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北陸日帰りドライブ ~日本自動車博物館がスゴイ

間が開いてしまいましたが、北陸日帰りドライブ ~高岡城・七尾城 の続き。

富山・石川まで足を運んで高岡城・七尾城を巡ったあと、石川県小松市にある日本自動車博物館に寄ってみました。いやなんか、石川県にすげー自動車博物館があるって話は聞いていたんですけど、そういや今まで立ち寄ったコトないなぁ、というコトで。

……で、実際行ってみたら、想像以上にすげー場所でした。

まず入り口脇にローレルのパトカーが。……なぜパトカー。

一瞬、まさか県警が払い下げたの?とか思っちゃいましたが、どうやら映画なんかで使われていた撮影用のパトカーみたいで。いきなりこんなのが置いてある時点で、ただの博物館では無い感じが漂ってきます。

この博物館、Wikipediaの説明によると、富山で会社経営をしていた前田彰三という人の個人コレクションが元となっているみたいなんですが、館内の収蔵台数は約500台と相当な規模を誇っています。あと面白いのが、フェラーリランボルギーニといった「いかにも」なクルマがほとんど無いコト。レーシングカーも一切無し。これは「実用車を中心に蒐集する」というポリシーがあったみたいで。

しかし、それゆえに自動車メーカーが開設しているコレクションホールのような場所とは違った趣があり、「よくもまぁこんなクルマが……」なんて車両もゴロゴロ。台数が多すぎるため、かなりざざっと流して見物したつもりだったんですが、それでも2時間くらい掛かりました。

そんなワケで、個人的に特に気になったクルマをかいつまんでご紹介。

3F

この博物館、館内は3階建てになっており、最初に3階に上って、3→2→1階の順で見物するよう言われました。ちなみに、館内の写真撮影は自由。

で、3階に上るとまずダイアナ妃が来日した際に乗ったというロールスロイスと、総金箔貼りのマツダ・カペラがお出迎え。……なんでカペラをベースにしちゃったんだろう。

ドア下には加賀友禅ぽい水鳥が描かれています。これが加賀百万石パワーか。

そして足を進めると、古い三菱車があれこれと。そして居ました三菱デボネア(初代)。

このクルマねー、子供の頃読んだ『こち亀』で登場したコトがあって、それで妙に印象に残ってます。登場以来、なんと22年間デザインが変わらなかったというコトで、「走るシーラカンス」の異名を持っていたという。

ちなみに、『こち亀』ではデボネアの宿敵(?)としてマツダ・ロードペーサーが登場するんですけど、そのロードペーサーもしっかり展示してあるっていう。ロータリーエンジンを搭載したマツダの最高級車という位置づけだったみたいですが、さっぱり売れず総生産台数は799台にしかならなかったようです。

それから、今となってはもう見るコトも無いいすゞの乗用車も充実。そしていすゞのクルマといえばピアッツァでしょう(メカドック好き)。ツインエンジンに改造したい。しかしジウジアーロによるこのデザイン、今でも通用するレベルですね。

さらにその隣には、初代アスカも。アスカってレガシィやアコードのOEMブランドってイメージしかありませんが、初代はちゃんと独自の設計で作られているんですよねぇ。

スバルのクルマもありました。中でも、2代目レオーネ・ツーリングワゴンは懐かしいなぁ。子供の頃、知り合いの家にあったんですよね、このクルマ。この系譜がレガシィへと繋がり、スバルの顔になっていくという。

マツダもサバンナやらシャンテやら展示してあったんですが、気になったのはファミリア・ロータリーセダンでしょうか。「走るというより飛ぶ感じ」のキャッチコピーで売り出された2代目ファミリア・ロータリークーペの4ドア版。

ファミリアみたいなクルマにまでロータリーぶち込むとか、今から考えると夢のような時代ですねぇ……。

外国車もアレコレ展示されてたんですが、ランチア・フルヴィアなんてのもいました。WRC移行期のランチアのラリー活動を支えた名車。

あとは80~90年代頃の日本車が固めて展示されてました。この頃はなぜかリトラクタブルライトがエライ流行ったんだよなぁ……。

カローラⅡやパルサーみたいなクラスにまでリトラクタブルが採用されてたんだよなぁ……。しかも、ここに展示されてるパルサーEXAコンバーチブルモデル。

バブル期の日本車を象徴するかのようなクルマ、オーテック・ザガートステルビオ

2代目レパードをベースに、イタリアのザガートがデザインし、日産子会社のオーテックが開発したというシロモノで、200台の限定生産だったそうな。値段は1870万円……って、アホみたいな値付けだ……。ボンネットの左右が外側に張り出しているように見えるのは何だろう、と思ったら、フェンダーミラーが埋め込まれたデザインなんですね。かなり奇抜。

