大須は萌えているか?

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近鉄週末フリーパスを使って大阪・和歌山・奈良で乗り鉄した話 後編

前回の記事の続きです。

imp98.hateblo.jp

めでたいでんしゃ

和歌山電鐵和歌山駅に戻ったあとは、南海に乗るために和歌山市駅を目指します。大阪から和歌山に来る際には阪和線を使ったので、帰り道は南海に乗らざるを得ない。しかし、和歌山駅から和歌山市駅へ行く列車を調べてみたら、本数が壊滅的に少なかったのでバスを利用しました。和歌山市駅は初めてだったんですが、思いの外立派な駅。市民図書館まで併設されているんですねえ。

んで、ここから南海本線に乗る……前に、加太線に乗ります。和歌山市から西にある加太駅までを結ぶ路線なんですが、これまた盲腸線で、『駅メモ!』的に終点までレーダーでアクセスするのも難しそうだったので。

加太線は鯛のマークがシンボルになっているようで、「めでたいでんしゃ」というキャッチコピーまである模様。さっきの和歌山電鐵といいこの加太線といい、このあたりの路線はキャラ付けするのが得意なんだろうか。車内もつり革が魚の形になっていたり、時折ハートマークが紛れ込んでいたりと、なかなか手が込んでおりました。

水間鉄道に乗る

加太まで行って引き換えしてきたあとは、紀ノ川駅南海本線に乗り換えて大阪方面に戻ります。途中、多奈川線関西空港はレーダーでアクセスしてしまったんですが、貝塚から水間観音までを結ぶ水間鉄道は直接乗ってみることに。レーダーで全部アクセスするのも難しそうだったし。

南海の駅から水間観音を結ぶ参詣路線のようですし、南海との結びつきが強いのかなーと思ったら使用されている車両が元東急っていうのがちょっと意外。気になってWikipediaを見てみたら、昔は南海が筆頭株主だったようですが経営的には独立しており、2005年に一度経営破綻して、外食チェーンの杵屋の傘下に収まっているとありちょっとびっくり。

ja.wikipedia.org

乗客はガラガラというワケでもなく、私が乗ったときにも地元の方と思われる乗客がそれなりには乗ってました。交通系ICカードも使えるし。

終点の水間観音駅で降りたあと、せっかくなので路線の由来となった水間観音まで歩いてみたんですが、なかなか立派なお寺。歴史的には聖武天皇の時代の創建とされますが、今の本堂や三重塔は江戸時代末期に建てられたもののようですね。

ただ門前町にあれこれ店がある……という感じでもなく、境内にちょっとした出店はあったものの食事ができそうな場所は無し。コンビニも無い。ちょうど昼どきで何か食べたいところだったので、いったん駅に戻ってみると駅前にラーメン屋があったものの、店が結構狭い感じでかつ席がほぼ埋まっているようだったのでパス。しかし、よく見たら駅構内にうどん屋さんが併設されていたので、こちらで食べることにしました。これは杵屋の絡みなんだろうか。

きしめん以上に平べったい麺に、ネギと胡麻というシンプルなうどんなんですが、この胡麻が素晴らしく美味しかったです。

住吉大社などをぶらつく

貝塚まで戻ったあとは、再び南海線に乗ってなんば方面へ向かうんですが、なんかわりと 順調に乗り継げて来てしまっていたので、適当に寄り道しながら行くことに。そんなワケで、前日にも阪堺電車で目の前を通っていた住吉大社へ立ち寄り。南海の住吉大社駅もほぼ真ん前といっていい近さです。

住吉大社って初めて来たんですが、「本宮」とされる社が4つあり、そのうち3つが縦に並び、第四本宮だけ第三本宮の右隣にあるというL字形の配置になっているんですね。こんなん初めて見た。

住吉大社のWEBサイトの内容によれば、神功皇后三韓征伐からの凱旋途中に住吉大神の神託を得て現在の場所に鎮斎された、とあり、第一~第三本宮に祀られているのが底筒男命中筒男命表筒男命の三柱(「住吉大神」はこの総称らしい)で、第四本宮に祀られているのが神功皇后とのこと。だから第四本宮だけ直列に並んでないのか。

www.sumiyoshitaisha.net

いわゆる三韓征伐の内容については虚実入り交じっている感じがしますが、当時日本から朝鮮半島の権益を狙って派兵が行われていたのは事実なんでしょうし、この一帯に圧倒的な大きさの巨大古墳群が作られているのを見ても当時の王朝がかなりブイブイ言わせていたのは確かなんでしょう。

