大須は萌えているか?

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明智光秀ゆかりだったりそうでもなかったりする場所アレコレに行った話

大河ドラマ麒麟がくる』も桶狭間の戦いが終わり、放送休止期間に入ってしまいました。毎週楽しみにしていたので非常に残念ではあるのですが、ロケの再開は決まったようですし、ドラマが再び始まるのを楽しみに待ちたいと思います……が、そういやドラマ開始と前後して明智光秀ゆかりの地だったりそうでもなかったりする場所をいくつか訪れていたので、ちょっとまとめてみたいと思います(緊急事態宣言中はお出かけネタを書くのを自粛してた)。

西教寺

琵琶湖の西側、比叡山のふもと、滋賀県大津市坂本にあるお寺。延暦寺焼き討ちのときには一緒に燃えてしまったそうな。しかし、その焼き討ちのあとこの一帯は光秀の領地となり、寺の復興にも光秀が手を貸し、光秀の菩提寺となっているんですね。

境内にある光秀一族のお墓。

正室である煕子のお墓もあるんですが、片隅にひっそりとあるので、言われないとわからない。

なお、この辺猿が多いようです。そういや、以前琵琶湖北岸の「奥びわ湖パークウェイ」走ったとき、車道にまで猿が出しゃばっていた記憶が……。

よくみると、瓦の上にも猿がいます。

このすぐ近くには日吉大社もありますが、ここでも猿が魔除けの象徴として扱われています。比叡山の周辺に住んでいる動物だから、霊験あらたかな存在と見做されたんですかねえ。

坂本城

西教寺からほど近い、琵琶湖のほとりに築かれた光秀の城……なんですが、今は当時を偲ぶようなものはほとんど残っておりません。坂本城址公園っていうのがあるんですが、遺構がなにかあるワケでもないです。そもそも城の縄張りは、公園より もうちょい北みたい。

本丸跡とされるエリアの琵琶湖沿岸には石垣が一部残っているようなんですが、そのあたりは現在キーエンスの施設が建ってしまっており、入るコトができません。ううむ。一応、建物の前に石碑があります。

近くには、「明智塚」と呼ばれる墓(?)もあります。坂本城は、その建築当時は安土城に次ぐ壮麗な城だった、というルイス・フロイスの記述も残っているようなので、その名残を留めようとしているのかもしれません。

西教寺坂本城へ行ったときは、そのあと琵琶湖を北上して白鬚神社にも足を伸ばしたんですが、せっかく比叡山が目の前にあるんだから比叡山に登るって手もありましたね。

白鷹城(明知城)

明智光秀は若い頃の史料がほとんど存在せず出生地も含めて謎だらけなワケですが、岐阜県可児市なんかが有力な候補地のひとつとされています。その可児市にも明智城はあるんですが、こちらは恵那市にある「明知城」です。ここも光秀出身地候補として名乗りを上げており、ふもとにある大正村には大河ドラマ館も開設されていました。

土産物屋さんなんかを覗くとスゴイことになってて、「光秀マドレーヌ」だの「光秀うどん」だの「光秀醤油」だの、とりあえずなんでも光秀に絡めとけ感に圧倒されます。さすがに露骨すぎないかなコレ。

なお、お昼はこの土産物屋さんの隣にあるお店で「光秀らんち」を食べました。

そんな具合にイロモノ感漂う(?)恵那の明知城ですが、城自体はなかなかガチです。山の中に広く縄張りを敷き、地形を活かしたダイナミックな空堀群は一見の価値アリ。

光秀ゆかりの地かどうかはさておき、山城として楽しいのでオススメです。そもそも山城は「密」になりにくいからね、コロナ時代のお出かけスポットとしてこれほど相応しい場所もありますまい(?)。

お牧の方の墓

そして、この恵那の明知城からちょっと歩いたところには、光秀の母・お牧の方の墓まであるのです。

お牧の方は、光秀の丹波攻略の際に人質として差し出され、その後殺されてしまったという有名なエピソードがありますが、その菩提を弔うために江戸時代中期に地元の人々らによって建立されたものだそう。ただ、お牧の方の人質エピソードは後世の創作、というのが今現在の一般的な解釈ですし、それから150年くらい経ってからここに墓が建てられたというのも、なんか腑に落ちない話ではあります。