ただ、このステルビオを発表したあと程なくしてバブル経済は崩壊、クルマ自体の評価もイマイチだったようであまり売れなかった模様。で、その後「ガビア」という姉妹車が登場した、と。

こちらはオーテックの名前は付いてないようで、ステルビオがコケたコトによる大人の事情が察せられます。値段もステルビオの半額以下となる880万円で販売されたようですが、それでも売上げは芳しくなかったようです。まぁ、ホントに当時の日本を象徴するかのような……。

日産だとS110シルビアもいいですね。『よろしくメカドック』には那智さんの双子の弟・那智徹の愛機として登場。あと、姉妹車のガゼールは西部警察でオープン車に改造されて石原裕次郎が乗ってましたね。

2F

かいつまんで紹介しているつもりでもかなりな量になっている気がするので、ここからさらに端折り気味で。2Fでまず目に飛び込んできたのは中国のメーカー・第一汽車の「紅旗」というクルマ。その名の通り、中国共産党の指導者用車両とし使われていたようで。

こういうクルマ、どういうルートで入手するんですかねぇ……。

それから日本初の国産四輪駆動車、九五式小型乗用車(いわゆるくろがね四起)も。陸軍の五芒星がまぶしいのであります。

……にしても、なんでこのような展示のされ方をしているのでありましょうか。

そして、ここに足を運んだ最大の理由と言っていいのがジオット・キャスピタ

1989年に造られたこのクルマ、国産レーシングコンストラクター童夢がボディ製作を担当し、スバルとモトーリ・モデルニが共同開発した水平対向12気筒エンジンを搭載するという、スバルの水平対向好きならヨダレが止まらないクルマ。

外観も、ガルウイングのドアに昇降式のドアミラーと、かつての童夢-零を彷彿とさせる「未来のスーパーカー」然としたデザイン。これはそそる。めっちゃ見づらそうだけど。

しかし、この1号車が製造されたあと、スバルはなぜかこの水平対向12気筒エンジンを引っさげてF1に参戦、結果として壊滅的に遅いという現実を突きつけられてしまい、モトーリ・モデルニとの提携を解消してジオットへのエンジン供給も無かったコトに。

そこでやむを得ず、ジャッドV10エンジンを搭載した2号車を造ってはみたものの、既にバブルが崩壊しており、こんなクルマが売れる時代でも無くなってしまっていたと。そのままプロジェクト自体がお蔵入りとなってしまいました。つまり、キャスピタ自体2台しか造られておらず、しかも水平対向12気筒エンジンを搭載したのはこの1台のみ。2号車はそのまま童夢に保管されているようです。

このクルマ、雑誌『Racing on』2009年4月号「幻のF1エンジン」特集で紹介されており、この日本自動車博物館に展示されてるコトを知ったんですよね。それでそのうち見に行きたいなぁ……なんて考えているうちに、6年も経過してしまっていたようです。

あと、2階には歴代スカイラインも展示されていたんですが、ハコスカとケンメリが残念ながらGT-Rでは無かったり、R34がなぜかトミーカイラ25Rだったりしたのが少々謎でした。

1F

この博物館、実用車を蒐集していたというだけあってトラックなんかも展示してあるんですが、なんでロンドンバスまであるんだろう……。

その奥にはピッカピカのメルセデス・ベンツ・300SLが。このクルマは時代を超えた格好良さがありますね。

1階にはかなり古いクルマが多く展示してありまして、フォードT型まであったりします。

さらには、日本に一番最初に輸入されたとも言われる蒸気自動車として、ロコモービルなんてモノが。説明書きによると、明治34年製だそうですが。

あと、トヨペット・スーパー、トヨペット・マスターから歴代クラウンまでがまとめて展示してあるのは壮観。トヨタ博物館ならまだしも、メーカー関係無い博物館でこれはスゴイなぁ……。

さらには、トヨタ初の乗用車・トヨダ・AA型の姉妹車となるAB型の陸軍仕様車まで。塗装がなんだか得も言われぬ状態になっているのはご愛敬でしょうか。

そんなこんなで

……以上、駆け足でのご紹介でした。とにかく想像を超えるボリュームなので、古いクルマに多少なりとも興味があれば間違い無く満足できるんじゃないでしょうか。ただ、逆に言うとボリュームがありすぎて、だんだん訳が分からなくなりますが。

館内にクルマが密集しているので、1台1台をいろんな角度からじっくり眺めるというコトも難しいですね。しかし、それでも納得せざるを得ない物量ではあります。これだけ多種多様なメーカー・年代・車種を横断的に見られる場所は、日本中探してもここしか無いでしょう。

一番惜しいのは、ここが金沢からも微妙に離れている、高速のインター下りてからも中途半端に遠いという、何かのついでにフラッと立ち寄れるロケーションでは無いコトですかね。

 

それでも、来た価値は十分過ぎるほどありました。もう1回来てもいいくらい。