大須は萌えているか?

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九州縦断ツアーその3:戦艦武蔵の故郷と軍艦島

この記事は、「九州縦断ツアーその2:あの雲の向こうにラピュタが(無い」の続きです。

長崎へ

熊本市街で1泊したあとは、レンタカーのヴィッツを駆って熊本港へと向かいます。なんで港かっていうと、フェリーに乗るため。この日は長崎へと向かう予定だったワケですが、熊本と長崎は有明海で隔てられており、陸路で長崎を目指すとなると佐賀を経由してぐるーっと大回りしていく必要があります。

んで、ちょっと調べてみると熊本港と島原を結ぶフェリーがあったんで、じゃあこれに乗ってみようと。まぁ乗船手続きの時間や、島原に渡ったあとは長崎市街までひたすら一般道になるため、正直そこまで時間短縮できるワケではないんですけどね。いいんだよフェリー乗りたかったんだよ!

熊本港のフェリーターミナルはこんな感じ。この日はひじょーに天気も良く、素晴らしい青空でした。

利用したのは熊本フェリーオーシャンアローという船なんですが、カーフェリーの割りに結構かっちょいいデザインしてます。

これで熊本港島原外港まで30分。島原に着くと目の前に雲仙が見える……んですが、山頂付近がすっぽり雲に覆われておりました。やはり山の天気は読めぬ。

ちゃんぽんとハンマーヘッドクレーン

雲仙がちゃんと見られなかったのは残念ですが、とりあえずは長崎市街へ。グラバー園近くの市営駐車場にクルマを置き、ここで知り合いの荒川茂樹氏(仮名、東京在住)と合流。いや、連休前に「G/Wどこか行くのか」と聞かれたので「九州いくつもり」と答えたところ、「ならば私も行こう」と乗ってきたので。ただ、旅行1~2日目は彼は仕事だったため、途中参加という形になりました。

で、まずは昼飯というコトで、近くにある「みらく苑」というお店でちゃんぽん食べました。

グラバー園の近くにはちゃんぽん発祥の店とされる「四海樓」というお店もあるんですけど、満席の看板が出てたので……。でも、「みらく苑」のも美味しかったですよ。

食後、ちょいと港のあたりをぶらぶら。ちょうどすぐ近くにはかつて戦艦武蔵なども建造した三菱重工 長崎造船所があり、建造・メンテ中の大型船舶も停泊してました。

以前、呉を訪れた際には戦艦大和を建造したドック跡も見物したんで、武蔵の故郷も見てみたいなーというのもありまして。

んで、ここから見えるちょっと古そうな大型クレーン、これが100年以上現役で稼働している(設置されたのは明治42年!)というハンマーヘッドクレーン。

武蔵建造よりもさらにずっと前から稼働しているって一体……。150トンの重量物をつり上げるコトができるそうで、ひょっとすると武蔵の艤装にも使われたりしたんでしょうか。

そういえば、長崎造船所の見学可能な施設として長崎造船所 史料館ってのがあるんですが、見学可能なのは基本的に平日のみ(要予約)で、私らが訪れたG/W後半は休館でした。残念。

軍艦島

で、なぜ長崎駅付近ではなく、少し離れたグラバー園近辺で荒川氏と待ち合わせたかと言えば、すぐ近くの桟橋から出航する軍艦島見学ツアーに参加するため。やっぱり長崎まで来たら、軍艦島見てみたいじゃないですか。

軍艦島への上陸ツアーを催行している業者はいくつかあるんですが、上陸率の高さを謳っている軍艦島コンシェルジュというところに申し込みました。土日祭日や連休期間は大人1人3,900円。値段は多少の差はあるものの、どの業者もだいたい同じっぽいですね。まーこの日は天気は抜群、波も穏やかだったので、上陸できないという可能性はほぼ無かったんですけど。荒天時や波が高いときには上陸できないコトもあるみたい。

クルーズ船は1F船室と2Fの展望デッキがあり、ここはやはり2Fの方に。ただ、人が多いのでうかうかしていると2Fはすぐに埋まってしまいます。で、出航後さっきのハンマーヘッドクレーンも間近で見られたり、

かつて武蔵を建造した当時のまま残っているという第二船台のガントリークレーン(三菱マーク入りの門型クレーンの奥にある赤茶けたやつ)もすぐ近くで見られます。

自分が座ってた席の反対側だったのが惜しい。そしてもう少し進むと、これまた三菱重工の香焼工場が見えてきます。

この門型クレーン(ゴライアスクレーンと言うそうな)は1200トンの重量物を吊るコトができるそうで(⇒ 三菱重工|国内最大の1,200トン ゴライアスクレーンを本格稼動 香焼工場の競争力強化が狙い)、ここまで来るとわけがかわらないよ。ガイドさんの説明によると、クレーンの三菱マーク一つでテニスコート1面分くらいの広さがあるんだとか。

