大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

京都散策 ~新島旧邸から壬生寺まで

えー、大河ドラマ『八重の桜』、面白いらしいですね。私は観てませんが。

ウチのかーちゃんは毎週熱心に観ているんですが、突如「青春18きっぷ使って京都行くから随行せい」と言われ、特にするコトも無かったんで一緒に行ってみました。京都のどこに行くのか知らなかったんですけど。新島襄がどうとか行ってたので、『八重の桜』絡みだろうなぁとは思っていましたが。

新島旧邸

そしてJR新快速を乗り継ぎ、京都駅から地下鉄に乗り換えてたどり着いたのが 新島旧邸新島襄の私邸であり、同志社発祥の地でもあるという場所。

新島襄といえば同志社創始者であり、矢吹丈、キングジョーに並ぶ日本三大ジョーの一人として私の脳内では有名ですが(ドラマで新島襄を演じるオダギリジョーは選外)、今だと「八重のダンナ」と言った方が通りが良いんですかね。八重は女傑と呼ぶに相応しい行動力と性格を持ち合わせていたようですが、ダンナの方も二十歳そこそこでアメリカに密航し、向こうで大学まで卒業しちゃうという知力と行動力の持ち主だったりします。

現在新島旧邸は見学するのに事前予約が必要みたいですが、その辺は抜かりなく予約されておりました。

見学順路としてはまず資料館が先になっているんですが、入ってみるとなんか八重さんがずいぶんと可愛らしいキャラクター化されてたりして。

大河ドラマだと綾瀬はるかが演じているので勘違いしそうですが、実際の八重って襄をして

「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」

via: 新島襄 - Wikipedia

と言わしてめいるワケでして、実際問題写真とか見ると「あー」って感じなんですが、なんというかキャラクター化するという手法は偉大ですね。ちゃんと八重っぽく見えるし可愛らしい。でも「生き方がハンサム」って良いですよね。女性に対する褒め言葉には聞こえませんが、でもその好みのツボはわかる気がする。

天気がイマイチだったコトもあり、邸内が結構薄暗くてあんまりマトモに写真撮れなかったんですが、和風でもあり洋風でもあるなんだか面白い感じの家。一番衝撃的だったのは、この時代にしてすでにトイレが洋式だったコト(板張りなんだけど、座って用を足すタイプ)。2Fは見学不可となっており、見学順路自体は結構あっという間に巡れてしまうんですが、大河ドラマ毎週観ている人なら観る価値あると思います。予約制なので、混雑しすぎるというコトもないですしね。それでも人は多かったけど。

京都御所

新島旧邸は京都御所のすぐ東隣。そういや京都御所って見たコトないなぁと思い、ついでに寄ってみました。こちらは見学予約とかしているワケでは無いので、京都御苑をぶらぶらしたというのが正解ですが。こんなだだっ広いのね、ここ……。

この時点で若干雨がぱらつき始め、風もあっておよそ散策には向かない天気だったのですが、まぁせっかく京都まで来たのだし。一般公開のときにでも来てみたい気はするのですが、しかし混むんだろうなぁ……。

二条城

そこからかーちゃんが「 二条城が見たい」というので徒歩で二条城まで。ニジョージョー……こんなところにもジョーが……いやむしろジョジョ……?(意味不明)しかしよく考えてみたら自分も二条城見物したコトなかったのでちょうど良いか。案外京都の名所ちゃんと巡れてないな俺。

まずは二の丸御殿を見物したんですが、いや想像以上に広いですねここ。それぞれの部屋にある障壁画や細工も見事(障壁画のオリジナルは別の場所に保管されているみたいですが)。その政治的な役割を考えればこれくらいは当然なのかもしれませんが、なんつーか「天下を取る」ってのはとてつもないコトなんだなぁと思わざるを得ない場所。でも、この場所が徳川幕府終焉の場所にもなったというのも面白い巡り合わせですが。

二の丸御殿を見終えて庭園まで足を運ぶ頃には、雨がどんどんヒドくなってて泣きそうになりました。

んで、天守でも拝んでみるかと思って本丸へと会談を登っていったところ……

意外!それは空き地ッ!

