大須は萌えているか?

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和歌山・大阪で真田ゆかりの地をぶらぶら ~高野山・和歌山城編

※この記事は「和歌山・大阪で真田ゆかりの地をぶらぶら ~九度山編」の続きです。

高野山

九度山を見物したあとは、再び南海高野線に乗り終点の高野山を目指します。高野線極楽橋という駅が終点となり、そこからケーブルカーに乗り換えて高野山駅に行く形。乗り継ぎ含めて九度山から40分くらいでしょうか。ケーブルカーの勾配はなかなかの斜度でテンション上がります(?)。

しかしさすが世界遺産、平日でもかなり混雑してました。外国人客もかなり多め。世界遺産だとなぜかアジア系の人より欧米系の人が多い印象あります。

高野山駅からはさらにバスに乗るんですが、バスの行き先がざっくり2つ、高野山の総門である大門へ向かうヤツと、空海の廟である奥之院へ向かうヤツがあります。Wikipediaによると高野山って

山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺山号高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

via: 高野山 - Wikipedia

というとんでもないスケールの宗教都市であり、有名な場所を巡るだけでも相当な時間が掛かる模様。私は今回高野山に宿泊するワケでも無く時間が足りなかったので、場所を絞って巡るコトに。なので、大門は省略してまずは奥之院へ。

終点の「奥の院前」バス停を降りて、しばらく参道を歩いて行きます。ホントは手前の「奥の院口」から続いているのが正式な参道のようなんですが、そちらは片道2キロちょいあるみたいなんで、距離の短いこっちの道を選んでしまいました。

この奥之院の一帯には歴史上の有名人から現代の企業に至るまで、ものすごい数のお墓や供養塔が建ち並んでます。

お墓は人間だけに限らず、中にはシロアリのお墓なんていうユニークなものも……。

豊臣家の墓所もあるんですが、他のお墓より階段を上った高い場所にあり、なんだか「別格」の扱い。

個人的に、奥之院のお墓の中で一際目に付いたのが徳川家康の次男・結城秀康の墓。廟自体が大きく立派なのもあるんですが、苔むした廟の醸し出す雰囲気が、こう。

で、奥之院の一番奥にあるのが燈籠堂と弘法大師御廟なんですが、ここは写真撮影禁止エリア。燈籠堂ではたくさんのお坊さんが集って読経を行っていたんですが、ここの雰囲気はすごい。飲み込まれるような感じがします。以前行った比叡山の根本中堂に入ったときと同じような感覚。

燈籠堂の奥にある弘法大師御廟にも参拝したあとは、バス停まで引き返して金剛峯寺へと向かいます。時間があれば寄り道しながら歩いて行くのもアリなんですが、バス停から2.5kmくらいあるのでちょっち厳しい。しかしまたバスが大混雑で、途中のバス停でお客さん乗せられない有様でした。これが世界遺産パワーか。

そして金剛峯寺なんですが、500円払うと中の拝観もできます。この中にある「柳の間」が、豊臣秀次切腹したとされる部屋。襖絵の写真撮影が禁止されていたので、部屋の写真撮れてないんですけども(金剛峯寺のサイトに写真あります)。ドラマで秀次が自害した部屋とはかなり雰囲気違います。

襖絵も立派なものがたくさんあるんですけど、庭園もかなりのもの。中でも「蟠龍庭」と呼ばれる石庭は2,340平方mあるそうで。こんな広い庭そうそう無いでしょう。手入れするのにどんだけ時間掛かるんだろう……。

金剛峯寺を観たあとは、少し北西方面に歩いて行ったところにある徳川家霊台を見物。三代将軍徳川家光が家康と秀忠を祀るために建てたものだそうですが、そこまで大きいワケでもありません。

ただ装飾はかなり豪勢な感じで、日光東照宮なんかに通じるモノがある感じしますね。

で、この徳川家霊台のすぐ近くにあるのが、真田親子が九度山に住む前に送られたという蓮華定院。元々真田と縁があったというお寺ですね。

しかし中には特に賽銭箱なんかがあるワケでもなく、「拝観のみの方はご遠慮ください」っていう札が出ていたので、今は専ら宿坊がメインという感じなんでしょうか。宿坊としてはかなり規模が大きいようなので、またいずれ高野山に行く機会があるのなら、ここに泊まるのも良さそうな気も。観てない場所いっぱいあるし。

しかしなんだ、真田ゆかりの寺のすぐそばに家康・秀忠が祀られているのはただの偶然か、それとも家光の嫌がらせか(?)。

ここらでだいぶ日も傾いてきていたので、近くの停留所からバスに乗り、高野山駅へ。そして大阪方面へ戻るのではなく、橋本駅でJR和歌山線に乗り換え、和歌山駅へと向かったのでした。せっかくだから、和歌山県の県庁所在地たる和歌山市で1泊しようと思いまして。

和歌山城

で、和歌山市内のホテルで1泊した翌朝、せっかくなので近くにあった和歌山城へ。もはや真田と全然関係ありませんが。むしろ紀州徳川家の本拠地ですが。

今年は暴れん坊将軍こと徳川吉宗が将軍に就任して300年だとかで、幟がたくさん並んでおりました。

和歌山城の中でも気になるモノと言えば、二の丸と西の丸庭園を繋ぐ「御橋廊下」と言われる橋。なぜか壁で囲われて、外からは見えない作りになってます。

和歌山城は本丸が場所的に不便だったようで、専ら藩主は二の丸を生活の場としていたようなんですが、そこと庭園を行き来するのになんでこんな人目に付かないようにする必要があったんでしょ。ただ単に風雨をしのぐためなのかな?

今の御橋廊下は当時の図面を元に近年再建されたものだそうで、実際に渡るコトもできます。中はかなりキレイだし、壁にはコンセントもあったりして。斜度があるので、床には段差が付いています。

それからも一つ気になるのは石垣。

ここの石垣をよく見ると、いろんな刻印が刻まれている石がみられます。どういう意味があるのかは詳しく分かっていないようなんですけども。しかしこの刻印↓、なんか最近マクロスで見かけたような……。

和歌山城天守は国宝指定されていたものの、戦時中に空襲により焼失、戦後に鉄筋コンクリートにより再建されたもの。外観は復元されているとのコトで、大天守と小天守、それに2つの櫓が「口」の字に連結されている様は風格ありますね。さすが御三家というべきか。

天守に登ると、櫓と海辺の工場地帯をまとめて一望でき、これはこれでそそられるモノがあります。

天守の下層からは、石垣の埋門を通って井戸にアクセスできる階段があったりもします。万一籠城する羽目になった場合でも、ここから水を確保するためなんでしょうね。

この天守から一番近い井戸のコトを、その重要性に鑑み「黄金水」と呼んでいたそうな。……黄金水(意味深)。名古屋城にもあるらしいので、今度名古屋城に行く機会があったら探してみよう黄金水。ていうか言葉としてはこちらの方がオリジナルか(なんの話だ)。

あと、城の南東にある岡口門は江戸時代からのものが現存しており重要文化財

ついでで立ち寄った和歌山城でしたが、なかなか良いお城でした。このあと和歌山駅からJRで再び大阪へ向かいますが、その前に駅ビルの地下にあった「丸美商店」というお店で中華そば食べました(他に和歌山名物を知らない)。

……続く。