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セナ没後20年~セナに魅入られた2年間を振り返る

今年の5月1日をもって、アイルトン・セナがF1サンマリノGPの事故で他界してから20年が経ちます。そんなワケで、少々辛気くさくなっちゃうかもしれませんが、当時自分が見たアイルトン・セナというドライバーとあの頃のF1について、今改めて振り返ってみようかと。

私がF1を見始めたのは1992年頃、ホンダが黄金時代を築いた第二期F1活動を終了させようとしていた頃です。そしてセナは94年の第3戦として開催されたサンマリノGPで他界するコトになるので、私がセナのレースをリアルタイムで見るコトができたのはほんのわずかな間。

その後20年F1を見てきて、いろんなドライバーを目にしてきたワケですが……それでも、私にとって最高のF1ドライバーは誰かといえばアイルトン・セナだったりします。私がF1を見始めてから94年のサンマリノGPまでのわずかな間に、すっかりセナに魅せられてしまったんですよね。

敗者となったマクラーレン・ホンダ

当時のF1の状況を振り返ってみると、1991年はセナが3度目のワールドチャンピオンを獲得したものの、トータルバランスに優れるウィリアムズ・ルノーが台頭してきたタイミングでもありました。そして92年シーズンには、FW14Bに秘密兵器・アクティブサスペンションを投入。

アクティブサスペンションは先行してロータスも投入しておりました(ロータス92や、セナと中嶋がドライブした99T)が、フルアクティブと呼ばれるロータス方式は信頼性に欠けシーズンを通してトラブルが連発。それに対しウィリアムズは部分的に油圧アクチュエータ制御を入れるセミアクティブと呼ばれる方式を採用し、ロータスのそれよりもトラブルを抑えながら極めて高い戦闘力を発揮。

結果として、92年シーズンはウィリアムズがぶっちぎりでシーズンを席巻するコトとなりました。ただ、そんなシーズンにおいて今でも語りぐさになっているのが、モナコGP。開幕から5連勝を飾り向かうところ敵無しだったマンセルをタイヤトラブルが襲い、ピットインしている隙にセナがトップに躍り出てて、後ろから襲い来るマンセルを最後まで抑えきってトップチェッカーを受けたレースですね。

このレースを見て、このセナというのはとんでもないドライバーだなと強く印象に残った記憶があります。ウィリアムズが圧倒的に強かったシーズンだからこそ、モナコという大一番でセナが逆転勝利を飾ったコトがとてつもなくスゴいと感じられたんですよね。この勝利でセナはモナコ4連勝、無敵のウィリアムズをも下してみせたコトから「モナコで負けないセナ」という評価を確固たるモノにもしました。

もちろん、モナコのような奇蹟がずっと続くワケもなく、マンセルはシーズン中盤のハンガリーGPで早々にタイトルを決めてしまうワケですが。それに加え、ホンダが参戦休止を表明したコトにより、マクラーレンは93年シーズンに載せるワークスエンジンを失ってしまいます。

ホンダを失ったセナが見せた「神業」

F1を見始めて間もない当時の私にはあまりピンと来ていない部分もありましたが、セナにしてみれば88年の初タイトル獲得以来ずっと栄光を共にしてきたホンダが居なくなるというのは相当ショックな出来事だったハズで。そして93年にマクラーレンが確保できたのは、フォードHB(V8)エンジン。しかも、ワークス仕様(最新スペック)はミハエル・シューマッハを擁するベネトンにのみ供給され、マクラーレンに供給されたのは型落ちのカスタマー仕様。一言で言えばお話にならないエンジンです。

セナは開幕前にF1参戦自体を休止するコトもほのめかしていましたが、結局開幕から1戦ごとの契約という形でマクラーレンをドライブするコトに。ただ、今までホンダエンジンのパワーに頼り切りだったマクラーレンもようやくトータルパッケージの重要性を悟り、コンパクトなフォードV8に合わせたマシン設計とアクティブサスペンション等のハイテク装備を投入。

これが奏功し、セナは開幕戦南アフリカGPを2位でフィニッシュ。ただ、この年はアメリカに渡ったマンセルに代わり休養から復帰したアラン・プロストがウィリアムズをドライブしており、タイトル獲得が確実視されておりました。開幕戦も当たり前のように優勝。