ていうか、墓所の入り口に「敵は本能寺にあり」なんていう石碑まで建てちゃうのは、そこはかとないやり過ぎ感が漂いますね。

落合砦(多羅砦・土岐明知城)

明知城の南西にある山に、落合砦と呼ばれた砦の跡があります。砦とはいえ、南北に分かれた曲輪の跡があったりして、なかなかの規模を誇るものだったようです。そしてここには、なんと明智光秀の「産湯の井戸」があります。

なんというか、なにがなんでも恵那を光秀の出生地にするんだ、という固い決意を感じずにはおれません。しかし、実際光秀がここで生まれたかどうかはさておいて、山の上からの景色は抜群なので、これを見るために訪れるのもアリではないでしょうか。写真右手の山が明知城、そのさらに奥のほうへいくとお牧の方の墓があります。

大正村にクルマを駐めて、明知城~お牧の方の墓~落合砦と巡ると、なかなか良い運動になります。山だし。

妻木城

光秀の正妻・煕子の出身地。岐阜県土岐市にあります。大河ドラマにも登場してましたね。上の写真はふもとにある屋敷跡なんですが、かなり立派な石垣が残っていて驚かされます。そして山の中へと入っていくと、楔を打ち込んだ跡はあるものの、そのまま放置されちゃってる巨岩なんかも転がってます。割ってどかそうとしたけど、諦めちゃったのかな。

この城の縄張りもかなり広く、そしてあちこちに巨岩がゴロゴロしててビビるんですが、

なによりここは山の上からのパノラマが素晴らしいです。

ここも山城としては相当良いところですね。特に、巨岩フェチの人にとっては、岩村城ほどでは無いにせよ、たまらない場所ではないでしょうか。ちなみにここ、城の南側の駐車場は細い未舗装路をしばらく走らされるコトになるので、どちらかというと北側にある屋敷跡の向かいにある駐車場にクルマを駐めていくことを推奨します(城までの距離はちょっと遠くなるけど)。

土岐氏一日市場館跡

土岐市の東隣、瑞浪市の駅前すぐにあるとこ。駐車場の場所がよくわかんなかったので、駅の駐車場に駐めました。ここは光秀ゆかりの地ではなく、美濃土岐氏発祥の地とされる場所です。摂津源氏の血を引くため、「美濃源氏」なんて称されたりもするようですね。だからドラマの中でも、あんなプライドだけは高そうだったのか。「源氏」ブランドは絶大なんですよね。

ここ、今は神社が建てられているんですが、境内にはバッチリ「明智光秀公ゆかりの地」の石碑が。明智氏土岐氏の傍流とされるので、広い意味ではゆかりの地なんでしょうけど……。

そして真新しい、明智光秀像。大河ドラマ決まったときに作ったのかな……。

にしても、「土岐市」の隣にある瑞浪市に「土岐氏発祥の地」があるというのも、なんだかややこしい話です。なお、この一日市場館址がある場所の地名は「瑞浪市土岐町」だそうで。

なお、ここからもう少し西に行ったところには、土岐氏が築いた「土岐高山城」があるというので足を伸ばしてみたんですが、どこにクルマを駐めて行けば良いのか良くわからんかったので、近くの公民館ぽいとこの駐車場にクルマを駐め、案内標識があったのでそれに従い歩いて行くと、

なんかエライ細い道を歩かされ、

「あぶない!ここに入らない」なんて物騒な看板が立っている山道へと突入し、

なんだかよくわからない山道を歩いて行ったらなんとか辿り着きました。

建物は皆新しいもので、遺構らしい遺構はなんにも残って無かったけどね!ただ、桜がとてもキレイだったのと、

町が一望できるパノラマが良かったのでまあヨシ。

そういや、考えてみたら丹波の福知山城とか亀山城も行ったコト無いので、機会があれば行ってみたいですねえ。関西方面への不要不急の外出は、ぼちぼち行ってもいいのかしらん。ただ梅雨入りしちゃったっぽいので、どのみちしばらくは動けないかな。