先日、ウルトラマンシリーズに登場する怪獣をテーマにした「怪獣酒場」なるお店が期間限定でオープンする、てな記事を見かけたんですけど、そこに書かれてた円谷プロのコメントが何気にヒドい。
かつて熱中した少年たちは居酒屋に通う年齢。「社会で世の中の複雑さを知って自分の無力さを自覚し、ウルトラ怪獣に自分を重ね合わせるのでは」と円谷プロはみている。
いやまー、確かに子供の頃はウルトラマンが大好きでお父さんとウルトラマンごっこに興じる時も怪獣役は常にお父さんに押し付けていたような人でも、大人になるとふと怪獣の魅力に気づいたりするもんです。……気づくよね?気づきましょう。
でもさ、それって「己の無力さを自覚し、それを怪獣に重ね合わせている」ワケではないでしょう。ウルトラシリーズで人気のある怪獣や異星人と言ったらどこかしら特徴や見所のあるヤツ揃いで、それはむしろ大人になるに連れ多様な価値観を身につけ、本来敵役である怪獣や異星人の魅力に気づいたと言うべきデス。
一番分かりやすいのは愛嬌があったり、どこか憎めない怪獣ね。ピグモンとか、ガヴァドンとか、シーボーズとか。これはもう単純にペット的な可愛さですね。シーボーズは外見はアレだけど、その仕草を見た途端ウルトラ怪獣屈指の愛玩動物となります。
あと、これは高い知能を持った異星人に多いですが、策略を練って勝負を挑んでくるタイプも人気ありますよね。メフィラス星人とか、メトロン星人とか、あるいはババルウ星人とか。いやまぁ冷静に考えると、小学生のガキにやたらスケールのでかい取引持ちかけたり、モロボシ・ダン(ウルトラセブン)と卓袱台挟んで歓談したり、何やってんだお前ら的なところはあるんですが、単純に正面から勝負に行かず、搦め手で撹乱させようとするその策士っぷりにシビれる憧れる。
それからとにかく強い怪獣。一度はウルトラマンを倒してしまうゼットンやベムスターとか。強さの象徴であるウルトラマンを倒してしまう怪獣が好き、というのは「無力さ」の対極にあると言えましょう。……無力さを自覚しているからこそ強さに憧れるというのはあるかもしれませんが。
あとはデザインが特徴的だったり、カッコいい怪獣。エレキングとかキングジョーとか。子供の頃は正義の味方のデザインを基準に見てしまうのでなかなか怪獣のデザインをカッコいいとは思わないんですが、大人になってからふと怪獣の造形を見ると妙にカッコよく見えたりすることありません?
あとウルトラ怪獣(ていうか異星人だけど)の代表格であるバルタン星人も、その個性的な外見と泣き声(?)ゆえに強く印象に残っている感じがしますね。あと、初回登場がウルトラマンの第2話という超序盤であるコトも大きい。20億人以上が搭乗している宇宙船を丸ごとウルトラマンに爆破されたり、2度目の搭乗ではウルトラマンの八つ裂き光輪で真っ二つにされた挙げ句スペシウム光線で爆発させられるという凄まじいオーバーキルっぷりゆえに「やられ役」のイメージも強いですが、しかしウルトラマンを翻弄する分身の術やビルを一発で粉砕する光線をぶっ放すなど、かなりの強さも併せ持ってます。弱くないです。きっと。
……と、ざっと考えてみるだけでも、怪獣が好きになる理由っていろいろあって、その負け組っぷりが自分とダブるからなんて単純な理由で括れるようなモンじゃありません。ウルトラマンは正義の味方であるがゆえに没個性にならざるを得ないところがあり、それに対し怪獣や異星人は個性が豊か。そこに色んな魅力が詰まっているのです。決してただウルトラ兄弟にやられるだけの無力な存在ではないのです。
つまり、この記事で私が主張したいのは「社畜なめんな」というコトであります。以上です。