しかし、第2戦ブラジルGPで早くも「奇蹟」が起きます。スタートはドライだったものの、南米らしい不安定な天気によりレース中に激しい雨が降り、いち早くそれを察知したセナはウェットタイヤに交換。対するプロストは無線のトラブルもあり対応が遅れ、雨の中クラッシュしリタイヤ。変わってプロストの相棒だったデイモン・ヒルがトップに立ちますが、こちらはセナが早々にパス。セナの地元ブラジルで、見事な逆転優勝を飾る形に。

このレースを見て「やっぱセナすげー」と感心しきりだったんですが、さらにその次のレースが「史上最高の1周」とも評される、イギリスのドニントンパークで開催されたヨーロッパGPですよ。

ドニントンの予選ではウィリアムズの2台がぶっちぎりの速さでポールポジションを獲得、3番手はプロストに1.5秒離されたシューマッハ、さらにその後ろがセナという順位。この時点では完全にウィリアムズ圧勝フラグ。

しかしドライだった予選とは打って変わって、決勝は雨が降ったり止んだりのウェットコンディション。気温は10度も行かない状態で、タイヤにも熱が入りにくい状況。そしてスタートでセナは順位を落とし5番手に後退。しかしここからが「マジック」の始まり。

セナはシューマッハザウバーのヴェンドリンガーを立て続けにパスし、さらにその直後ヒルまでもパス。皆タイヤを具合を見て慎重に走っている中セナだけは完全にマシンをコントロールし、ヘアピンでトップのプロストまでもパス。オープニングラップでトップ4台をゴボウ抜きにしてしまったのでした。

……いやー、ブラジルの逆転劇に続きこのオープニングラップ見せられちゃたら、アイルトン・セナというドライバーに心酔しちゃいますって。

このあと一度はプロストがセナを逆転するんですが、天候に翻弄されたプロストは余分なピットストップを繰り返し、最終的にはセナがプロストに1周差を付けての優勝(2位のヒルはかろうじて1周以内でフィニッシュ)。非力なマシンでありながら、雨でこれだけ圧倒的な速さを見せつけられたら、ねぇ。

そして第6戦モナコGPでは、プロストがフライングスタートをしてしまいストップ&ゴーペナルティ、しかもその際エンストしてしまうというオマケつき。代わりにトップに立ったシューマッハはマシントラブルによりリタイヤを喫し、結局セナがモナコ5連勝。これがセナにとって最後のモナコ優勝となるワケですが、ホントに最後までモナコに愛されたドライバーでしたね。こういうところも、セナが「特別」に感じられてしまうところ。

その後シーズン中盤以降は地力で勝るウィリアムズが7連勝(プロスト4連勝+ヒル3連勝)。さすがのセナも付け入る隙がありませんでした。そしてプロストは第14戦ポルトガルGPでタイトルを獲得。

……が、シーズン最終2戦の日本GPとオーストラリアGPでセナが連勝。図らずもこの年がセナにとって鈴鹿ラストランとなったワケですが、勝利でこれを飾っています。そして最終戦オーストラリアGPでは、表彰台でプロストと握手を交わすシーンも。ポルトガルGPの時点でプロストは引退を表明しており、セナのウィリアムズ入りも決定していたからこそのシーンとも言えそうですが……しかし、88年からこの93年に渡って繰り広げられた「セナ・プロ戦争」の終わりを告げる象徴的なシーンでもありました。

シーズンを通してセナのドライビングは円熟味を増しており、結局フォードエンジン搭載マシンでシーズン5勝(マクラーレンにも途中からワークス仕様が載るようになったとはいえ、最初からワークス仕様搭載のベネトンシューマッハはシーズン1勝)。これだけのパフォーマンスを発揮できるセナがウィリアムズに行ったらもう無敵、94年以降は再び「セナの時代」が来ると信じて疑っておりませんでした。

そして悪夢のサンマリノ

94年シーズンに投入されたウィリアムズFW16は、レギュレーション改訂によりアクティブサス等のハイテク装備が禁止された結果ナーバスなマシンになったと言われており(当時のウィリアムズのデザイナーは現レッドブルのエイドリアン・ニューイ)、セナは開幕戦ブラジルではスピンしてリタイヤ、そして第2戦のパシフィックGP(TIサーキット英田、今で言う岡山国際サーキット)もスタート早々に追突されリタイヤという冴えない結果。

