大須は萌えているか?

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藤枝・田中城と小原・市場城をぶらぶら

先日、うちのかーちゃんが例によって城址に連れて行けと宣うので、ドライブがてら出掛けてきました。静岡県藤枝市まで。新東名経由で行ったんですが、道中の対向車線で黒焦げの消し炭と化している大型トラックを目撃して度肝を抜かれたんですが、それはまた別の話。

新東名で追突事故、10時間通行止め 山林火災は鎮火:朝日新聞デジタル

田中城

で、やってきたのが田中城という城。

正直私は聞いたコトも無かったような城なんですが、どうやら以前ブラタモリにも出演していたクリス・グレン中日新聞で連載している城コラムで紹介していたらしい。場所的には東名の焼津ICからのが近そうな感じもするけど、新東名のがスピード出せる(110km制限区間を含むので)ので新東名経由のが良さげ。

ただ、この観光用に整備されているのは城の縄張りの外にあった下屋敷跡であって、本丸とかではない模様。かつて屋敷にあったとされる池や茶室がちょこっと再現されていたり、

本丸にあったとされる櫓が移築されていたり。明治以降、住宅としても使われていたらしい。

田中城は元々今川氏の手によって築かれたそうで、その後武田信玄駿河侵攻により武田の手に落ち、さらにその12年後となる1582年に徳川が攻め落としたという流れ。櫓の中にジオラマが展示されていたんですが、丸い縄張りを持つ城だったんですねぇ。右下がこの櫓のある下屋敷

下屋敷のすぐ北側には今も川が流れており、これが外堀の役目も果たしていたってコトですかね。

で、今本丸辺りがどうなってるかというと、小学校と中学校が建ってたりします。城址に学校が建っているコトって結構多いよね……。

一部、武田の三日月掘りの跡が残っているというので、学校の東側へ行ってみると……確かにこれは……。

そう言われてみると気付くくらいのレベルで、ひっそりと城の痕跡が残っているのも面白いっちゃ面白いですね。ちなみに、学校周辺の地図を拡大して見てみると、敷地の周囲を道が円形に取り囲んでおり、当時の縄張りの痕跡が残っていたりもします。

市場城

田中城を見物したあと、かーちゃんがもうひとつ城址に寄っていけというので、愛知県まで戻ってから東海環状道豊田市は小原町まで。新東名は行きがけに見た車両火災のため名古屋方面はずっと通行止めだったので、東名使いました。ああ、そういえば先日東名で起きた逆走事故の現場って焼津ICから程近いところですよねぇ……。

で、やってきたのは市場城。

愛知県内ではあるものの、岐阜との県境に近く、まぁ結構な田舎です。

小原町は四季桜を名物としており、11月にはそれにちなんだイベントもやってたりするんでんすが、この城址にも四季桜を植樹しているようで、12月になってもまだ結構咲いてました。

山城ではあるものの、遊歩道が整備されており登りもそこまでキツくないので、山城ビギナー(?)にも良いお城かと。

このお城でまず目に付くのは、そこらに転がる巨石と、

そこらにあるお地蔵さん。

この地蔵はそこまで昔のモノでは無いように見えますが、なんかあちこちに結構な数があるのが気になって……。

巨石の隙間にもこっそり置かれてたりするし。全部の地蔵を探し当てたらなにか良いことあったりするんでしょうか。

さらに登っていくと、地形をくり抜いたような巨大な空堀と石垣が。なかなかスゴイ。

マムシ注意の看板もあったりして。夏場はちょっと避けた方が良さそう。

本丸跡はかなり広い。天守は無かったんでしょうが、これだけの広さがあれば結構な建物があったんじゃないかな?

市場城は鱸(すずき)藤五郎親信という人物が室町時代に築いたようですが、この鱸氏にこの地区の領有権を与えたのが足助鈴木氏(以前行った足助城を拠点としてた一族)だったみたいで、「鱸」っていう姓もなんかそこに関連しているんでしょうか。

本丸跡にあった説明書きによると、鱸氏の第四代・重愛(しげよし)が徳川家康に仕えて大功を立て、領地を加増されたため城の大改修を行い、石垣などもその時に造られたとのこと。ただ、家康の関東移封の際にこれに付き従うのを拒否したため、城を退去させられ、城そのものも廃城となってしまった模様。足助鈴木氏の場合、関東行きに従った結果として足助城は廃城となりましたが、こっちはそれを拒否した結果廃城になるっていう、まぁどっちもどっち的な……。

しかし、関東行きに従うというのはこの地で代々築いた地盤をまるっと放棄するのと同義なワケですし、それを拒否したくなるのもまぁわかる。ただ、結局城を追い出されちゃったワケなんですけども。単身赴任(?)というワケには行かないですもんねえ……。

本丸から見える四季桜もなかなか見事なもので。季節が良く分からなくなるな。

本丸から順路を辿って山を下りていくと、愛知県では珍しいという竪堀群が。山の斜面に沿って、上下方向に堀が造られているんですね。こうして横方向の移動を封じれば、上から狙い撃ちし放題というワケですな。

その奥には堀切と石垣で構成された枡形門の跡が。この奥が三の丸の広場になっており、そこに迎撃用の兵を詰めさせておけばこれも狙い撃ちし放題。

ここも聞いたコトない城だったんで、大したコト無いかと思ってた(失礼)んですが、なかなかに堅牢な山城じゃないですか。最後城主が追い出されちゃったけど。眺望はそこまででも無いですが、四季桜も含めた景色は一見の価値アリではないかと。