大須は萌えているか?

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オリンピックを招致した目的って

新国立競技場の建設費用の見積もりが、なんだかスゴいどんぶり勘定だったみたいで話題になってますね。

改築費が2520億円に膨らんだ国立競技場について、デザインを決める最初の審査の過程で、技術的に建設が可能かどうかチェックされたものの、設定したコストに収まるのかどうかの確認は、事実上行われずに決まった可能性が高いことが関係者への取材で分かりました。

via: 新国立競技場 コスト確認せず決定か NHKニュース

オマケに、実際着工した後にさらに費用が膨らむ可能性もあるだとか、膨らんだ建設費用のうち1000億円以上の財源が不足しているだとか、とても香ばしい話がいろいろ出てますね。

基本設計時の千六百二十五億円から約九百億円膨らんだが、めどが立った財源は、国の税金(国費)など五百億円程度。文科省が都に負担を求める五百億円やスポーツ振興くじの売り上げを活用しても、当面見込めそうな財源は合計約千四百億円で、一千億円以上が不足する。

via: 東京新聞:新国立、2520億円で契約へ 財源1000億円超不足:社会(TOKYO Web)

んで、噴出する批判に対して官房長官や総理大臣は「今からデザイン変えるのは信用問題になるからダメ」とか、「ラグビーワールドカップやオリンピックに間に合わなくなるかも知れないし」とか言ってるみたいですね。そこを調整するのが大人の仕事だと思うんですが、まぁめんどくさいからやりたくないんですかね。

新国立、見直しできぬ=菅官房長官 (時事通信) - Yahoo!ニュース

挙げ句、総理は「このデザイン案自体は前政権のときに決まったものだし」みたいな言い訳までしているみたいですね。

安倍首相は「オリンピックを誘致する際に、国際コンペをやってザハ案というのが決まった。国際コンペをやると約束し、監修権等をザハさんに与えると決まったのが2012年11月、我々が政権につく前のことだ。事実として述べると、民主党政権時代に、ザハ案でいくということが決まり、オリンピックを誘致することが決まった」と述べた。

via: 新国立競技場について安倍首相「民主党時代に決まったこと」

当初の見積もりが甘すぎて必要な予算が大幅に増えました、増えた予算をどう補填するかはまったくの未定ですが信用問題になるので計画はこのままGoです、それにこの計画を最初に立てたのは前任者で私はそれを引き継いで進めているだけですし……って普通の会社で言ったらぶん殴られるというレベルじゃ済まないと思いますが、やはり国を動かすにはこれくらいの胆力が必要なのでしょう。

いやしかし、この巨額の建設費用どうすんの、というのも気になるところではあるんですが、今回の騒動を見てて、改めてオリンピックって誰のためにやるものなの?という基本的な部分が気になりました。

それとなくオリンピック憲章(PDF)の冒頭に記載されている「オリンピズムの根本原則」とかを読んでみると、一言で言えば遍くスポーツを愛好する人々のためのものであると言えるでしょうか。

で、そのオリンピックを国を挙げて招致する理由というのは、本来的には自国のスポーツ文化の発展に寄与するためというのが大きなウエイトを占める(はず)だと思うんですけど。

でも、そのオリンピックを開催するために超高額のハコモノを造ろうとして、予算が足りないからスポーツ振興基金を取り崩そうかー、とか言ってるのはなんだかすげー本末転倒感がある気がしてならないんですが、どうなんでしょうか。

挙げ句、アスリート側からも疑問の声が上がっり始めている始末。

スポーツ選手として反対です。国立競技場の建設に関するところに関わったと言われるアスリートは少なくとも私の周りにはいませんが、それでももし本当に建設されてしまったらスポーツ界もしくはアスリートが日本に負担をかけたと言われることが予想されます。スポーツは社会の役にはたっても、お荷物だと思われるのは(仮にそれにアスリートが関わっていなくても)いやなので、反対です。

via: 新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト

この懸念は実際ありそう。仮に国民負担がほぼ無い形で新国立が完成したとしてもですよ、途方も無い金額がずさんな金勘定の元に浪費されたというコトに反感を覚える人はかなりの数になるんじゃないかと思います。そんな曰く付きの競技場で開催されるオリンピックにどういう視線が向けられるか、そしてそれが果たしてスポーツ文化の発展に寄与するものなのか。

有森さんは「アスリートは協会に属し、そこで育ててもらい、皆さんの応援を受けて競技に没頭することが使命。その現場(協会)を多少なりとも触発するようなことはできない。その気持ちはくんでもらいたい」と、現役の選手たちが置かれた立場を代弁。

その上で、「心から願うのは…」と言葉を継ごうとして突然、十数秒間絶句。涙を流し、途切れ途切れの声で「オリンピックが、皆さんの負の要素のきっかけに思われるようなことは本望ではない。一人でも多くのオリンピアンが応援していただけるよう、何かできればと思い、この会場に来ました」と話した。

via: 東京新聞:五輪 負の要素に思われたくない 有森さん 涙の訴え:新国立競技場問題:文化(TOKYO Web)

実際オリンピックに出場する(可能性がある)現役の選手たちは、こういう問題に対してなかなか口を開ける立場に無い。でも、それが「無言の肯定」と受け取られて「当のアスリートたちはこの問題に対して文句のひとつも言わないのか」なんて批判される可能性もあるワケですよね。

で、そうした状況も踏まえて改めて考えたいんですけど、オリンピックって誰のためにやるものなんでしょうね?