そして出航後30分程度で軍艦島到着。島が見えてきた途端、船内のお客さんこんな状態。

軍艦島に設置されている上陸用の桟橋はひとつで、上陸ツアー催行業者の船が入れ替わりで接岸しては上陸する形。場合によっては、海の上で「順番待ち」になったりするようです。

軍艦島島内

そしていよいよ上陸。すっかり定着している「軍艦島」という名称は通称であり、本来は「端島(はしま)」という名前。島の地下に海底炭鉱があり、明治に三菱がこの島を買い取って以降島を整備し、炭鉱労働者とその家族が生活する「都市」として発展したという島。

現在島内には見学用の遊歩道が整備されており(島内1周できるワケではなく外周の1/5程度 )、その道を辿りながら3箇所ある見学広場でガイドさんがいろいろ解説してくれる流れ。最初の見学広場は上陸してすぐの場所。

写真右側に並んでいる柱みたいなのは石炭を運ぶベルトコンベアの支柱跡。奥に見える建物は、70号棟と言われる小中学校の跡です。

お次は第2見学広場から。階段で繋がっている建物が見えますが、この奥に海底炭鉱への入坑口があったそうな。生きている者はもちろん、亡くなった人の遺体もこの階段を通って搬送されたコトから「命の階段」と呼ばれている、とガイドさんの説明。

実際炭鉱内での事故は多かったみたいで、三菱の記録では200人以上の死者が出ているとのコト。しかもこの数字はおそらく三菱の社員だけの数字で、下請け・孫請けの業者や、朝鮮人や中国人の外国人労働者は含まれていないだろうという話。特に戦中は相当過酷な労働環境だったみたいで、自殺したり島からの脱走を試みる人もいたみたいですね。

そして最後に遊歩道の一番奥、第3見学広場。ここからは、日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートという30号棟が見られます(写真右側の黒っぽい建物)。建てられたのはなんと大正5年。

軍艦島で採れる石炭は非常に質が良かったらしく、そのほとんどが八幡製鉄所で使用されたそうな。製鉄の要となるエネルギーを採掘する島だけに、鉄筋を使用した建物もいち早く建てられたってコトなんでしょうか。

そんな軍艦島も、昭和30年代に最盛期を迎えたあとは、石炭から石油へとエネルギーの主力が転換するにつれ衰退していき、昭和49年に閉山。その後40年間風雨にさらされ、今の状態になっているワケですね。

軍艦島外周

第3見学広場を見たあとは、船に戻ります。上手いこと先頭に近いポジションで船に戻り、2F展望デッキの席ゲット。出航したあとは、軍艦島の外周をぐるっと回ってくれます。遊歩道から見られなかった場所は、海の上から見物するという寸法。

まずは島の北側。左側の建物がさっき第1見学広場から見えた学校、隣が島内最大のアパートだった65号棟。コの字型になっているそうで、総戸数317戸というデカさ。その手前にあるのは病院です。

病院には、インフルエンザ等の感染症患者用の隔離病棟もあったそうな。狭い島だけに感染症には細心の注意を払っていたようで、感染症の発症率は全国平均を下回っていたとのコト。

そして島の西側。建物がびっしり。最盛期の昭和35年には5300人近い人口を数え、東京23区の9倍以上という人口密度を誇った島ならではの光景ですね。

よくよく見ると神社っぽい建物も見えるんですが、島内には神社も寺もあったそうな。他にも食料品店や郵便局、映画館やパチンコ屋まであったそうで、まさに街そのものがここに構築されていたんですねぇ。

そして船は少し島を離れ、海上から「軍艦島」と呼ばれるきっかけとなった島のシルエットを見物。

確かに島の右側を艦首方向と見ると、軍艦ぽく見えますね。「軍艦島」の呼び名は大正5年の大阪朝日新聞の記事ですでに見られるようで、そこから定着していったみたい。長崎日日新聞はちょうど長崎で建造されていた戦艦土佐(空母改装前の加賀の姉妹ですね)に似ていると報じたそうな。

ちなみに、軍艦島の外周は左右どちらからでも見えるように船を回してくれたので、どちら側の席に座ってても問題なしです。

しかしなんだ、今だとGoogleストリートビューでも島内が見られるようになっているので、ヘタな上陸ツアーよりもこっちのが島内の様子がわかったりして……。でも、やっぱり一度は実物見てみるのもいいもんですよ。

再び長崎港

そしてクルーズ船は再び長崎港へ。帰り際、間近というワケにはいきませんでしたが、第二船台のガントリークレーンを再び撮影するコトができました。

ちなみに、このときすぐ右手側では巨大な豪華客船「アイーダ・プリマ」が建造されており、この翌日進水したという話。排水量は12万5千トンだそうな。

進水後はさっき見た三菱重工 香焼工場で艤装を行い、来年発注元へ引き渡されるとのこと。停泊していたタンカーもそうですが、普段ここまで大きな船を見るコトはなかなか無いんで、思わずテンション上がっちゃいますね。

