ここのところ、あまり良くない意味で話題になっているマクラーレン・ホンダですが、最近こんなBDが発売されてたので買ってみました。
マクラーレン ~F1に魅せられた男~ ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray] | |
クリエーター情報なし | |
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン |
商品は「ブルーレイ+DVDセット」となってますが、DVDの方は別の特典映像とかが収められているワケではなく、BDとまったく同じ内容のようです。……このセットになんの意味があるんや……。
それはともかく、内容はマクラーレンチームの創始者であるブルース・マクラーレンのお話(以下、単に「マクラーレン」という場合ブルース・マクラーレンを指していると思ってください)。マクラーレンは1970年に亡くなっているので、当然ながら直接見たコトはありませんし、どんな人物なのかもよく知らないんですよね。
ただ、今や巨大テクノロジーグループとしてF1以外の分野にも進出しているマクラーレンの創始者が、どんな人物だったのか興味があったので購入してみた次第。本編の長さは93分で、当時マクラーレンと一緒に働いたスタッフ・一緒にレースを戦ったドライバー等のインタビュー、当時の映像、それに再現フィルムで構成されたドキュメンタリーとなっております。
F1で自らの名前を冠したチームから出走して優勝したドライバーは歴史上2人だけであり、その1人がこのマクラーレン。そしてもう一人はジャック・ブラバムで、マクラーレンがF1デビューした1959年から1961年まで、この2人はクーパーでチームメイトとして一緒にF1を戦っていたんですね。マクラーレンがニュージーランド出身、ブラバムがオーストラリア出身と2人ともオセアニア出身で、マクラーレンがまだ地元でレースやってた時から交流があったというのも面白いところ。
なお、この作品の監督であるロジャー・ドナルドソンはオーストラリア出身でニュージーランドに移住したという、ある意味監督としては申し分のない人物。
ブラバムはマクラーレンより10歳以上年上で、マクラーレンがデビューした1959年にはワールドチャンピオンも獲得(翌60年も連続チャンピオン)。クーパーがF1に初めて持ち込んだミッドシップレイアウトが功を奏した結果ですが、ライバルもこれに追随してきたため61年は成績が下降線を辿り、ブラバムは自分のチームを立ち上げて独立。これによりマクラーレンはクーパーのエースドライバーとなりますが、独立したブラバムを意識してなかったワケはないでしょうねぇ。
マクラーレンはデビューイヤーの最終戦でF1初優勝(当時22歳、アロンソが塗り替えるまでF1の最年少優勝記録)を飾り、1962年にはモナコでも勝利。ドライバーとしての才能があり、かつ父親がガソリンスタンドを経営していた影響で昔からクルマを触り慣れており、メカの知識も豊富だったそうな。ひょっとすると、組織を運営するノウハウみたいなものも、父親から知らず知らずのうちに学んでいたのかもしれませんね。
で、1963年に自身のチームを設立。このときはまだクーパーとも契約しており、当初開発したマシンはクーパーの名前でエントリーしていたんだとか。
かつてマクラーレンと一緒に働いていた人たちのインタビューを見ていると、マクラーレンという人はボスとしても非常に魅力的な人物だったようで。メカニックをよく自宅の夕食に招いていたとか、一緒に作業場で働いていたとか、皆を和ませる振る舞いも心得ていたとか。一方でいつ寝ているのか不思議なくらい働いていたという話も。ドライビングスキルとメカの知識を兼ね備えて、人間的にも魅力的でかつ勤勉って、ちょっとチート過ぎる感じもしてしまうレベル。
チーム設立当初は、活動資金を稼ぐためにフォードなどのテストドライバーの仕事も引き受けていたようで、これがかなり重要な資金源だったようです。インタビュー映像のクリス・エイモン曰く、1日に650kmくらいならテストドライブの依頼を受けていた、とのこと(……そういやクリス・エイモンって2016年に亡くなってるけど、これいつ収録されたものなんだろう)。
そしてマクラーレンはいきなりF1に目を向けるのでは無く、賞金の額が高かったというアメリカのスポーツカーレースに参戦。マッチョなクルマが多い中、ライトウエイトカーを投入して成功。すると、クルマを売って欲しいという問い合わせが来るようになり、カスタマー向けのクルマの販売を行うようになった、という。
F1やりたいけどそれはひとまず置いといて、稼げそうなアメリカのレースに参戦するというのも、マクラーレンのチーム運営センスを表しているようで興味深いところ。その後北米で始まったCan-Amシリーズでもマクラーレンのマシンは速さを発揮し、カスタマー向けのマシンも売れまくったようです。
1966年にはクーパーから独立して、マクラーレン・チームとしてF1参戦開始。最初はエンジンに泣かされて不振に喘いでいたものの、1968年のベルギーGPにおいてマクラーレン自身の手でチーム初優勝を達成。1969年は北米のCan-Amシリーズで全戦優勝(マクラーレンと、チームメイトのデニス・ハルムの2人で)を達成と、上昇気流の真っ只中。そんな中で、1970年からはインディ500への挑戦も始めるコトとなり、チームはF1・Can-Am・インディ500の車両をそれぞれ用意し、マクラーレン自身はそのすべての車両のテストを行いつつレースに参戦する、という相当なハードワーク状態だったようです。
そしてスケジュールがパンパンだった1970年6月、マクラーレンはCan-Amマシンのテスト中に事故死。この時まだ32歳(!)。レーサーとしてもチームボスとしても才能に恵まれ、若くして様々な記録を打ち立てていった天才だったが故の早世だったようにも見えます。インタビュー映像では、マクラーレンが事故死したときのコトを皆が克明に覚えており、悲しんでいたのが印象的でした。ホントに、皆に愛されてた人なんだなと。
そしてチームとしてのマクラーレンがスゴイのは、マクラーレンの死後、残されたメンバーがその意志を継いで次々と各レースで勝利を挙げていったコト。マクラーレンが命を落とす原因となったCan-Amマシンは事故原因となったリヤウイングを改良して参戦、デニス・ハルムの手によってシリーズ制覇。2年後には、マクラーレンのシャシーを使ったペンスキーチームのマーク・ダナヒューがインディ500制覇。さらにその2年後の1974年には、F1でエマーソン・フィッティパルディがドライバーズタイトル、チームも初のコンストラクターズタイトルを獲得&インディ500もマクラーレンチームとして優勝。
チームのカリスマ的存在だったマクラーレンが突然の事故で居なくなってしまったコトを考えると、チームが分解してしまっても不思議じゃない状況だったと思うんですが、その後もチームはまったくブレずに成果を挙げ続けたってのがホントにスゴイと思うワケです。マクラーレン自身が高い志と挑戦する意欲を持ち、それに惹かれた人たちが集まっていたチームだったんでしょうね。
……まぁ、その後70年代末のグランドエフェクトカーの波に乗りそびれて一気に低迷しちゃうんですけども。その後、ロン・デニスが合流して今のマクラーレンへと繋がっていくワケですね。モーレツ仕事人間という意味ではロン・デニスも似たようなもんかもしれませんが、マクラーレンとは明らかに違うキャラだよな……。今のザク・ブラウンはもっと違うけど……。
しかし、こうしてブルース・マクラーレンという人物を映像で見てみると、ロン・デニス以降のマクラーレンチームってなんかもう完全に別チームだなー、って感じはしますね。F1というもののあり方が、80年代には大きく変わってしまったというのもあるんですけど。マクラーレンの物語は非常に魅力的である一方、こうした物語が生まれる余地が無くなってしまった今のF1が少し寂しくもあり……。