落雷で消失してたんですねコレ。にしても二条城って、

1634年(寛永11年)7月 秀忠死後、家光が30万7千の兵を引きつれ上洛し、二条城に入城したのを最後に二条城が将軍を迎えることは途絶え、幕末の動乱期までの230年間、二条城は歴史の表舞台から姿を消す。

その230年の間に暴風雨や地震、落雷で徐々に建物は破損し、老朽化する。1750年(寛延3年)には落雷により天守を焼失。さらに京の町を焼き払った1788年(天明8年)の大火の際には、飛び火が原因で本丸御殿、隅櫓などが焼失した。破損部分に関しては修理が行われたが、失した建物については再築されることなく、幕末を迎える。

via: 二条城 - Wikipedia

などという記述を見てしまうと、作ったは良いけどその後持て余して割と放置されてた残念な物件なんですねぇ。

八木家と壬生寺

二条城を見物している頃から雨が降ったり止んだりな上に風も強くて肌寒いという、ここんとこすっかり春めいていた天気がウソのような極悪なコンディションに見舞われていたんですが、かーちゃんはまだ余裕で歩く気満々だったので、二条駅近くで適当に昼食をとりさらに歩きます。あの人、ウォーキングにハマってるからインドア派の私より足腰丈夫なんだよね……。

で、やってきたのは 八木家新撰組発祥の地とされている場所です。詳しくはリンク先とか見て貰えればと思いますが、ここはガイドさんが常駐してて非常にわかりやすい解説があり良かったです。あと、やたら女性が多く見学に来ててワロタ。新撰組は腐人気が高いと聞いてはいましたが……。

ここは新撰組内ゲバにより芹澤鴨らが暗殺された場所でもあるというコトで、室内で解説していたガイドさんが「ちょうどお嬢さん(一緒にガイド聞いてたお客さん)が座っているあたりで芹澤が寝ていて、そこを襲われて……」なんていう生々しい話を。寝床から飛び起きた芹澤は逃げようとしたものの、隣の部屋にある書生机に蹴躓いたところをバッサリやられたそうな。んで、その蹴躓いた書生机や暗殺者(土方歳三沖田総司らの誰か)が付けた刀傷が当時のまま残っているという。

芹澤と共に殺された平山五郎は首をはねられた状態だったそうで、現場は天井まで血飛沫に染まる凄惨な状況だったとか。しかもその後、近藤勇らはその部屋を活動拠点として寝泊まりしていたというんだからまぁなんというか。事故物件のマンションが可愛く見えるレベル。

八木家は入場料が1,000円と少々お高いんですが、しかしここ新撰組ファンにはたまらない場所なんだろね。ちなみにこの入場料には抹茶と茶菓子の料金も込みになってるので、見学したあとはお茶で一服。

んで、八木家のすぐ近くにあるのが 壬生寺新撰組が兵法の訓練をしていたとされ、境内には隊士の墓もあったりします。

けど、境内はそこまで広いワケでも無く、予備知識が無ければなんかふつーのお寺。本堂も結構新しいんですが、これは昭和37年に放火で焼失したものをその後再建したからなんだとか。新撰組隊士のお墓は別途100円払えば見学可能。近藤勇の像までありました。

あと、妙にイケメンに描かれた隊士のイラスト入り絵馬が無数に。

まったくお前らときたら……ってこの系統の人はさすがにこのブログ読んでないか。しかしホントすごいな、新撰組の女性人気……。倒幕派の目線から見ると完全に敵役だし、乱暴狼藉を働く隊士も多かったコトから地元の人らも新撰組に対するイメージは悪いと聞いたコトがあるんですが、時と場所が変わればイメージも変わるというコトかなぁ。

そんなこんなで

歩き疲れた。でも、ホント京都は興味深い場所が無数にありますね。ああ、そのうち『たまこまーけっと』の聖地巡礼もしたいところなんだけど……。