大須は萌えているか?

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歴史は誰が作るのか、人はどんな歴史を信じるのか……を考える一冊 『椿井文書―日本最大級の偽文書』

以前、『東日流外三郡誌』の偽書騒動に関する顛末をまとめた本を読んだりして(⇒ 人は信じたいものを信じるのだなあ、と痛感する1冊『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』)、偽書の世界も面白いもんだなー(いろんな意味で)と思ったりしたんですが、最近また、とある偽書についてまとめられた本が目に付いたので読んでみたのでした。

不勉強なため『椿井文書(つばいもんじょ)』なる存在をこの本で初めて知ったんでんすが、よくよくその内容を知るにつけ、これは『東日流外三郡誌』どころではない、すんごい偽書だなと。著者の馬部隆弘は今現在は大阪大谷大学の准教授とのコトですが、『椿井文書』との出会いは、大学院を出たあとに非常勤として勤務していた大阪府枚方市の市史担当部署だったそうで。

枚方市に存在するとされた津田城という山城の歴史を調べるコトになりよくよく調査を進めると、それが実は中世の山城ではなく、近隣の津田村という村の人たちが近世に創作した由緒に起源がある(つまり、城の存在自体がでっち上げ)ことを突き止めたと。なぜ村人たちがそんな創作をしたかといえば、「津田城」があった山の支配権は「津田村」にあると主張したかったから(ただし、津田山になんらかの建物遺構があるのは確からしく、それがあるからこそ中世の山城という由緒になったのだろう)。

んで、山の支配権を巡って対立していた穂谷村では、それよりさらに昔に、村内に朝廷に納める氷を貯蔵していた氷室があったと主張。んで、その証拠となるはずの古文書を作ったのが、椿井政隆という男。もちろんこれも、津田村が主張した由緒に対抗するためのでっち上げというワケです。

椿井政隆は近世後期の国学者で、求めに応じて系図や縁起などを作成することもあったらしい。三之宮神社文書が椿井政隆作成の偽文書であることも明確となり、これによって津田村・穂谷村双方の主張する由緒が形成された過程もおおむね明らかになったので、筆者の目的はひとまず達せられた。
それからも椿井政隆の存在が気になって、穂谷村と隣接する南山城地域の自治体史もめくり続けてみると、似たような内容の古文書が次から次に見つかった。しかも、いずれも正しい中世史料として掲載されているのである。見慣れてくると嗅覚は冴えるもので、同様のものを拾い続けては隣の自治体史へ、そしてさらにその隣へと順に目を通していくと、気づけば滋賀県まで辿り着いていた。このときの「パンドラの箱」の中身をのぞいてしまった感覚は、今でも鮮明に覚えている。

馬部隆弘.椿井文書―日本最大級の偽文書(中公新書)(Kindleの位置No.178-187).中央公論新社.Kindle版.

椿井政隆はこの近隣に留まらず、関西のかなり広いエリアに渡って偽の古文書を量産しており、しかも現代においても「正しい史料」として紹介されているものが結構ある、というのです。

しかし、日本史の研究者ってそこまでマヌケ(失礼)なの?っていう疑問もあるワケですが、これについて著者は、日本史の研究者がタコツボ化している実態を指摘しています。こういうのは歴史学だけの問題じゃなさそうだけどね。

一般論として、研究が蓄積されることで専門性は高まるが、その結果として分野ごとに個別分散化し、蛸壺的な研究になってしまいがちである。このような問題は、歴史学でもつとに指摘されている。椿井文書が抱える現状からも、同様の問題が指摘しうる。すなわち、近世や近代にその地域で起こっていたことを気にしないまま、古代や中世を直視してしまう。あるいは、地域に残された文書群をみることなく、古代や中世の活字史料だけに頼ってしまう。椿井文書を知らず知らずのうちに用いてしまう要因は、このような歴史学のありかたにも求められる。

馬部隆弘.椿井文書―日本最大級の偽文書(中公新書)(Kindleの位置No.206-211).中央公論新社.Kindle版.

また、著者は自分より先に『椿井文書』に気付いていた研究者も少なくなかったとしながらも、研究者にありがちな「偽物に付き合うのは時間の無駄」として、その存在を一切「無視」してしまい、それが偽書であるという情報が広く共有されていないコトも指摘しています。

そういや、以前読んだ呉座勇一の『陰謀の日本中世史』にも同じようなコト書かれてたな。

一見して偽物と分かる史料、論ずるに値しない珍説トンデモ説は、いちいち批判せずに黙殺すべきだ、これは小口氏の個人的な意見というより、日本史学界の共通認識であろう。だが、全ての日本史研究者が「時間の無駄」と考えて無関心を決め込めば、陰謀論やトンデモ説は致命傷を負うことなく生き続ける。場合によってはマスコミや有名人に取り上げられ、社会的影響力を持つかもしれない。誰かが猫の首に鈴をつけなければならないのだ。それが、本書を著した理由である。

呉座勇一.陰謀の日本中世史(角川新書)(Kindleの位置No.4726-4730).KADOKAWA/角川書店.Kindle版.