グラバー園

クルーズから戻ってきたあとは、すぐ近くのグラバー園に行ってみます。ここって高台の上にあるので、長崎造船所がよく見渡せるんですよね。なので、武蔵建造時にはこれを秘匿するために三菱重工が買収したという。その後、戦後の昭和32年長崎市に寄贈され今に至ります。

んで、造船所の第2ドックそばに休憩施設として建てられていたという旧三菱第2ドックハウスもグラバー園に移築されております。

ここのテラスからは150トンハンマーヘッドクレーンや、第2船台のガントリークレーンも見える……んですが、なんか視界が曇ってるな。

旧リンガー住宅前から見るとこんな感じ。確かに、これなら武蔵建造時にはモロ見えだったコトでしょう。

ついでに、園内にある「自由亭」の喫茶室で一息。水出しコーヒー美味しかったです。

トルコライスを食う

そして晩飯はどうするべ、といったところ、荒川氏の強い要望にとりトルコライスに決定。ていうか私、無知なコトにトルコライスってどんなモノか全然知らなかったんですけど。

トルコライスまたはトルコ風ライスは、日本の洋食屋等で供される、一皿に盛りつけられた洋風盛り合わせ料理の一種。主に長崎市を中心とした長崎県に多く、大阪市、神戸市にも「トルコライス」という名称の料理が存在し、それぞれ内容は異なる(なお、九州では長崎県以外ではほとんど見られない)。最も一般的なのはピラフ(ドライカレー風も有)、ナポリタンスパゲティ、ドミグラスソースのかかった豚カツというものが一般的な組み合わせである。盛り付けとしてはピラフとスパゲティとサラダを皿に盛り、その上からカツカレーのごとく豚カツをのせる。

via: トルコライス - Wikipedia

なんですかこのお子様の夢が詰まったような一品は。ていうか、どこがトルコなんですか。そして精神年齢が低いコトで定評のある私と荒川氏、無論こういう料理は大好物であります。

で、荒川氏がリサーチした結果、長崎トルコライスの老舗という「ツル茶ん」というお店に行ってみました。

メニューを見ると、トルコライスだけでも妙にバリエーションが豊富。荒川氏はスタンダードなトルコライスを注文し、私はなんとなく名前のインパクトだけで「トルコ三四郎」というのを頼んでみました。トルコだけでも意味不明なのに、そこに西郷四郎姿三四郎のモデル)まで加わるとは。もはやわけがわからない。

「トルコ三四郎」はバターライスとクリームソースのパスタの上にステーキを乗せた一品。

ぱっと見どうなのよコレ、って気もしますが、食べてみるとこれがなかなか悪くない。かなりジャンクな感じのする食べ物ではありますが、いやこういうのイイですね。好物です。

夜景を見てみる

トルコライスを食ったあとはホテルにチェックインしたんですが、連休中の長崎はかなり混み合っているようで、ホテルも市街からやや外れた場所。ただ、そこから長崎を一望できる稲佐山が割と近かったもんだから、試しにロープウェイに乗って夜景を見に行ってみるコトに。ロープウェイかなり混んでて、乗るのに30分くらい待ちましたけど。

まー夜景と言うとカップルが湧くモノと相場が決まっておりますが、山頂の駅から展望台に続く道もなんか怪しげなライトアップがされており、荒川氏は「なあ、俺たち男2人でなにをやってるんだろうな?」という致命的な疑問を口にしておりましたが、気にしたら負けです。

で、展望台……なんですが、昼間すごく良い天気だったハズなのに、やっぱりなんかモヤってる。

視界がイマイチなのと、邪魔くさいんで今回三脚持ってこなかったのもあり、長時間露光ができないもんだからなんとなく寂しい夜景になっちゃいました。全体的に、そこまで光量が多いワケでもないんですね、長崎の夜景って。ただ山に囲まれているので、斜面に連なる光が近くに見えてキレイっていう。

まーやはり旅行にはコンパクトなのでもいいから三脚持って行かないとダメですかね。しかし、人が多いからあんまり三脚立てると迷惑になっちゃいそうだしなぁ……。

帰りはホテルまでタクシー使って帰ったんですが、タクシーの運転手さんに「雲が出てて視界がイマイチだったんですよ」と話をしたところ、「あー、そりゃ雲じゃなくて中国から飛んでくるPM2.5(⇒ 粒子状物質 - Wikipedia)ですよ」と。な、なんだってー!

確かに長崎って日本の中でもかなり中国に近い側にあり、気流の影響でPM2.5が流れてきやすそうではある……。

PM2.5分布予測 - 日本気象協会 tenki.jp

昼間もグラバー園から長崎港の景色が霞んで見えたのはコレなんでしょうか。天気はすごく良かったしなぁ。うーむ、PM2.5 が長崎の景色にまで影響を与えているとは……。

……続く。