このあと再び南海線に乗り、難波へ。近隣の地下鉄駅でいくつか未アクセスの場所があったので、地下鉄に乗ろうかとも思ったんですが、なんか歩いて回れそうな気がしたので、地上を歩くことにしました。有名なえびす橋も見えたんですが、なんかすんごい人がいる。

そこからしばし歩いて心斎橋・四ツ橋・西大橋・西長堀ドーム前千代崎あたりにアクセスし、そして汐見橋駅へ。ここからまた南海に乗車。

しかしマイナーな路線なのか、難波のすぐ近くにあるわりにずいぶんひっそりした雰囲気。まあこの路線、難波とは繋がっていないので利用者も少ないのか……(隣接している桜川駅から、阪神と地下鉄が難波へ繋がっている)。

ところで、難波付近にある各路線の駅の総称として「難波(なんば)」と言いたい場合、どのように表記するのが良いんでしょうか。『駅メモ!』の表記を見ると、南海の駅としては「難波」、大阪メトロは「なんば」、近鉄阪神は「大阪難波」となってますが、ただ南海の路線図とか見ると「なんば」ってひらがな表記してるし、阪神も路線名を見ると「なんば線」ってひらがなにしているんですよね……。

奈良方面へ

汐見橋からの列車は岸里玉出との往復運行のみしているようで、ここで高野線に乗り換え……と思ったら、この駅は普通列車しか止まらない模様。急行や準急に乗りたいのであれば、南海線高野線で一つ手前の天下茶屋に戻って乗り換えるしかないようです。汐見橋方面からの接続駅のわりに、なんでこんな扱いが悪いんだろう……(利用者が居ないんだろな)。

気を取り直して高野線の急行に乗り換え、河内長野まで行って近鉄長野線に乗り換え。この日初めての近鉄。なんでこんなルートを取っているかと言えば、近鉄でまだアクセスしてない路線に乗りつつ、奈良方面に向かおうと考えたからです。この日の宿は奈良県に取っていたので。

近鉄長野線は古市で南大阪線と合流しますが、そのまま乗ってると阿倍野橋まで行ってしまうので、道明寺で乗り換えて柏原へ行き、そこで下車してちょっと歩いて大阪線の堅下駅へ。近鉄大阪線南大阪線(道明寺~柏原間は道明寺線)ってわりと近いところを走っていたりするのに、接続はしていないっていうのが不思議な気はする。

……と思ってググってみたら、元々敷設した鉄道会社が違っていたんですね。しかも大阪線南大阪線では線路幅まで違うという。えらいこっちゃ。

近鉄の前身大阪電気軌道(大軌)が敷設した近鉄線の大部分(1,435 mmの標準軌)とは異なり、南大阪線系(南大阪線道明寺線、長野線、御所線吉野線)では1,067 mmの狭軌が採用されている。道明寺線・長野線を敷設したのは河陽鉄道、南大阪線を敷設したのは河陽鉄道を継承した大阪鉄道(大鉄、もとは河南鉄道)であり、その当初の目的は道明寺線柏原駅において接続する同じく1,067 mm軌間関西本線と連携して貨物輸送を行うことであったためである。

via: 近鉄南大阪線 - Wikipedia

それはさておき、大阪線に乗って布施まで行き、そこから奈良線に乗り換えて東へ。……だんだん文字だけだとわけがわからなくなっていると思うので、適宜路線図などご参照ください。

www.kintetsu.co.jp

奈良線で生駒まで行ったら生駒線に乗り換えて、王子(新王寺)から田原本線田原本(西田原本)、そこから橿原線で予約していたホテルの最寄駅である筒井駅へ。王子と新王寺田原本と西田原本というのもなんで駅を統合しないのか不思議な感じ(田原本と西田原本なんて同じロータリーにそれぞれの駅がある)なんですが、ここもやっぱり元々違う会社が運営していたっていうのと、Wikipediaの記述によると地元の反対運動もあったというのはちょっとびっくり。

