っと切って捨ててるのがまた面白いですが。

ともあれ、どちらがより中二病ぽいかと言えば勇太や森夏のほうであって、六花らは過去を忘れたがってる勇太らをからかって引っかき回しているよーにも見えちゃったりして。こいつら似たもの同士に見えて、案外そうでもないんじゃないかなと。そういう見方をすると、六花ってなかなかにタチの悪い性格しているよーにも見えてしまうんですが……。