三重県に、渡鹿野島(わたかのじま)という名前の、都市伝説めいた話がいろいろある島があります。
江戸時代、この島は船乗りたちが風が吹くまで待機する「風待ちの島」だったそうで、やがて休息する船乗りたちを相手にする把針兼(はしりがね)と呼ばれる遊女も集まるようになったんだとか。昭和になっても遊郭としての機能はそのまま維持され、「売春島」などという俗称で呼ばれるようになり、そこから様々な都市伝説めいた話が流布するに至っているみたいです(⇒ 渡鹿野島 - Wikipedia)。
んで、年末某日にその渡鹿野島にほど近い場所に実家がある知り合いのA氏(なぜか伏せ字)と話をしていたところ、「売春島」としての歴史があるコトは間違いなく、A氏の地元ではその島の存在はタブー視されていたんだとか。ただ、A氏自身好奇心からしばらく前に島を訪れてみたそうな。島の様子を見て回ったところかなり寂れてしまっており、「売春島としては壊滅寸前」という有様だったそうで。
その話を聞いて私まで好奇心をそそられてしまい、A氏の案内で渡鹿野島に行ってみるコトにしました。
島の入り口
まずは渡鹿野島に渡る船着き場へ行ったんですが、近くにある駐車場は月極か島にある宿の専用駐車場となっており、日帰りでぶらっと行く場合路駐するしかありません。かなりの田舎なので特に問題にはならないと思いますが。ちなみに、志摩スペイン村が結構近くにあります。
対岸船着き場から見た渡鹿野島↓。ホテルや旅館が並んでいるのが見えますが、皆ふつーの宿です。
船は頻繁に行き来しているので、特に時間を気にする必要はありません。しばらく待ってれば10分程度でやってきます。島と行き来する船は「渡船」と書かれた赤い旗が掲げられてるので、それに乗り込みます。渡船料は片道150円。島までは3分程度で到着します。
んで、島に到着。人気がない。
この島に関する噂として、船に乗るときに宿泊客かどうかを問いただされるだとか、船着き場にポン引きの婆さんが待ち構えているだとかってのがありますが、少なくとも私が行ったときにはそんなコト全然ありませんでした。夜はまた違うのかもしれませんけど。
島内主要部
船着き場を降りてすぐが島のメインストリート。とはいえ、クルマがなんとか1台通れる程度の道です。
主要な宿泊施設もこの近辺に固まっており、スナックやキャバレーっぽい飲み屋もちらほら。普通の飲食店もあります。
気になったのは、あちこちに歩きタバコを禁じる看板があったコト。昔それで火事でも起きたんでしょうか。
某電気ねずみっぽい何かにも「ポイステ禁止」と書かれていましたが、この電気ねずみ非常にヤバい感じで首をキメられているように見えてしまい気になって仕方有りません。
しかしここら辺、やたらこういう人形(?)めいたものがあるのはなんなんだろう。かなりの力作もありました。
島内西部
この島の船着き場及び主要部は島の南側に集中しているのですが、ここからまずは島の西部を北上してみます。狭い路地を通り抜けつつ。
この島はぐるっと徒歩で一周しても1時間半~2時間程度の小さい島で、人口は300人も居ないという話なんですが、島内には朽ちかけのアパートがたくさんあったりします。
A氏の話によると、この島で女性を斡旋してもらった場合、ホテルの部屋に呼んだりするのではなく、どこかの店で待ち合わせて、女性らが住むアパートに行って夜を過ごすそうで(一晩コース以外に短時間コースもある模様)。ちなみにA氏も実際利用したワケではなく、前回訪れたときに島の人に聞いた話。
これらのアパートはその名残……と思いきや、よく見たら中庭に洗濯物が干されていました。……えっ。
他にも、廃墟なんだかなんなんだかよく分からないアパートが目に付きます。最盛期はこれらのアパートすべてに女性が住んでいたのだとすると、結構すさまじい。
島内唯一の墓地には、「殉国英霊之碑」と書かれた石碑がありました。太平洋戦争末期、この島に海軍予科練の基地を建設する計画があったものの、その前に空爆にあったようです。
島の北西部まで行き海を見渡すと、志摩スペイン村の乗り物が少し見えたりして。
しかしこの島、海の水がすごくキレイ。夏に海水浴に来るには悪くなさそう。
島内東部
そして来た道を引き返し、島内中央部辺りにあったのが保育所……の廃墟。
最盛期にはそれなりに子供も多かったんでしょうね。それが今や保育所も潰れてしまっているとなると……。
島の北東部には、渡鹿野園地という公園があります。展望台もあったりして、結構景色がキレイ。
展望台からの眺めはこんな感じ。的矢湾の景色を一望できます。
