大須は萌えているか?

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「パワースポット」っていわば言葉のロンダリングだよね

以下のブログ記事を読んでふと思ったことなど。

“パワースポット”なんか知らない - 一本足の蛸

「パワースポット」という言葉を誰が使い始めたのかよう知りませんが、いつのまにかそれなりに定着し、地域の観光PRなどにも「パワースポット」という言葉が登場するケースがちょこちょこと見受けられるよーに思います。

そもそも「パワースポット」の定義ってなんじゃい、という話なんですが、Wikipediaを見ると

『世界のパワースポット: 癒しと自分回復の旅ガイド』という本では、パワースポットには人を癒すとされる水があったり、人に語りかけるとされる岩があったり、あるいは磁力を発する断層があったりすると解説されている。

欧米ではボルテックス、vortex、ヴォルテックス(渦巻き)の噴出する地、という概念が有る。セドナ (アリゾナ州)などが有名である。

荒俣宏は、「パワースポットは大地の力(気)がみなぎる場所と考えればよい」と述べ、そもそもパワースポットという言葉こそは新しいが、昔から大地の力を得ようとする試みはあった、と指摘した。

via: パワースポット - Wikipedia

 

「パワースポット」というとなにか真新しく聞こえるけど、古くから信仰の対象となっている場所がそう呼ばれているコトが多いよ、という話。だから神社とかやたらと「パワースポット」扱いされるのね。

ただ、この「パワースポット」という言葉にはなにか引っ掛かるモノを感じてしまいます。「古くから信仰の対象となっています」と言われれば「宗教的なモノ、オカルト的なモノ」というニュアンスが含まれているとわかるのですが、「パワースポット」という言葉だとそういうニュアンスが省かれて「そこに行けばパワーが得られる」という認識だけを与えてしまうよーに思うんですよね。いやだって「パワー」な「スポット」ですよ?

しかし実際問題として「パワースポット」とされる場所に行けば必ずパワーが得られるかというとそんなハズは無いワケで。私は神社仏閣の類いに足を運ぶのは好きですが、別にパワー得られた感覚なんて体験したコトありませんし。

それどころか、テレビで「ものすんごいパワースポット」として紹介されたらしい長野の戸隠神社なんて、人が多すぎて逆にパワー奪われましたよ。

もちろん、そこが「パワースポット」であると信じていて、実際にパワーが得られたと感じる人がいるのは別に構わないと思います。オカルトってのは信じる人にはなにがしかの効果があるモノです(良いにしろ悪いにしろ)。しかし、結局それは人によるんですよね。逆にいうと、どんな場所だって「ここがパワースポットである」と信じ込めばそうなるんです。サウナやパチンコ屋やキャバクラがパワースポットだというおじさんも居るでしょうきっと。

つまり「パワースポット」なんて絶対的なモノではないワケで、それを地域の公的な団体なんかが率先して「ここがパワースポットです」なんて紹介するのはかなりアレだよなぁ。人を呼び込むためには方便も必要なのかもしれませんが、それにしても安易であるという印象。

私は別にオカルトを観光資源にするなとは思いません。私自身そういう胡散臭いの嫌いじゃないというかむしろ好きなので。ただオカルトはオカルトであるとわかるようにしておくべきで、「パワースポット」という聞こえの良い言葉で胡散臭さをロンダリングするのは気に入らない、というお話でした。

いっそのこと、皆神神社の看板くらい突き抜けていれば何の問題も無いんですけどね!

ちなみに、私にとっての「パワースポット」は自分の部屋です。