大須は萌えているか?

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「対豊臣」の城~伊賀上野城と彦根城見物

去年あたりから「日本100名城」のスタンプラリーにハマっているうちのかーちゃんが、昨年11月に出掛けた丸岡城・一乗谷に続きまたクルマで城に連れて行け、と仰るのでドライブがてら2つの城に行ってみました。

伊賀上野城

まず行ってみたのは三重県伊賀上野城伊賀上野って三重とは言え、西の奈良・京都の県境に近い「奥地」にあるので、あんまり三重って感じがしないんですけどね。新名神よりも結構南に位置するので、名阪国道を使って行く感じ。

伊賀上野はむかーし家族で行った記憶があるんですが、かーちゃん曰く「スタンプ押してないからもう一度行かねばならぬ」とのコト。そうですか。場所が場所だけに、そんなに混み合うコトは無いだろうとタカをくくっていたのですが、市役所の駐車場を臨時で開放する程度にクルマが来ていてびっくり。

伊賀上野城天守はなんだか真新しい感じ。

この天守は昭和になってから、伊賀上野出身の川崎克という政治家が私財を投じて再建したものなんだそうで。

ここに初めて城を建てたのは安土桃山時代に伊賀に移ってきた筒井定次だったそうですが、関ヶ原の合戦後に家康から領地没収とされ(理由は諸説ある模様)、代わりに築城の名手と謳われる藤堂高虎が伊賀に移封されるコトに。

高虎は大阪攻めを想定した改修を行い、天守も5層のものを新規に建設していたようなんですが、完成間近になって襲来した暴風雨により倒壊、その後程なくして大坂の陣豊臣氏が滅亡しちゃったため、天守も再建されるコトが無かったそうな。

今建っている天守は鉄筋コンクリ製ではないものの、3層となっており特に藤堂時代の天守を再現したもの、というワケでは無さそうですね。

そんな伊賀上野城の見所は、高さ30メートル近くになるという高石垣。高いとこ苦手な身としては結構怖い。

しかし、城内の看板を見ると「日本一・二の高さで有名な高石垣」というなんだか微妙に弱気な表現となっております。結局1位か2位かどっちなんだ。

どうも、かつてはこの伊賀上野城の石垣が日本で一番高いと言われていたみたいなんですが、実は大阪城の方が少し高いコトが判明してしまったため、こういう微妙な表現となっているようです。つまり、ここの石垣は日本じゃあ二番目なんですね。

天守の中に入って見ると、なんだかとても観光地って感じがします。

妙にデカい虎のキャラクターは「た伊賀―くん」と言うそうです。高虎推しです。あと、そのウサミミ具合に定評のある高虎の兜も展示されてました。

説明書きによると、この兜、高虎が秀吉から拝領したものらしいんですが、その後高虎は一族の藤堂良重にこれを与え、良重はこの兜を被って大坂夏の陣に参戦するも討死してしまったそうな。高虎はこれを「手柄の討死」と讃えたそうなんですが、こんな動きにくそうな兜被ってるから……などと考えてしまうのはマズいですかね、やっぱり。

あと、最上階の天井には無数の書画が飾られており、中には横山大観の手によるものもあるそうなんですが、どれのことなんだかようわかりませんでした。

なお、せっかく伊賀まで来たのだからと忍者屋敷を見物するプランもあったんですが、かーちゃん曰く「城だけ見られれば十分」とのコトで、忍者関係は華麗にスルーし次の目的地へと向かったのでした。アバーッ!?

彦根城

お次は、伊賀上野から国道422号線で峠越えしつつ、新名神名神を経由して彦根へ。言わずと知れた彦根城です。

……ちなみに、彦根城に隣接する駐車場は土日だとだいたい満車になるので、彦根駅近くの大型駐車場に駐めて少し歩いた方が良いんじゃよ。

ここも今まで何度か来ているハズなんですが、かーちゃん曰く「スタンプ押してない」というコトでやって来たワケです。ただまー、よくよく考えてみると天守自体は長らく見てないような気がするのでまぁいいか。「現存十二天守」のひとつでもありますし。

実のところ、100名城のスタンプ自体は入場券売り場の隅っこに置いてあるので、入場しなくてもスタンプだけ押せるんですけどね?でもまーせっかくなので、入場券を購入し中へ。

関ヶ原の合戦後、徳川四天王の一人井伊直政がそれまで石田三成の居城だった佐和山城を与えられるも、三成のお下がりだったのがイヤだったのか城の移築を計画。しかし、直政は戦傷が癒えないまま程なくして死去。井伊家を継いだ直継が幼少だったため、家臣の木俣守勝が家康に相談の上、直政の遺志を継ぎ彦根城を築城したとのコト。

入り口から少し坂道を登って右手に見えてくるのが「天秤櫓」。左右対になるように櫓が設置されているコトからそう言われているそうですが、よくよく形を見ると左右対照というワケでも無かったりして。結構長いもんだから、写真では見切れちゃってますけど。

天守へはここから左にぐるっと回って橋を渡って行かなきゃならんワケですが、いざって時はこの橋を落としちゃえば敵の侵入を防げるワケですね。

ちなみにこの天秤櫓、訪れたときには中に入るコトもできました。この櫓は長浜城の大手門を移築したものと言われているそうで、そうなると江戸初期の頃からの建築物ってコトになるんでしょうか。

天守は3重のやや小ぶりな印象。こちらは大津城の天守を移築したと言われてるそうですが、意匠は凝ってる感じします。

石垣は以前見物した丸岡城の野面積のようにごちゃごちゃーっとした印象なんですが、彦根のコレは「牛蒡積み(ごぼうづみ)」と言われる奥行きの深い石を使ったモノなんだそうで、見た目に反してかなり強固なんだとか。

天守の東側からは伊吹山がよく見えます。写真では見切れてますが、佐和山や琵琶湖も伊吹山の左右に臨むことができ、とても良い眺め。

彦根城は大阪に近い地理的要因もあってか、かなり実戦を意識して造られており、狭間は外から見えないようになっていたり、階段は例によってハシゴのような急角度になっていたりして。天守最上階には、破風の間と呼ばれる隠し部屋も。

藤堂高虎時代の伊賀上野城同様に、豊臣家に対する睨みを効かせるためのお城って感じがしますが、彦根城がすべて完成する頃には豊臣家は滅んじゃっており、結局実戦を経験していないという。

帰りは城の東側から黒門の方へ降りていったんですが、この辺の斜面に積み上げられた石垣もなかなか壮観。こういうところからも、実戦を意識した城という感じがしますね。

帰り際、ちょうど博物館前の広場にひこにゃんが居る時間帯だったのでちょっと覗いてみたのですが、相変わらずコイツすごい人気でした。

その後は、すぐ近くにある「たねや」でどら焼き買って帰宅。

伊賀上野城彦根城、どちらも「対豊臣」の戦略拠点として修繕・建築が進められるも、その前に豊臣氏が滅亡してしまったというところに歴史の儚さを感じたりもしますが、それだけ家康も用意周到だったんだなぁ、という気もします。