大須は萌えているか?

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静岡まで『富野由悠季の世界』展を見に行った話

先日、静岡県立美術館で開催されている『富野由悠季の世界』展へ行ってみました。平日に有給とって。土日で人がたくさん居ると嫌だなと思って。

展示内容がかなりのボリュームで、一通り見るのに数時間はザラにかかるという噂は耳にしておりましたので、新幹線の中で小腹を満たして11時頃に美術館に入ったんですよ。んで一通り見て美術館出たら16時前くらいだったっていう。それでも、後半はずっと立ちっぱなしだったので足がしんどくなってきて、ちょっと駆け足で見たりもしていたんですけども。

展示物の種類は非常に多岐にわたるんですが、富野由悠季という「演出家」の世界(概念)を展示するという性格上、企画書だとか手書きのメモだとかっていうものが非常に多く展示してあり、それらをざざっと読むだけでも相当な時間が掛かるワケです。さらに会場のあちこちにモニターが置いてあり、富野監督が手がけた作品の名シーンなんかが流されているもんだから、それも足を止めてつい観ちゃうじゃないですか。イデオンのラストとか。んでその隣に展示してある絵コンテなんかと見比べて、「ああなるほど、このシーンはこういう……」なんて思ったりしていると、時間なんてみるみる過ぎてしまうワケですよ。

ほいでもって、富野監督の作品ってとにかく視聴者に対して頭を使って考えるコトを要求してくるんですよね。ミュージアムショップで購入した公式図録(400ページ超ある)に掲載されているインタビュー記事を読むと、

もしかすると今回の展示では上手に説明できていないかもしれませんが「富野という人間がいた」「巨大ロボットアニメを作った」「それが展示された」という事実と現象があったことだけは覚えておいていただきたいということです。その現象の意味を皆さんが考えていくと、50年後には何かその意味が鮮明にわかる瞬間が来るかもしれません。皆さんがそうやって考える糸口になるのではないかと思って『富野由悠季の世界』展というものを催しました。そういう言い方はできるでしょう。

via 『展覧会公式図録 「富野由悠季の世界」』253ページより

なんてコトを言っており、「なぜこの展覧会が行われたのか」ということすらも各々が考えてみろというワケです。富野監督は最初、「演出家の仕事は概念を示すことであり、概念の展示はできない」としてこの展覧会の企画に反対だったようですが、それを逆手に「展覧会を観に来た人間の思考のトリガーにする」場として成立させたと。つまり、この展覧会を観て「あー面白かった」で終わってはダメというコトです。恐ろしいですね。

会場では『Gのレコンギスタ』のベルリとアイーダによる音声ガイドのレンタルもあったので借りてみたんですが、聴いているとなかなかブラックな自虐ネタなんかもあったりして、「ひょっとしてこのガイドのシナリオって富野監督自身が書いてる……?」と思ったら、案の定富野監督がガッツリ監修しているみたいですね(ちなみに音声ガイドのシナリオは「展覧会開催記念パンフレット」に収録されている)。

富野監督の自虐ネタってわりと定番なイメージがあるんですけど、あれ謙遜でもなんでもなくて、自分自身のこともとことん客観的に見つめてるんだろなーって気がするんですよね。それは富野監督自身が自分や自分を取り巻く環境についても考え抜いている証拠でもあって、だからこそこれだけの長きに渡ってアニメ作品を作り続けてこられたんだろなと。ただ職業人としてのプライドはものすごく高くて、自分にも他人にも高いハードルを要求するタイプなんじゃなかろうか。

富野監督の手による絵コンテやメモなんかを見ていると、事前に相当綿密に世界観を作り込んでいる感じがして、絵コンテ描いている段階ではもうこの上なく明瞭な映像が頭の中に出来上がっているんだろうなーと。んで、その頭の中では完成しきっている世界の一部がアニメ映像として表現されているんだけど、その切り取られ方次第では視聴者にとっては分かりづらくなったりもするのかもなーなんて思いました。『Gレコ』のテレビ版なんかはまさにそれ。視聴者に考えさせるためにわざと映像で表現する部分に余白を作っているとも言えますが、まあそこのさじ加減って難しいでしょうね。商業作品である以上、エンタメとしても成立していないといけないワケだから。

富野監督のスゴイところは、70歳を過ぎてもそうした試行錯誤を続けており、「わかりにくい」という視聴者の声は真摯に受け止め、自身の思考をブラッシュアップしていっているところ。『Gレコ』の劇場版1作目と2作目はBlu-ray買って観ましたけど、テレビ版より話の流れがわかりやすくなってますもんね。公式図録のインタビューで富野監督は父親に対し『大人が緊張感を失って能力が劣化していくプロセスを見ちゃった』と語っており、「ああはなりたくない」と思ったそうで。テム・レイアムロのエピソードって、ほぼ実体験だったのか……?どれだけ年齢を重ねても思考を止めない、試行錯誤を止めないという姿勢はそこから生まれているんですかね。

ガンダムは好きだしとりあえず見ておくかー、と割と軽い気持ちで足を運んだ展覧会でしたが、一通り見ていくうちにその膨大な「思考」の量に圧倒され頭をぶん殴られたような気持ちになりました。今の自分はそこまで深くモノを考えられていない気がする……。とりあえずあれだ、ガンダム以外の富野作品ってロクに観ていないので、ネット配信でそれらの作品を見ながらそこに込められている思いを考えてみようか。