大須は萌えているか?

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「女城主伝説」の岩村城と桜見物

先週末は父の命日だったのでかーちゃんと共に墓参したのですが、相変わらず100名城巡りに精を出しているかーちゃんが「ついでにこのまま岩村城まで乗せていけ」などと宣い始めまして。「岩村城って山城だっけ?場所どこ?」と尋ねると、「岐阜県恵那市(名古屋から70kmくらい)」と。墓参のついでに行くような距離とは思えませんが、とりあえずドライブがてら出掛けてきました。

岩村城

岩村城は中央道の恵那ICを降りてから少し山の方へ行ったところにあり、本丸が海抜717mという高所にあることから日本3大山城のひとつに数えられてるとかで(あとは奈良の高取城と、岡山の備中松山城)。ただ、クルマで本丸のすぐ近くまで登っていけるので、拍子抜けするくらいあっさりと辿り着けてしまいます。モータリゼーション万歳。

駐車場の辺りは出丸があった場所で、そこから石垣沿いに進んでいくと二ノ丸・本丸に出ます。建物は何も残っていませんが、かなり立派な石垣が残されており雰囲気ありますね。

二ノ丸から埋門を通って本丸へと抜けるんですが、入り口が狭く、なおかつシケインみたいになってるもんだから非常に攻め込みにくそうです。実戦的。

岩村城のルーツは鎌倉時代まで遡るようですが、本格的な山城となったのは戦国時代みたいですね。岐阜と長野の県境にほど近い場所にあるこの城、戦国時代だと織田と武田がにらみ合うところですもんね、そりゃあ守りも堅くなりますよね。

本丸跡は割とだだっ広い。

本丸から東曲輪の方面。遺構がかなり残っているもんだから、城の規模感までがハッキリ分かっていいですね、ここ。ていうか、かなり大がかりな山城ですね?

東曲輪から降りてったところにあるのが、六段壁と呼ばれる階段状の石垣。

なんでこんな階段状になってるのか不思議だったんですが、説明書きによると元々は1つの高石垣だったのが、崩落を防ぐために前面に補強用の石垣を足していったコトによりこうなったんだそうな。それはそれでなんか間抜けな話にも聞こえますが……。

しかし、明治に廃城となるまで戦国・江戸時代を生き抜いてきた城というだけあって、しっかりとした遺構が残っているし、山の上にそびえ立つ無数の石垣は神秘的な雰囲気がして良いですね。

岩村城鎌倉時代の遠山景朝以降代々遠山氏が城主を務め、戦国時代には当時の城主・遠山景任が織田信長の叔母(おつやの方)と結婚し、武田信玄と対峙するコトに。ところが景任は30代半ばで病死してしまい、なおかつ子供が居なかったためおつやの方が女城主として城を切り盛りするコトになったそうで。信長の五男(坊丸)を養子に迎えたりもしたようですが、当時6歳くらいだったというコトでそりゃどうしようもない。

ところが女城主となったおつやの方、その後武田の軍勢を率いる秋山信友の求めに応じ、城を明け渡し信友と結婚しちゃったという。織田家の人間があっさり武田に寝返るとか、そりゃ余程信友がイケメンだったのか……とか思っちゃったりもしますが、岩村の観光情報のページなんかを見ると、こんなコトが書いてあったりします。

いかにして攻めても落城しない岩村城をどうしたら自軍のものにすることができるのかと秋山は様々な策を練りました。

この間、城は落ちずとも、城下町(この頃の城下町は現在とは異なり、全く異なる場所にありました。現在の富田地区。)は武田軍により大きな被害を受け、このことに女城主は心を痛めていました。信友は数ある策のなかから、ひとつの策略を密使に託し、岩村城中に送り込みました。この時、秋山は驚くべき提案を女城主にしたのです。 “信友と結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか” と。
女城主は、苦渋の決断を下しました。領民と家臣を守ることを条件に、この最も屈辱的な政略結婚の道を選んだのです。こうして岩村城無血開城されました。

via: 岩村城跡 | 城下町ホットいわむら

皆を守るために、敢えて屈辱を受け入れたというお話。ただ、その後武田信玄が没し、長篠の戦いで勝利した信長は織田信忠を総大将として岩村攻めを敢行。持久戦の末、助命を条件に秋山信友を降伏させておいて、「命は助けると約束したな。あれは嘘だ」という信長さんマジパネェ展開でおつやの方共々逆さ磔で処刑されるというバッドエンド。

城から脱出した武田の残存兵も、織田の軍勢の追撃により概ね皆殺しにされてしまったようで、毎度のことながら織田のEvilっぷりにはドン引きですがそこにシビれる憧れるぅ。

歴史資料館の桜と農村風景

城跡を見物したあとは、麓にある歴史資料館へ。かーちゃんが集めている100名城のスタンプはここにあるので、ある意味こちらの方がメインなのかもしれません。私は特に資料館の中までは入ってないんですが、桜が結構キレイに咲いていたので写真撮ったりして。

愛知県ではもうかなり散ってしまいましたが、岐阜の山の方だと今が見頃くらいなんですかね。

ついでに周辺でなんか面白そうな場所が無いか検索してみたら、近くに「農村風景日本一」を謳う展望所があったので寄ってみるコトに。

「農村景観日本一」の称号は、平成元年に全国の環境問題を専門に研究している、京都教育大学・木村教授から頂き、マスコミが一斉に報道し一躍脚光を浴びたものです。ここに佇めば、春夏秋冬・朝な夕な・日本が戦後失ってしまった「心のふるさと」、そして古代・仁徳天皇が見た“カマドの煙”の景色をも彷彿と感じとることが出来ます。

via: 農村風景 | 城下町ホットいわむら

平成元年……といってももう四半世紀前なんですよね。当時そんなに話題になったんでしょうか。少なくとも私は初めて聞きました。場所は資料館から国道363号線沿いにちょっと行ったところなんですけど、なんか目立つ看板が出ているのですぐわかります。

で、これが日本一の農村風景!

……日本一?かなぁ?うーん?天気がイマイチなのを差し引いても、どうなんでしょうかこれは。平成元年当時、どれくらい話題になったのかが気になる……。

阿木川ダムの桜

日本一なのかどうかよくわからない農村風景を見たあと帰路に就いたんですが、帰りがけに恵那の市街地手前にある阿木川ダムに寄ってみました。行きがけのときに桜が結構キレイそうだったので、ちょっと気になったんですよ。すると、これがなかなかのもので。

地元じゃ結構有名なのか、駐車場には結構たくさんのクルマが駐められていましたが、それでも都心部の桜の名所に比べれば全然人が少なく、ゆっくり桜見物できます。

芝生もあり、ビニールシートを広げて弁当を食う家族連れもちらほら。そういや今年はマトモに花見なんてしてなかったので、ある意味ちょうど良かったです。メジャーな花見スポットよりも、ドライブがてらこういうのんびりできる場所の方が落ち着けて良いですねぇ。

岩村城も雰囲気良かったし、またドライブがてら桜の時期に来るのも悪く無さそう。農村日本一展望所は名前負けしてる感が否めませんが、でも道中の田園風景はなかなかのモノだったし、もうちょっとじっくり散策してみれば画になる風景は結構ありそう。