大須は萌えているか?

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郡上八幡と可児の明智城をぶらぶら

秋晴れの週末、日本百名城を全部巡ったあとも城巡りのモチベーションが衰えないウチのかーちゃんが例によって「郡上八幡城へ連れて行け」と宣うのでドライブがてら出掛けてきました。

東海地方以外の方の為に補足しておきすと、郡上とは愛知県の北に面する岐阜県の真ん中らへんにある街で、名古屋からだとクルマで高速突っ走って1時間~1時間半くらいのところ。毎年お盆に観光客も入り乱れて徹夜で踊り狂うロックなイベント「郡上おどり」で有名です。

郡上八幡

実のところ、郡上八幡城ってすげー昔に家族で来た記憶があるんですが、もはやどんな感じだったかすっかり忘れておりました。山の上にある城なので天守近くの駐車場まで細い山道をウネウネ登るコトになるんですが、道がかなり細い上にヘアピンカーブが連続してあったりするので、ワンボックスやランクルみたいなクルマは下手すると登れません(ちなみに上りと下りで道が分かれて一方通行になっているので、すれ違いの心配は無い)。

一応ふもとにも駐車場があるので、最悪そこにクルマを駐めて徒歩で登るコトになりますね。まー山といってもちょっと小高いってくらいのレベルなので、軽いハイキングがてら登るには良い気もします。

郡上おどりでフィーバーするお盆の季節も過ぎ去っているし、案外空いているんじゃないかと期待したりもしたんですが、何気にかなりの混雑ぶりでした。城の駐車場もギリギリ駐められたくらい。そして駐車場出てすぐのところに、「首洗いの井戸」という心温まる名前のスポットがありました。

大丈夫かな、この駐車場にクルマ置いておくとなんか憑いたりしないかな。初っぱなからおどろおどろしい気持ちになりましたが、一方でこの日の天気は気温は高いものの湿気が少ない比較的過ごしやすいコンディション。

郡上八幡城は明治に廃城となり取り壊されたというよくあるパターンなんですが、その後昭和8年大垣城(当時まだオリジナルの天守が現存していた)を参考にして木造の模擬天守が作られたという城。そんなワケで、「日本最古の木造再建城」というのが郡上八幡城のウリみたいです。

石垣は古いヤツの上に新しいヤツを積み増したのがモロバレですが、しかし全体的に画になる佇まいのお城ですね。妙に鋭角な石垣と土塀がユニーク。

天守最上階からの眺めも見事です。山間部にある郡上の町並みを一望の下に。

郡上八幡城は主に城を築いた遠藤氏や、江戸後期には金森氏が城主を務めていたようですが、イマイチ地味というか観光地としてはヒキが弱いと判断された結果なのか、山内一豊正室である見性院(千代)の出身地であるコトをやたらプッシュしてます。彼女がこの城の初代城主・遠藤盛数の娘だったと言われているというコトで。

ちなみに城の大手門は山を下って少し離れた場所にあったようで、郡上八幡城下町プラザとかあの辺も城の縄張りだったんですね。

ここから山の上の駐車場に向かうまでに道がシケイン状になっていたり、細い山道をウネウネ登らされたりするのはお城の防御機能の名残なんでしょうかねぇ。

郡上をぶらぶら

城を見物したあとは、せっかくなので街を少し歩いてみます。山から下りて街の真ん中にあるような駐車場はもれなく満車だったため、少しだけ離れた吉田川沿いの駐車場にクルマを駐めました。

この吉田川、橋の欄干から飛び込むのが名物になっているコトで有名ですが、郡上の街がこの吉田川に沿って形成されているので、なんかすごく川の存在感が強いんですよね、郡上って。なお、この日は鮎の友釣りをしている人がたくさん居ました。

そんなワケで、昼食も鮎の塩焼き食べました。

なお、この吉田川はちょうど郡上八幡の高速ICのあたりで長良川に合流します。

で、昼食後に飛び込みのメッカ(誤解を招く表現)である新橋へ。

昔ここで川に飛び込んだ高校生が死亡する事故が起きて、行政側は飛び込みを禁止しようとしたものの住民側の反対を受けてat your own riskという形で容認されているんでしたかね、確か。しかし12メートルの高さかー……。

吉田川って水深が浅いところが多いんですが、この新橋の下のポイントはそこそこの水深があるようで。新橋の上から川を見下ろしてみると……。

ああ、俺無理(高いところ苦手)……ってなんか誰かのシャツとサンダルが置き去りにされるんですけど!

しかしこのシャツとサンダルの持ち主らしき人物は近くにはおらず、また下の川にも人が居なかったんですが……これを見たおねーさん2人組が「誰か飛び込んだんかなー?」「でも人居ないよ」「死んだんかなー?」などとあっけらかんと物騒な会話してるのがシュールでした。

新橋近辺は郡上八幡旧庁舎記念館もあって賑わっているポイントですが、山と川の間のわずかなスペースに建物がびっしり並んでいる光景はなかなか。川が増水したりすると結構怖そう。

このあと川沿いを歩いて駐車場まで戻ったんですが、川沿いにずっと歩道があるのもいいですね。

明智長山城

そして帰りの道すがら、かーちゃんが「ついでに可児の明智城に寄っていこう」と宣うので、東海北陸道から東海環状道に乗り換えて、可児御嵩ICで下りるルートを取りました。

明智城明智光秀出生の地と言われている場所。以前行った恵那市の明知城にも明智光秀出生地とする話がありますが、可児の方が有力とされているようです。 なお、場所は花フェスタ記念公園の西側すぐ近く。

可児の明智城は恵那の方との混同を避けるためか「明智長山城」とも呼ばれているようで。城と言っても天守があるようなモノではなく、小さな山の尾根に沿って砦が築かれていたようなお城のようです。

城の周辺は細い道が多く、案内看板もコレといって無いため場所が結構分かりづらい。とりあえず本丸を目指して住宅街の方からぐるっと回っていたんですが、クルマ置ける場所がほとんど無くて泣きそうでした。

本丸跡にあった「明智城址記」と題された看板には、『直情径行武断一辺倒の信長とは本質的に相容れぬものがあり遂に逆臣の汚名を着て非業の最後を遂ぐ 郷党の英雄の末路痛恨の極みという外なし』と書かれてます。しかしなんだ、光秀もイメージ的には「良くも悪くもクレバー」という感じがして、ドラマ的には悪役のポジションだと思うんですよね(偏見)。

なお、本丸跡の近くには展望台もあったりして、なかなか良い見晴らし。そんなに標高高くないですけどね。

城の北側にある天竜寺という寺には明智一族の墓があるというコトで、そちらにも寄ってみました。日本一大きな光秀の位牌って一体……。

ちなみに、天竜寺の西側に「明智城址公園」の駐車場もあり、そのすぐ横から大手門を経由して本丸の方へ歩いて行けるみたいなので、クルマで来るなら最初からこっちを目指すべきでしたね。

天竜寺の明智一族の墓は寺の駐車場の奥にひっそりと並んでました。位牌は本堂が閉められていたので見られず。

明智城斎藤義龍に攻め滅ぼされ(明智は道三側だったため)一族は離散、光秀はなんとか城を脱出したとかなんとか。その後城が再興されるコトも無かったようで。光秀がそういう過去を背負っていたのだとしたら、その屈辱的な思いを胸に野心家さんになっても不思議じゃない感はあります。

明智光秀が主役の大河ドラマも観てみたい気がしますが、なんせ信長を討った理由が諸説紛々なので、シナリオの段階で揉めまくりそうではあります。