今年は11月3日の文化の日が木曜日であり、金曜日に出勤するのが超絶中途半端だしそこまで押してる仕事の案件も無いしというコトで、バチコーンと有給を取って四連休にしてしまいました。休んだところで特に予定もなんも無かったんですが。
しかしさすがに四連休をヒキコモリ続けて過ごすのも人としてダメな気がしたので、金・土と1泊2日でちょろっと出掛けるコトに。クルマは使わず電車で。そんなワケで、和歌山県の九度山にやってまいりました。
なんで九度山かって、そりゃ大河ドラマ観てたら行ってみたくなったからに決まってますが、そういや和歌山って新宮や潮岬らへんに行ったコトがある程度で、それ以外の場所行ったコト無いなぁってのもありまして。てか、新宮市と和歌山市って紀伊半島の対角線上にあるような位置関係だから、同じ県に見えない。
九度山へは名古屋から新幹線で新大阪⇒地下鉄御堂筋線でなんば⇒南海高野線で九度山、というルートだったんですが、大阪の鉄道ってほぼ乗ったコトが無く、地下鉄で朝の通勤ラッシュにぶち当たってしまい面食らいました。そりゃ梅田となんば結んでるんだもんね、混むに決まってるよね。南海はぼちぼち程度の混み方だったんですが、妙にお年寄り率が高かった気が。まぁ平日だし、高野山行く電車だしな……。
ちなみに、九度山駅は真田の赤備えモードになってました。
善名称院(真田庵)
そんなワケで九度山なんですが、高野山のふもとにある町であり真田親子が蟄居させられていた場所だけあり、結構な田舎です。少なくともコンビニは一件も見かけませんでした。観光のネタとしてはやはり「真田」というコトで、電柱にはキャラクター化された真田十勇士(+昌幸・幸村・大助親子)が描かれてたりします。
まずは駅から歩いて15分くらいのところにある善名称院、通称「真田庵」へ。てか、でかでかと「眞田庵」と書かれてますが。
このお寺、真田屋敷の跡地に建てられたお寺というコトで。境内はそこまで広いワケでも無いですが、結構な数の人が訪れてました。これが大河パワーか。
境内にある真田地主大権現、真田昌幸を神として祀った神社。上田に帰るという望みを叶えられぬままこの地で没した昌幸の霊を鎮めるためでしょうか。
その横には昌幸のお墓も。
「雷封じの井」なんてのもあります。信繁が真田屋敷に落ちた雷を取り押さえてこの井戸に封じた、という伝承に基づくモノのようですが、雷を取り押さえるって比喩にしてもどういう状況なんだろう……。
九度山・真田ミュージアム
続いて、真田庵のすぐそばにある九度山・真田ミュージアムへ。
館内の写真は特に撮ってないんですが、パネル展示と10分くらいの映像による真田親子の紹介がメイン。あとはドラマで使用された小物やら衣装の展示ですね。あとOPで使われてる題字とか。なんかスゲエお宝的なモノがあるワケでもないので別にスルーしても良いんですが、九度山まで来たのなら寄っておくか的な感じの場所。いやだって、九度山で真田関係のモノってここと真田庵くらいなので……。
あとここ、入場したときに無料で記念写真を(有無を言わさず)撮ってくれるんですが、男の一人旅でわざわざ記念写真撮られるのってプチ罰ゲーム的な感があります。写真は小さいサイズのものを貰え、気に入ったのなら大判のものを買ってください、というスタイルなんですが、さすがに買いませんでした、ええ。
慈尊院(女人高野)
せっかく九度山まで来たので、もうちょい足を伸ばして慈尊院にも行ってみました。「女人高野」として知られるお寺ですね。
高野山を開いた空海が山の麓に築いたとされる寺ですが、その後空海の母である玉依御前が高野山を一目見ようとやって来たものの女人禁制だった高野山に入れず、この寺に滞在するようになったとのこと。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
via: 女人高野について | 慈尊院
「九度山」の名前の元となった寺なんですねぇ。
しかしこれ、良い話っぽく聞こえたりもしますが、空海も自分で開いた場所なんだから「女人、オッケーーーーイ!!」って宣言しちゃえば万事丸く収まったんじゃないかって気もするんですが、そこはやっぱり様々な大人の事情があったんでしょうか。でも山から女人を締め出すけど、足繁く麓に通うのはOKっていうのもどうなのよ。
なおこのお寺、「女人高野」の歴史ゆえか女性の参拝者が多いようで、なんと絵馬がおっぱい付きです。子宝・安産・乳がん平癒などの祈願をするようです。
愛知県小牧市にも「おっぱい寺」として名を馳せている(?)間々観音がありますが、おっぱい絵馬の歴史は慈尊院の方が先なんでしょうかね?
寺の本尊である弥勒仏坐像は国宝指定されておりますが、開帳されるのが21年に1度というコトで……とりあえず像が安置されている弥勒堂の写真を。弥勒堂自体は重要文化財で世界遺産の構成要素のひとつ。
境内から石段を登っていった先にある丹生官省符神社も空海が創建したとされる神社。石段結構長い。
こちらの本殿も国の重文・世界遺産の構成要素。この社の右手側から高野山への登山口があります。片道20キロちょいあるらしいですが。
しかしなんだ、真田親子も最初高野山に送られて、しばらくしてから九度山に住むようになったというコトなので、ひょっとしたら昌幸・信繁もここ通っていったのかもしれませんね。
私もこのあと高野山に行く気だったんですが、さすがに徒歩で行く気にはなれず(登ってる最中に日が暮れる)、駅まで戻るコトにします。
そういや、駅に戻る途中「真田の抜け穴」という伝承もある「真田古墳」を見物したんですが、
案内板で「※本当は横穴式古墳だったそうです」とめっちゃネタバレしてました。
……長くなってきたので続く。