先日、相変わらず日本百名城巡りをやっている(あと少しでコンプらしい)ウチのかーちゃんが「苗木城に連れて行け」と宣うので、ドライブがてら出掛けてきました。
……てかよくよく調べて見ると苗木城って百名城には含まれていないんですが、どうもしばらく前から日本のお城に関する市民講座みたいなのを聴きに行っているらしく、そこで苗木城のコトを知り行ってみたくなったんだそうな。なんかどんどん深みにハマってませんか?
苗木城
苗木城があるのは岐阜県の南東に位置する中津川市、もうすぐそこは長野県です。場所が場所だけに苗木城もなかなかの山城なんですが、案外高速のICからはほど近い場所。
苗木城の登城口手前には苗木遠山史料館という史料館があったので、城を見物する前にそこの駐車場にクルマを駐めて覗いてみるコトに。普段は入館料が300円くらい掛かるらしいんですが、たまたまこの日は入館料無料とのこと。「入館料無料のことご存じでいらっしゃったんですか?」と聞かれたので「いいえ単なる偶然です」と正直に答えておきました。
史料館の入り口すぐの場所には「風吹門」という城の門が移設されているのが目を引きます。苗木城も建物自体は現存していない(明治までは残っていた模様)ので、この門も貴重なモノなのでしょう。
館内は撮影禁止ではあるものの、風吹門とジオラマ模型は撮影しても良いとのことでした。で、こちらが苗木城の模型。
城というか、天然の岩山に取り付くように櫓やらなんやらが建て付けられてる感じ。苗木城は遠山直廉という人物が築いたようですが、遠山氏は元来土岐氏の支配下にあった国衆であり、土岐氏の凋落と共に東美濃の各地で独立した勢力となったようで(⇒ 遠山氏 - Wikipedia)。独立したとはいうものの、苗木はわずか一万石の領地に過ぎず、この城も乏しい財政の中どうにかこうにか建てたっぽい。
しかし、この自然の地形をまんま利用したこの姿、なんか子供が好きな秘密基地めいていてほっこりします(そんな可愛いものじゃありませんが)。
史料館の展示品の中には頭部を切断された地蔵の写真などもあったりして。なんでも、明治になってからの廃仏毀釈伴い、苗木藩では徹底的に仏教にまつわるものをぶっ潰してしまったらしく、周辺のお寺も悉く廃寺にしてしまったそうな(今ではいくつか再興してる模様)。
そんな歴史もあって、今でもこの周辺の住人は神式で葬式やるとのこと。「でも神式の方が、仏式より費用が安いので皆気に入っている」とはボランティアガイドさんの談。ブッダシット!
史料館を見物した後は苗木城跡へ。山城とはいえ、史料館から少し登れば城の入り口に到着します。
入り口すぐの右手にある足軽長屋跡から本丸を望む。かつて天守(?)があった場所には足場が組まれ、展望台になっているようです。いやしかし、これはなかなか要塞感あるな。
道中、かなりの巨石があったりして目を引きます。下に石が積まれているところを見ると、この岩も石垣の一部として利用していたんでしょうか。
も少し進むと、先ほど史料館で見た風吹門の跡が。
風吹門の左手には、3層で城内最大の櫓であったという大矢倉の跡があります。ここにもどでかい岩が置かれてます。奥と手前で石垣の造りが随分違うようですが、後から改修されたりしてるのかな?
大矢倉の反対側、風吹門抜けて右手が本丸。「苗木城跡」の石碑がある辺りには大門という門があったようです。団長ではありません。
ここから本丸を登っていくと、これまたすごい巨石です。南米の遺跡に来た気分。
本丸の巨石を眺めてから大矢倉方面を見下ろすと、さっきの石垣がピラミッドに見えてくる不思議。
で、岩山の頂上展望台からの眺めがコレ。絶景過ぎて言葉にならない。これほどの眺めを持つ城はそうそう無いんじゃないですかね……。あ、正面の一番高い山が恵那山になります。
うーん、この眺め見るためだけでも来た甲斐あった。展望台の上からだとほぼ360度のパノラマなので、なるほど遠山さんがここにどうしても城建てたかった理由がわかるわ(?)。
また、本丸の岩山の奥には馬洗岩と呼ばれる城内でもトップクラスの巨石があります。これも眺めてると変な笑いがこみ上げてくるレベルのデカさ。
本丸裏手の苔むした岩もワビサビめいていて良いですよ。
想像以上にステキな場所でした、苗木城。ちなみに、私たちは朝の9時くらいには史料館に到着していたんですが、城跡を見物し終わったくらいのタイミングでかなりの人数がぞろぞろとやってきて、朝はまだ空いていた史料館の駐車場が満車になってしまってました。実はかなりの人気スポットなのか、苗木城……。
岩村城
せっかくここまで来たので、苗木城のあとは女城主伝説で知られる岩村城にも寄ってみました。割と近くなので。てか、1年ちょい前にも来てるんですけどね(⇒ 「女城主伝説」の岩村城と桜見物)。
遠山氏は東美濃各地の城にそれぞれ分かれて統治していたようで、岩村・明知・苗木・飯羽間・串原・明照・安木の7家を「七遠山」、さらに岩村・明知・苗木を「遠山三家」と呼ぶそうな。そしてそれら美濃遠山氏の本家がこの岩村城を拠点とする岩村遠山氏、とのことで。