そこから南の方まで戻ってくると、渡鹿野パールビーチという海水浴場も。そんなに広くはありませんが。
でもホテルの真ん前にビーチがあり、シャワー室は無料で利用可能となかなか気が利いてます。
雰囲気的には志摩スペイン村に引っかけているっぽいですね。スペイン村に来る観光客の宿泊先としての需要を見込んでいるんだろうなぁ。今からホテルにチェックインするっぽい観光客もちらほら見かけましたが、女性客や家族連れ、お年寄りなどがメインで、男同士で来ているようなのは私らだけでした。
ただ、小綺麗なホテルのすぐ隣には潰れたホテルが廃墟化してたりして、ちょいと異様な雰囲気を醸し出してました。
そして船着き場近くまで戻ってきました。ついでに、少し路地を入っていったところに八重垣神社があったので参拝してみたり。小さいですけどね。
変わりゆく島
島から帰る前に一息つこうという話になり、島内の飲食店へ。店主には男二人連れであるコトから「遊びにきたの?」と聞かれ、「いやー観光です」などとすっとぼけた会話をしつつ、島の話をざっと聞くことができました。
この島が「売春島」として最盛期を迎えていたのはバブル真っ盛りの1980年代頃までで、その当時は200人以上の女性が島に居たとのコト。大阪や名古屋の大手製造業の慰安旅行がてらやってくる団体客が多く、その頃は家族連れや老人客なんて皆無、売春目当ての男性客しか居なかった、と。まー家族には伊勢志摩観光と称して、島に渡って乱痴気騒ぎという構図でしょうね。
しかしバブル崩壊後、慰安旅行自体の数が減り、そうした団体客の需要も無くなり、衰退の一途を辿っていったとのコト。ただ、今でも「あるにはある」そうで。しかし女性の数は全部で20人程度で、ほとんどが外国人みたい。
島としてもこのままでは立ちゆかなくなるというコトで、ビーチを整備したり、個室露天風呂付きの1泊3万円するような高級旅館を建てたりして、一般の観光客を呼び込む方向にシフトしている……という状態。ふつうに「じゃらん」や「るるぶ」で出てくるし。
海がキレイで魚介類も豊富、志摩スペイン村も近くにある……というコトで条件は悪く無さそうなんですが、さすがに最盛期の規模を維持できるコトはできず、いくつかのホテルが廃業になっているという状況なんでしょうね。
島内を散策している間に、住民の方やホテルの従業員の方とすれ違うコトもありましたが、皆あいさつをしてくれて非常に雰囲気が良かったです。島の北部はそもそも人を見かけませんでしたが。
今もまだ「売春島」の残滓を見るコトはできますが、それが無くなるのも時間の問題っぽいですね。ていうか、家族やカップル向けの観光地にシフトするならば、そういうのはキレイに無くしちゃった方が良いんでしょうけど。島内の過疎化・高齢化もかなり進んでいるようなので、「真っ当な」観光産業にスパッと切り替えた方が働き手も集めやすそうな気が。
……とはいえ、昔からそれでメシを食ってきた人たちにすれば、そうも言ってられないのかもしれません。その結果が、今の状態なのかも。
この島に限らず、地方の温泉地なんかで風俗産業がそれなりに発展しているのは珍しいコトではありませんが、こういうのって全国的に衰退してるんじゃないかって気がするんですよね。そもそも団体客が減っているだろうし、旅先でオンナ買ってヒャッハー!なんてのは「草食系」とか言われてしまう今日日の価値観とかけ離れているし。
それに、ソーシャルメディアでたちまち情報が広がる現代に於いて、観光地にありがちなアコギな商売ってどんどんやりにくくなっているハズで。「観光地の風俗行ったらものすごいのが出てきた」なんて話も人づてに聞いたりしますが、それこそ今だと現地でググれば店の評判なんて一発でわかっちゃいますしね。
そんなコトを考えると、この島の有り様はまさに時代の変遷を表しているのだなぁと。他にも全国の観光地の風俗の規模を調べてみたりすると面白いのかもしれませんね。そういうのまとめた本とかあるのかな?
10年後くらいに、改めてこの島に来てみたらどうなってるだろうなぁ。廃墟やアパートも無くなって、観光の島として成り立っているのか、それとも……。
なお、私自身は風俗はおろかキャバクラみたいな店も行ったコトない「玄人童貞」であるコトを付け加えておきます。……素人?ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!
おまけ
帰りに赤福本店寄ったらどえりゃー混んでました。
なお伊勢神宮はタッチの差で参拝できなかった模様。