大須は萌えているか?

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信長がやらかした場所ツアー ~一乗谷・金ケ崎・小谷城

※画像多めです

大洗など茨城・栃木を見て回って自宅に戻ったあと、日を改めて今度は日帰りのドライブに行った話。なんとなく走り足りない気がしたので。日帰りで行ける範囲というコトで、まずは福井県一乗谷へ行ってみました。

……しかし、天気に恵まれまくった大洗ツアーとは打って変わって、この日は雨が降ったり止んだりの変な天気。愛知県はピーカンだったんですけどね……。でもこういうとき、レインセンサー付きワイパーが便利なのはよくわかりました。

一乗谷

一乗谷っていうと数年前の有名になったCMコピーで観光に来る人が増えたという話ですが、「あまりになにもない」っていうからパーフェクトなまでになにもないのかと思ってたら、なんか復元された町並みがあるじゃないですか。

でもまー復元されているのはほんの少しで、あとは確かになにもないんですけど。

一乗谷は越前朝倉氏の拠点として100年以上に渡り栄えたとされた場所ですが、我が故郷愛知県の誇る大うつけ・織田信奈……いやさ信長がファイヤーしてしまい灰燼に帰したという歴史を持ちます。後に越前を与えられた柴田勝家は北ノ庄を本拠としたため、一乗谷は田畑に埋もれた存在に。その後昭和40年代に本格的な発掘調査が行われ、今に至るという。

有名な唐門は朝倉時代のものではなく、朝倉義景の菩提を弔うために秀吉が寄進したとされる寺院のものだそうで。現存しているのは江戸中期に再建されたもの。

高台から朝倉義景邸の遺構を見下ろすとこんな感じ。

庭園跡も残っており、中でも義景が側室の小少将のために建てたという諏訪館跡の庭園は見応えありますね。

こういう場所で、栄華を誇った当時の状況を想像するというのも確かに面白いのかも。そしてそれを問答無用で町ごと焼き払った信長さんマジパネェという話でもあるんですが。

永平寺

一乗谷のあとは、近くにある永平寺に行ってみました。今まで行ったコト無かったので。

曹洞宗大本山のひとつだけあってデカい。入り口では自動券売機があったり建物がかなり真新しかったりと完全に観光地化している雰囲気だったんですが、中に入ると歴史を感じますね。紅葉の時期に来るとすごく良さそう。

お寺の近くには有料駐車場があれこれあるんですが、たまたま駐めた駐車場がソバ屋さんのやってる駐車場だったので、そのまま昼飯はソバ食べました。結構美味かった。

永平寺から福井市街に戻る途中、一乗谷駅で九頭竜線を一枚。キハ120形。

金崎宮

続いてやってきたのが敦賀市にある金崎宮。

金ケ崎城跡の麓にある神社ですね。もちろん、あの「金ケ崎の退き口」のアレです。浅井長政の裏切りにより信長が全力で逃げたという。その後の浅井・朝倉に対する容赦の無さを考えると、このときコト相当根に持ったんでしょうね信長さん。

金ケ崎城の支城があった天筒山の展望台からの景色が素晴らしいみたいなのですが、ここではスルー。金崎宮の横から港を眺めて良しとします。

ついでに、すぐ近くにある越前国一宮である気比神宮にも参拝。

小谷城

その後足を運んだのが、滋賀県長浜市小谷城跡。浅井氏の居城であり、滅亡した場所ですね。

山城として有名なところなので、ここ登るために体力温存しておきたかったんですよ。過去、長野の砥石城でエラい目に遭ってるんでね。それでも、途中までは舗装路が続いてて余裕っぽかったんですが。

途中からすっかり山道になりました。しかも結構距離長い。麓から40分くらい歩きっぱなしでした。

しかもまた晴れたかと思ったらいきなり雨が降るような天気が続いてたりして。晴れてるときは傘が杖代わりになりましたけど。あと虹が出てました。

登るにつれ風景もかなり良い感じに。正面に見える山が、小谷攻めのために信長が砦を築いたという虎御前山。

そしてようやく本丸跡に到着。疲れた。正確に言うと、この石垣の上がそうなんですけど。ここで力尽きて引き返しました。

余談なんですが、途中「美人が見ている!ゴミ捨て注意!」という看板があったりして。浅井三姉妹と引っかけてのコピーなんでしょうけど、美人が見てなければゴミ捨ててもいいんですかね?

あと、駐車場付近には「黒田家発祥の地」の幟も。そういや来年は大河で官兵衛ちゃんやるんでしたっけ。長浜は大河ネタが続いて景気よさそうですね(?)。

一乗谷では「朝倉氏を大河ドラマに」みたいな横断幕がありましたが、その日は来るんでしょうか。

姉川古戦場

最後にちょろっと姉川古戦場へ。

時系列としては

  1. 1570年4月に金ケ崎の退き口
  2. 6月に体制を立て直した信長・家康連合軍と浅井・朝倉連合軍がここで交戦、浅井・朝倉の敗北
  3. 信長、小谷攻めを続ける
  4. 1573年8月、浅井の援軍に来た朝倉義景が信長にボコボコにされ、撤退したものの追撃してきた織田軍に一乗谷を焼き払われその後義景自害、朝倉氏滅亡
  5. 小谷城まで戻ってきた信長、総攻撃を命じ小谷城落城、浅井長政も自害し浅井氏滅亡

……という感じで。

そういう意味ではこの姉川の戦いは信長の逆襲の狼煙が上げられた場所でもあったワケですね。今となってはただの川ですが、合戦当時は川が血で真っ赤に染まったそうな(⇒ 姉川古戦場(滋賀県長浜市):滋賀県観光情報)。

信長・秀吉・家康は愛知の人間にしてみれば「三英傑」ですが、浅井・朝倉のお膝元からすると信長ってどういう存在なんですかねぇ……。

次回滋賀県方面に来るときはアレですね、以前歴女が遭難したっていう佐和山城跡も行ってみたいですね。