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聖地巡礼:『ドリフターズ』より烏頭坂~島津塚

またまた暑いので、日帰りドライブに出掛けるコトにしました。(写真と地図多めです)

今回は、多少なりともアニメやマンガを嗜む者として、所謂「聖地巡礼」ってのをしてみるか、ってコトで、某マンガと某アニメゆかりの地へと出掛けるコトに。まず最初のお題はコレ。

ドリフターズ 1巻 (ヤングキングコミックス)
平野 耕太
少年画報社

平野耕太ドリフターズ』。初刷買い逃してしまい、しばらく待ちぼうけしたあと購入して読んでみたんですけど、『ヘルシング』に負けず劣らず面白いです。平野耕太聖杯戦争みたいな感じで。しかしどうも私は戦国(ていうか安土桃山か)の武将を良く知りませんで、主役の島津豊久を見て「誰コレ?」状態だったりしました。んでちょいとWEBで調べてみてるうちに、実際に関ヶ原行ってみたくなりまして。岐阜なんで家からそんなに遠くないですし。

関ヶ原までは名神高速使えばあっという間。関ヶ原インターで降りて左に向かえば、スグに関ヶ原の古戦場です。国道365号をちょっと進めば徳川家康最後の陣跡、もうちょい進めば石田三成陣跡です。正確には365号からちょっと外れるんですけど、案内看板が出ているんでわかりやすいです。

石田三成陣跡には駐車場もあるんで、とりあえずクルマを置いて見物。山の上なので見晴らし良いです。島津軍は写真の右手側に展開していたコトになります。

家康最後の陣はかなり近く、最大の激戦があったとされる決戦地の碑は三成陣跡のホントに目の前。そこから南に向かい、国道365号を渡って住宅地をちょいと歩いて行くと神明神社という島津の幟が立ってる神社があり、そこの右手にある路地を奥に入ると島津の陣跡があります。案内表示があるので、迷うことは無いと思いますが。

道が細いので、三成陣跡からの徒歩推奨。

島津勢はここで防戦に徹し、小早川の裏切りにより西軍が大崩れになった際に退路を絶たれ、「島津の退き口」と呼ばれる敵中突破劇をやってのける・・・というワケですね。Wikipediaによれば、切腹しようとした島津義弘を説得し、敵中突破の先陣を切ったのが島津豊久とされています。なんという漢気。

関ヶ原の戦いが始まってから数時間、東軍と西軍の間で一進一退の攻防が続いた。しかし14時頃、小早川秀秋の寝返りにより、それまで西軍の中で奮戦していた石田三成隊や小西行長隊、宇喜多秀家隊らが総崩れとなり敗走を始めた。その結果、この時点で300人まで減っていた島津隊は退路を遮断され敵中に孤立することになってしまった。この時、義弘は覚悟を決めて切腹しようとしていたが、甥の島津豊久の説得を受けて翻意し、敗走する宇喜多隊や小西隊の残兵が島津隊内に入り込もうとするのを銃口を向けて追い払い自軍の秩序を守る一方で、正面の伊勢街道からの撤退を目指して前方の敵の大軍の中を突破することを決意する。島津軍は先陣を豊久、右備を山田有栄、本陣を義弘という陣立で突撃を開始した。

via: 島津義弘 - Wikipedia

 

実際現地に行ってみると良く分かるんですが、島津の陣跡から家康の本陣はかなーり近いです。ここで一度クルマに戻って、国道365号を今度は南(関ヶ原IC方面)に向かいます。関ヶ原ICを過ぎて少し進むと、左手に入る道があるのでそこを左折。少し進んだところが、豊久が「捨て奸(すてがまり)」をしたとされる烏頭坂です。