前回はクルマで山を登って本丸すぐ近くの駐車場からちょろっと歩いただけだったんですが、今回は下から歩いてみるコトに。……と、歩く前に登城口のすぐ横にある岩村山荘というとこで昼飯食いました。鮎の塩焼きなんて久しぶりに食べた。ビール飲みたいのをこらえるのが大変でした。
苗木城がサクッと行けてしまったのでイージーに考えていたんですが、岩村城は日本三大山城にも数えられる城、そんなあっさり登れるワケもありませんでした。登城口から800mの上り坂……って1kmも無いんですが、気温30度近くになろうかというお天気の中、それだけの坂道登るのは結構ヘビーですわ……ウォーキングで鍛えてるかーちゃんのが平気そうな顔してましたが。
途中、外敵を拒むように道がシケイン状になってたりもして。敵が攻め入ってきた際は、ここに臨時の門を構えたんだそうな。
この石垣部分も城があった当時は写真手前方向から橋が架けられていたそうですが、今は下をぐるっと回って登らねばなりません。
そうして登ることしばし、ようやく前回見かけた風景が見えてきました。
前回来たときは曇ってたので、晴天の時に来られて良かった良かった。本丸からの眺めもグッドです。
そういや前回来たときには見落としていたんですが、本丸に「織田信長宿泊地」なんて書かれた立て札がありました。
「本能寺の変 八十日前に信長が泊る」……甲州征伐で諏訪入りする途上で泊まったというコトなんでしょうね。このときは武田氏を滅ぼし人生の絶頂期だったハズの信長、そのわずか2ヶ月ちょい後に自害に追い込まれちゃうんだから人生ジェットコースターすぎてもう。
明知城
岩村城見物後、かーちゃんが「ついでに明知城も見てみよう」と言うので、岩村城から国道363号を経由して恵那市明智町へ。遠山三家コンプリート。クルマなら岩村からすぐですけどね。
……しかし、肝心の城跡がどこなのかが分からない。どうやら日本大正村のすぐ近くのようなんですが、案内看板みたいなものが全然見当たりません。ナビにもヒットしないし。あれー。近くにある龍護寺というお寺に明知遠山氏のお墓があるというので、とりあえずそこに行ってみました。
そしてなんとこのお寺、遠山氏どころか駐車場の真ん前に明智光秀のお墓まであります。うわーお。
紛らわしいコトに同じ岐阜県の可児市にも「明智城」があり、そのどちらにも「光秀生誕の地」とされる話が伝わっているようです。……が、有力なのは可児市の方なんだとか。こっちの城は「明知」だし(地名は「明智」になってるけど)。ていうか、このお墓自体、割と最近のものだよなぁ……。なんか光秀の話は後付けくさいような……。
遠山氏のお墓は本堂の奥にあるんですが、こちらには「遠山の殿さんの墓」なんていう立て札があります。傾いてますけど。
『遠山の金さん』のモデルとして知られる遠山金四郎景元は明知遠山氏の分家筋に当たるんですね。ここのお墓に景元も合祀されてる、なんてコトも書かれていますが、景元のお墓自体は東京の豊島区にあります。
なんか光秀といい遠山の金さんといい、なんか歴史上の有名人を観光のダシにしているような気がせんでもない。お寺の人に城のコトを尋ねられないかとも思ったんですが、境内に人の気配がありません。ううむ。しびれを切らしたウチのかーちゃん、ご近所の家の庭先で洗車をしていたおじさんに聞き込みを行い、寺のすぐ横にある山が城のあった場所だとの情報を聞き出しました。
ただ、整備されているワケではなく、今の時期は藪の中に埋もれちゃってるかも、という話。とりあえず近くまで歩いて行ってみると、「明知陣屋跡」という大正村の看板がありました。
ここに城の大手門があったようですが、城自体は江戸に入って一国一城令により廃城となって、その後ここに陣屋が構えられたとのコト。
一応、道を辿っていけば山の方に入って行けそうではあるんですが、かーちゃんが「あんまり整備されてないならまぁいいわ」というので、明知城巡りはこれにて終了。
Wikipediaなんかを見ると土塁跡なんかが結構残されているようなんですが、それにしては何の案内看板も無いのはどういうコトなんだろう。あるいは見落としてた??なんにせよ、地元の観光協会はあんまり力を入れていないようで。明知は岩村・苗木と比べると、ちょっと残念スポットと化しているかな?
大河ドラマで描かれている真田氏は戦国の乱世に翻弄されまくってますが、美濃遠山氏も織田と武田という2大勢力に挟まれて、そのパワーバランスの狭間で揺れ動きながらぐっちゃぐちゃにされちゃった感じですね。岩村遠山氏は滅亡しちゃうワケですし。
明知遠山氏は旗本として存続できたようですが、こうして城は残らず。苗木藩として江戸時代を城持ちのまま存続した苗木遠山氏が一番の勝ち組ってコトになるんでしょうか。一度は森長可に攻められ城を追われたようですが、その後徳川の下に付き華麗なカムバックを遂げたようです。
真田幸村の物語ほどではないにせよ、この岐阜の山の中でもなかなかのドラマが繰り広げられていたんですねぇ。