結局、偽書を「コレ偽物ですよー!」と触れ回る本を書いたところで、研究者としてはなんの評価もされない、というコトなんですね。まあ確かに、偽物を偽物です、って言ったところで、それは新しい歴史の事実をなにか明らかにしているワケではないしね……。そんなコトに時間を割いているヒマはない、というワケです。ただ、そうした研究者の態度が、偽物を生き残らせる土壌にもなっていると。

ただ、それでも『椿井文書』が現代においても一定数の研究者の目を欺いてきたというのはなかなかスゴイ話であり、そこには『椿井文書』ならではのテクニックがあるようで。以下ざっと並べてみますと……。

  • ニーズに即した偽書を提供する
    • 津田村と穂谷村のように、村と村の対立に介入し、その片方の主張を補強するような偽書を提供する。そうすることによって、地域ではそれがホンモノ扱いされ、定着する
  • すでに権威を確立している書物とリンクさせることで信憑性を高める
    • 中でも、江戸中期に成立した地誌『五畿内志』の内容を補完しつつ、むしろ『五畿内志』が典拠としたかのような偽書を作成することで疑われにくくした
  • 「模写」したことにする
    • 原本が書かれたのは中世だけど、それを繰り返し模写したので、紙や絵の具が新しく見えるのはそのせいだよーと予め言い訳しておく
    • 原本の年代を古いものとしておくコトで、裏を取りにくくした
  • 複数、かつ広範なエリアに散らばる偽書の内容をそれぞれリンクさせる
    • 偽書に登場させる架空の寺や人の名前を、余所の地域の偽書にも登場させることで信憑性を高める
    • その最たるものが、『興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)』と呼ばれる興福寺の末寺をまとめた書物。これも椿井文書だそうだが、ここに他の偽書に登場する寺の名前を次々に書き足し、しかもこの『興福寺官務牒疏』は長らく信頼性の高い史料と見做されていたため、椿井文書全体の信頼性向上に寄与してしまった
  • 都市部を題材にすることは避ける
    • 知識人の多いエリアだと、偽書と露見してしまう可能性が高いと考えた?

こうして見てみるとかなり用意周到というか、ひとつの作品だけでなく、椿井文書全体で相互補完的に信頼性を高めるなんていうのは、非常に計算高い優れた手法だと感じます。これに比べたら、『東日流外三郡誌』だの『竹内文書』だのはギャグレベルでしょう。なんかコレ、騙しのテクニックとして今でも通用する手法だよね……。

ここまで偽書に対して情熱を傾けた椿井政隆という人、そのモチベーションはどこにあったのか気になるところです。もちろん、偽書を提供した地域からお金を貰ってはいたようなんですが、ぼろ儲けしていた風でもないようで。どちらかというと、いろんな地域で失われた過去の歴史を補完し、プロデュースするコトが単純に楽しかったのではないか、って気もしてしまいます。もしこの人が現代に生きていたら、優れた歴史小説家にでもなれたのでは……。しかもこの人、絵の才能もあったようです(偽書の中には絵図も多く含まれる)。

一方で、椿井政隆が自身の作品の中に、見る人が見れば偽物と分かるような箇所をわざと入れている節がある、と著者は指摘しています。そうなのだとしたら、椿井政隆にとって偽書造りというのは「遊び」の側面が強いものだったのかもしれません。

こうした『椿井文書』の実態はある程度知られてきてはいるようなんですが、それでも市町村史なんかに『椿井文書』を収録してしまっていたり、『椿井文書』に基づく伝承を町おこしのネタにしてしまっている自治体にしてみれば、これを今更「偽書」として受け入れるのは難しい、という側面もあるようで。身も蓋もなく言ってしまえば、「偽書である」という指摘を無視した方が都合が良いんですね。

んで、そうしていくつもの公的な組織が『椿井文書』を「正しい史料」として引用するコトで、またそれを疑うコトなく受容する人が出てきてしまう、というワケです。「ホンモノか偽物かはどうでもよくて、それが地域活性化のネタになるならそれでいい」という姿勢は、『東日流外三郡誌』を巡る顛末でも見られたモノですね。

しかし、歴史学の目的が「過去の人間の営みを知り、それを今をより良く生きるために活かす」コトにあるのだとするならば、こうした「偽書」が作られ、そしてそれが受容されてきた歴史を知るというのも、また大事なのではないかと思ったりもします。ある意味これは非常に生々しい「人の営み」だし、情報リテラシーの重要さが叫ばれる昨今においてはむしろ必要なコトではないかと。

現代においても『江戸しぐさ』のようなものがでっち上げられたりしてますし、それが批判を浴びながらも一部では受容され続けたりしたのも、何度も繰り返されてきた歴史なんでしょうね。歴史は一人の人間の手によってねつ造され得るし、ねつ造が明らかになっても信じたい人は信じる。歴史とは何なのか、歴史を学ぶ意義とはなんなのか、そんなコトまでちょっと考えてしまう一冊でした。

信じてたモノがウソでした、すっかり騙された……というのは別に恥じるコトではなくて、肝心なのはウソだと気付いたときに頭をリセットできるかどうかなんでしょうね。ていうか、歴史に「絶対」は無いしね。昔習ったコトが、今では平気で覆ってたりするし……。