ヨーロッパラウンド開幕戦となるサンマリノGPは、セナにとってシーズンの再スタートを切る場となるハズでした。

セナの事故の印象があまりにも強い94年サンマリノGPですが、その前から事故が相次いだ「呪われたレース」でした。まず金曜日フリー走行でジョーダンのバリチェロ(当時ルーキー)がコースオフしバリアに激突する大クラッシュ。命に別状は無かったものの、鼻の骨を折るなどしてレースは欠場。

そして土曜日の予選、新興チーム・シムテックのローランド・ラッツェンバーガーがコーナーを曲がりきれずコンクリートウォールに激突、帰らぬ人に。この予選の事故はWOWOW(当時F1の予選と、1週遅れで決勝のノーカット版を放送していた)で見たんですが、モノコックに大穴が開きラッツェンバーガーの腕が見えているような状態で、一目見て「まずい」ことが明白でした。残りの予選セッションはキャンセルされる形に。

そして決勝レースの事故に繋がるワケですが、決勝のスタートでもエンストしたJ.J.レートのベネトンロータスが突っ込み、破片が観客席にまで飛び込むというアクシデントが起きています。そしてセーフティカーがコースに入り、レースが再開された直後にセナの事故が起きた格好。

当時はCSの生放送なんて無かったので地上波の録画放送を見ていたんですが、まずF1の放送が始まる前のスポーツニュースで「セナが事故を起こし病院に搬送された」という速報が流れたと記憶しています。そしてF1の放送が始まった途端、現地からの生中継で三宅アナと今宮さんがセナの容態などを伝えるという状況。その様子から、ただ事では無いのが明らかでしたね。

そしてその後レースの録画放送が流れたんですが、途中それが中断され、「アイルトン・セナが死亡した」という一報が三宅アナから伝えられました。嫌な予感は十分過ぎるほどありましたが、一方で「セナがレースの事故で死ぬわけが無い」という気持ちもありました。三宅アナが語った言葉がひどく現実離れしているように聞こえ、しばらく事実を理解できないくらいに。

わずか2年程度しかセナのレースを見ていないにも関わらず、アイルトン・セナというドライバーの存在感は自分の中で圧倒的なモノになっていたように思います。ましてや、もっと前からセナを見ていたファンの人に取ってみたらどれほどのショックだったことか……。

92年のマンセル、93年のプロスト、94年のセナと、F1はそれまでの時代を築いてきたスターを一気に失ったコトになります(なのでバーニーさんはマンセルを急遽アメリカから呼び戻したりしてますが、黒歴史化してます)。今で言えば、アロンソベッテルとハミルトンが一気に居なくなるようなモンでしょうか。

それでもF1は続く

しかし一方で、セナ死亡の報を受けた今宮さんが、カメラの前で涙を流しながら「それでも、F1は続いていくんです」みたいなコトを言っていたのを覚えています。セナが居なくなってもF1は続く。世界最高峰のレースとしてF1は君臨し続ける。

セナが他界したあと、その後を継ぐようにF1の新たなるチャンピオンとなったのがミハエル・シューマッハ。当時新進気鋭の若者だったシューマッハもこの20年で次々と記録を打ち立ててF1を引退し、その後スキー事故によって生死の境を彷徨い、未だハッキリと意識を取り戻せずにいます。引退後の話とはいえ、偉大なチャンピオンが突如居なくなってしまう喪失感というのはやはり大きいものです。また元気な姿を見たいですね。

セナ・プロの時代、シューマッハハッキネンの時代を経て、アロンソベッテルの時代へ。F1も2世代くらい入れ替わってしまいました。そして既にポスト・ベッテル世代の台頭も始まってますし。いやベッテルもまだ全然若いんですけど。とにかく、セナが他界してからの20年で、F1はマシンもドライバーも、全然違うモノになった。

でも、セナが見せてくれた素晴らしいレースの数々、それに匹敵するレースを再び新しい世代の誰かが見せてくれるかもしれない。そんなコトを思い続けながら、今もF1を見ているような気がします。でもやっぱり、あのドニントンのオープニングラップを超える「グレイテストラップ」はまだ見るコトができずにいるんですけどね。

でも、誰かがそのうち見せてくれると思ってます。あの1周を超える最高のラップを。