田原本線近鉄になった1964年頃には、当駅と西田原本駅を現在の北側に移転して統合駅を造る構想があったが、人の流れが変わって悪影響を受けることを懸念した地元(駅周辺の商店など)が反対して立ち消えになったという。

via: 田原本駅 - Wikipedia

田原本線自体がそこまでお客さんが多く無さそうなので、そもそもコスト掛けて統合するメリットが無い、というのもありそう。なかなか難儀な路線なんですねえ……。

高野山へ行く

筒井駅近くで一泊して、旅行最終日。ここからは橿原線奈良線を乗り継いで難波まで行き(道中でけいはんな線もレーダーでアクセス)、そこから南海高野線高野山まで行くコトに。高野山は以前に一度行ったんですが、『駅メモ!』始めてからはまだ行ってなかったですし。せっかくなので、余分にお金出して特急「こうや」に乗ってみました。

なんか最前列の席が空いていたので取ってみたんですが、客席より運転台のが高い位置にある&運転台の後ろのガラスにはスモークフィルムまで貼ってあったので、展望はよろしく無かったですが……。

しかしまあ、「こうや」だと一本で極楽橋まで行ってくれるのでそこはラク。さすがに橋本から先の区間はかなりゆっくりめな走行ですが。せっかくなので、極楽橋から高野山ケーブルにも乗ってちょっと高野山をうろつきました。これで和歌山県の駅は全制覇。

二度目だけど、やっぱり奥の院の雰囲気はすごいですね。

あと、高野山ケーブル高野山駅の2階に、昭和天皇高野山行幸した際に南海が作成した計画資料などが展示されており、これはこれで興味深かったです。

古墳のとなりを歩く

この時点で大阪・奈良の駅もほぼアクセスできている感じだったので、昼過ぎくらいまで高野山で過ごし、帰りの高野線も難波までは戻らずに堺東で下車してみました。駅のすぐ近くに堺市役所があり、ここの展望ロビーから百舌鳥古墳群が見下ろせるらしかったので。ていうか堺市役所の建物すごいね?

www.sakai-tcb.or.jp

地上21階の高さなので、見晴らしはなかなかのものなんですが古墳を上から見下ろせる……というところまではいかず。でも、その巨大さはよくわかりますね(下の写真中央の森みたいになってるのが全部古墳)。

あと、展望フロアでさいとう・たかをの展示コーナーが設けられており(子供の頃に堺市に住んでいたそうな)、こちらも思わず見物してしまいました。

その後せっかくなので、もう一度高野線にのって一つ隣の三国ヶ丘まで行き、そこから大山古墳の隣を歩いてみました。ていうか道の直線ぶりが半端ない。

道の見晴らしが良いためか、ジョギングしている人がちらほら居ましたね。私もこの近所に済んだら、絶対古墳の周りをウォーキングルートにすると思います。外堀とか見ると完全に城にしか見えませんけどね……。

古墳というのは日本全国にありますが、百舌鳥・古市古墳群の規模は群を抜いており、これほどの古墳を造営してまでその権威を見せつけたかった理由は何か、ということを考えると面白いですよね。王朝交替説なんてのも興味深いですが、一応天皇家万世一系ということになっているらしいのであまり深くは言わないでおきます。

古墳の近くにビジターセンターというのがあったので寄ってみたりして、そのあとは百舌鳥駅からJRに乗って天王寺、そこから御堂筋線で難波へ。

難波からは再び「ひのとり」に乗って名古屋へ戻ったんですが、その道中にまだアクセスしていなかった大阪線の数駅にチェックインすることで大阪府奈良県の駅もコンプ。まあ、大阪はまた新駅が増えるみたいなので一時的なものですが……。なお、「ひのとり」に乗る前にちょっと時間があったので551蓬莱の本店に行ってまた弁当を買い、列車の中で食べたりしてました。非常に満足。

今回の旅行で大阪・和歌山・奈良の全駅アクセスができて、京都や兵庫もあと一歩という感じではあるので、これで関西圏はだいぶいい感じですね。今後は関東に目を向けつつ、さらに遠くのエリアに足を運ぶことを考えていきたいと思います。だんだん飛行機の利用を考えざるを得ない感じになってきた……。