コミックス一番最初の見開きシーンがまさにこの烏頭坂なんですが、実際見てみると結構急なカーブを描いた道であり、敵を足止めするには良いポイントだったんでしょうね。叔父である義弘を説得し、敵中突破の先陣を切り、そして烏頭坂では殿として己の命を差し出す・・・なんて、豊久とはすさまじい武将ですね。ちなみに、マンガでは豊久が井伊直政を銃撃して落馬させていますが、実際に直政を銃撃してみせたのは柏木源藤(島津家家臣で小返しの五本鑓のひとりでもある川上忠兄の被官)だそうです。

で、ここの左手にある階段を上ると、豊久の碑があります。ちなみにここは駐車場がありませんので注意。私は手前の路肩が広がっているところに少しだけ路駐させてもらいました。駐禁区間ではないはずですが、意外ととクルマが通る道ではありましたので、ささっと見物を済ませるべきでしょう。

お次は豊久の墓と言われている島津塚を目指します。烏頭坂で重傷を負った豊久は、わずかな従者と共にさらに南にある多良というところまで落ちのびたんだとか。そんなワケで再び国道365号をずんずん進み(途中「牧田上野」の交差点右折)、上石津第一~第三トンネルをくぐります。昔は当然こんなトンネル無かったワケなんですけど、豊久は深傷を負った状態で峠を越えたんですかねー・・・。

「上原」という交差点を過ぎて少し進むと、左手奥に進んで365号を下からくぐる道があるんで、そこに入って牧田川を越えます・・・っていうか、このへん道わかりにくいんで、ナビの使用を推奨。「るりこうじ(瑠璃光寺)」と目的地を入力すると良いでしょう、きっと。岐阜のやつですよ。つーかナビあっても道に迷って、畑に居たおばあちゃんに道尋ねちゃいましたけどね、ええ。

このお寺に豊久の位牌が奉られているのだそうで。「嶋津豊久公菩提所」と書かれた石碑も建ってます。

そして豊久の墓と言われる島津塚は、この瑠璃光寺手前の保育園の前を横切っている道を右に入ってスグのとこにあります(ややこしい)。つまりこのへん↓。

実はここも駐車場が無く、仕方無いのでまた路駐を・・・。ただ島津塚の前の道は真新しい道なんですが、どうもまだどこにも接続してないっぽく、交通量はほぼありませんでした。島津塚の前には案内看板も立てられています。Wikipediaによると、ここまで落ちのびてきた豊久を村人が拒絶し無念の死を遂げたという説、逆に村人に害が及ぶことを忍びなく思った豊久が自刃したという説があるそうですが、ここでは自刃したとの説明がされています。そりゃ地元としては前者は採用できんわな・・・。

そして島津塚・・・なんですが、林の真ん中にぽつんとある小さなお墓がそれ。手前にある石碑や右手にある顕彰碑(どちらも平成になってから建立されたもの)が立派なだけに、逆の意味で驚いてしまいます。しかし合戦があった当時に立派な墓が用意できたか、といえばそうは思えず、なんとも言えないリアリティを感じたりもします。

ちなみにこのすぐ左には何故か「奥の院」と書かれた稲荷神社があるんですけど、これはなんなんでしょう。

烏頭坂からこの島津塚のあたりまではそれなりの距離があり、しかも峠越えもしなくてはならないので、豊久が深傷を負いながらもここまで落ちのびたのだとすると、相当なタフガイだったのかなぁ、という気もします。まぁ、マンガではここに辿り着く前に異世界にすっ飛ばされているワケなんですけど。妖怪「首おいてけ」の異名を持つ(?)豊久のタフネスぶりをうかがい知るには良いところなので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、実際に現地を訪れた際には先に烏頭坂と島津塚を見て回り、ヨソへ行った後の帰り道に時間が余ったために、石田三成と島津の陣跡を見て回るルートでした。ただ、その順序だとちょっとわかりにくい気がしたので、順序を変えてエントリにまとめてあります。

お次は、岐阜の隣の県にある、あの有名な聖地まで足を伸ばします。

聖地巡礼:『けいおん!』より豊郷小学校旧校舎群 - 大須は萌えているか?