大須は萌えているか?

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徳川vs武田の城をぶらぶら ~小山城・二俣城

先日、例によってウチのかーちゃんが「小山城(静岡県)へ連れて行け」と宣うのでドライブがてら出掛けてきました。

……その前の週も郡上まで出掛けたような気がするんですが、どうも公共交通機関では不便な場所にある城に行きたい⇒遠方まで自分でクルマ運転したくない⇒家でヒマそうにしているヤツが居る、という流れで話が回ってくるようです。しかし2週連続ってのはちょっとなぁ、と私が微妙な顔をしたところ、「城の近くにあるウナギ屋で昼食奢り」という条件を提示されたのでホイホイ運転してきました。

……ところで、クルマで使ってるETCカードは私名義のものなんですけどね?

小山城

小山城は静岡県の吉田町という場所にあり、東名高速吉田ICを下りて割と近い場所。名古屋側から見ると焼津の手前ですね。大元はこの地に今川氏が砦を築いたのが始まりのようですが、その後今川氏を滅ぼした武田信玄が改めて築城したのがこの小山城とのこと。

とはいえ、天守みたいなのは無かったようですが、駐車場から天守めいたものがめっさ良く見えます。

こちら愛知の犬山城をパク……参考にして建てられた模擬天守のようで、中は資料館になっている模様。墨俣城と同じような感じですね。ちなみに犬山城はこちら↓。

城址は現在「能満寺山公園」として整備されているようなんですが、城址に辿り着くのにはお寺の境内を通っていく形になるんですね。

お寺なので、なかなか上り甲斐のある石段もあります(大回りするスロープもあるんですが)。

せっかくなのでこの石段を登ったんですが、木の葉などが散乱していて足許が滑りやすい上に手すりも無いという結構凶悪な仕様となっておりますので、大人しくスロープ使ったほうがいいです。

で、上まで登り切ってまず目に入るのは堀です。ていうか、当時の姿を偲ばせるのは実質堀と土塁くらいなモノです。これらも発掘調査のあとに復元されたもののようですが。

真っ直ぐに掘られた堀のすぐ隣にはカーブを描いた「三日月堀」が。この三日月型は武田の城によく見られる特徴だそうな。

復元された土塁とかにはやたらと「はいってはいけない」とか「のぼってはいけない」と書かれた立て札があり、コレ見てると『孤独のグルメ』の「それ以上いけない」を思い出してしまうのですが。モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。

城の一番外側、大手門の隣には堀を三重に並べた「三重堀」があります。ここまでやるか信玄さん。

なお、小山城は最終的に徳川方の攻勢により落城するワケですが、その際に城に居た婦女子はこの三重堀に身を投げたとかって話。

資料館は鉄筋コンクリ造りではありますが、

上から堀の配置が見下ろせるのが良いですね。↓の写真右手側が本来の本丸となるそうで、その手前に大きな堀があり、さらに三日月堀を掘るコトで本丸への入り口を狭め、敵を迎撃しやすくなるワケですね。

本丸に面した堀と三日月堀との間のスペースは「丸馬出」と呼ばれ、つまりは城の虎口外側にスペース(曲輪)を設けて兵馬を配置するコトで迎撃力アップ&敵がひるんだ隙に追撃できちゃったりもするワケですね。馬を出しておくから「馬出」、ってそのまんまや。

武田氏はこの丸馬出を好んでいたようで、この馬出の概念をさらに大きくしたのが出丸、その究極形が武田氏家臣・真田の血を引いた信繁が築いた真田丸、というコトになるワケですね。

ちなみに写真奥から右手側に掛けては川が流れており、そして左手側には大手門と三重堀があるという鉄壁の守り。そのおかげもあってか、徳川の軍勢もかなり攻め落とすのに苦労した模様(落城したのは長篠の敗戦から7年後、武田氏滅亡直前の1582年)。

ちなみに、なんで目的地がより有名な高天神城じゃなくて小山城だったかといえば、小山城がお城のスタンプラリーのポイントのひとつだからだそうです。ううむ。

で、城址見物のあとは近くにあったウナギ屋さんにて報酬をいただく。

二俣城

で、再び東名高速に乗って愛知に戻る……前に途中で下りて、浜松の北にある二俣城に寄ってみたりしました。

こちらも徳川・武田が争った城として知られていますが、こちらは今川氏滅亡後は徳川方の城となったものの、1572年の武田の遠江侵攻により落城、そのすぐあとに三方原の戦いで家康惨敗。その後1575年長篠の戦いで武田が敗北したのを契機に徳川が反攻、同年末に再び徳川のモノになるというなかなか大変なお城。

こちらは遺構として天守台が残っており、上に登るコトもできます……が狭いな。

ここに建物を建てるとしても、かなり小さなモノでないと無理っぽい。ただ、城の西側は天竜川と切り立った崖があり、東側も結構勾配の厳しい山。攻めるルートが限定され、ここも守りが堅そうな雰囲気。実際、武田勝頼が攻めたときも決め手を欠き、最終的に天竜川からの取水を行う櫓目がけて上流から筏を衝突させて破壊し攻め落としたっていう。

このお城、家康の長男である信康が切腹した場所としても知られてますが、この小さな山城に幽閉されて腹を切らされるのはイヤだなぁ……。

新東名 長篠設楽原PA

二俣城からは東名よりも新東名のが近いので、浜松浜北ICから新東名へ。浜松いなさから豊田東までが開通してから一度も走れてなかったので、これ幸いと。で、せっかくなので武将グッズなんかも売られているという長篠設楽原PAにも寄ってみました。

ここ、来て初めて知ったんですけど長篠の戦いで信長が本陣を構えた場所なんですね。

PAの自販機は徳川・織田の家紋まみれ(長篠合戦図屏風バージョンもあり)だったり。やはり愛知県なので、武田には一片の慈悲もありません。武田も真田も愛知の武将から見たら負け犬であります(傲慢)。

写真は撮ってませんが、売店では武将グッズっていうか模造刀や火縄銃のレプリカが販売されてて驚き。しかも2~3万円くらいだったので「シャレで一本買うのもアリか……」などと考えてしまったりして。あと、真田丸グッズもバッチリ売られており、愛知県といえども真田丸人気には屈せざるを得ないようです。

売店の横には展望台もあり、新城の町並みが一望……っていうか田んぼだな。

ちなみに合戦の舞台となった長篠方面は↑の写真の左手側(PAの東側)になるんですが、山が邪魔で見えなかったりして。信長はこの見通しの悪さを逆手に取って、自軍の総数を悟られないように布陣したという話。

考えてみたらこの徳川・武田がドンパチやってた辺りの史跡って今までちゃんと巡ったコト無い気がするなぁ。長篠城も行ったコト無いし。高天神城諏訪原城も含めて、また改めてぶらぶらしてみるのも良いかもしんない。