大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

新年早々、奈良で神仏習合ツアー

正月休みは概ね家でウダウダ過ごしてたんですが、まったくどこにも行かないのもアレなので、せっかくの正月ですし如何にも日本ぽいところに出掛けてみました。そんなワケで京都駅。

……から地下鉄に乗って、

奈良。

京都の地下鉄って近鉄に乗り入れて奈良まで行くヤツがあるんですねえ。知らなかった。なんで奈良に来たかというと、そういえば奈良公園の辺りって久しく行った記憶が無いな、と思ったからです以上。たぶん前回訪れたのは、……明確に思い出せないくらい昔です。

興福寺

近鉄奈良駅を降りてまず立ち寄ったのが興福寺。この日、風はあまり無くて助かったんですが、天気がイマイチだった……。

藤原京にあった厩坂寺を、平城京遷都に際し藤原不比等がこの地に移したというお寺。てことは創建が710年ってコトで、もう1300年以上昔の話になるんですね。奈良の歴史はパない。藤原氏の氏寺として強大な権勢をを誇り、平安末期には比叡山延暦寺と並び強大な僧兵を抱え「南都北嶺」と称されたという、南斗聖拳の使い手が居ても不思議じゃなさそうなお寺。

寺の中心的な建物だった中金堂は現在再建工事中、2018年内に完成予定らしい。

東金堂は室町時代に再建されたものが残っており、国宝。せっかくなので、拝観料払って中も見物しました(中は撮影禁止)。本尊の薬師如来像やら日光・月光菩薩像やらが安置されてます。

それから、リニューアルオープンしたばかりという国宝館も見物。こちらも中は撮影禁止。

この国宝館は名前の通り、展示物は国宝級の仏像目白押し。特に、阿修羅像を含む八部衆像と、高さ5メートルを超える千手観音像は圧巻。にしても、八部衆の面々を見ていると、それぞれ妙にキャラが立ってる顔立ちをしており、その中で阿修羅だけが妙にイケメンで主人公オーラスゴいのなんなんでしょうね。

国宝館を見物したあとはもう少し境内をぶらぶら。南西の隅っこにひっそりと建っている三重塔、これ興福寺に現存する最古の建物だそうな(鎌倉時代初期)。

春日大社

興福寺を出たあとは、ほぼ隣接している春日大社へ。

こちらもやはり藤原氏絡みの神社で、藤原氏氏神であるタケミカヅチノミコトを始めとする四柱の神様を祀ってます。興福寺とは基本的にセットの関係ですね(勢力の大きい興福寺が春日社を飲み込んだ格好 ⇒ 明治以降神仏分離して今の形に)。関東の鹿島・香取の神が藤原氏氏神となったいきさつがようわからんのですが。

それはさておき、春日大社の一の鳥居は興福寺のすぐ近くにあるんですが、そこからの参道が長いこと長いこと。

ただ、参道のあちこちに鹿せんべい目当ての鹿たちがスタンバっているため、飽きないといえば飽きない。

にしても参道、石灯籠がとても多い。

一の鳥居から1.2kmくらい歩いて、ようやく二の鳥居に到着。

ますますフリーダムになっていく鹿。神の使いだからね、仕方無いね。

少し石段を登って、ようやく春日大社の南門に到着。

境内に入ると、幣殿・舞殿の奥、中門の手前に臨時の賽銭箱が設置されており、そこで参拝する形になってました。

この奥に本殿があるハズですが、ここからだとチラリとも見えないですねえ……。しかし、思いの外境内が狭い感じしました。昔一度は来ているハズなんだけど……こんな感じだったっけ?

東大寺

そして春日大社からも少し歩いて、これまたすぐ近くの東大寺へ。

春日大社に比べて、一気に参拝客の外国人比率が跳ねあがりました。さすがのネームバリュー。見た感じ国も様々で、欧米・中国・韓国といろんな言葉が飛び交う中、拝観のチケットを売る窓口の人はどんだけのマルチリンガルっぷりを要求されるんでしょうか。

久しぶりに見る大仏殿(金堂)、デカい。大仏を見る前に、この建物のデカさに圧倒されちゃうんですよね。

大仏殿の真ん前にある金銅八角燈籠は東大寺創建間もない頃に製作されたモノと推定されており、国宝指定もされているシロモノなんですが、大仏殿のインパクトが強すぎて皆わりとスルーしちゃうっていう。

そして大仏。やはり圧倒されるなぁ……。

ついでに、大仏殿のすぐ東にある手向山八幡宮にも参拝。

八幡宮の元締めである宇佐八幡から初めて分社されたという社であり、東大寺の守護神という位置づけでもあるようで。今では全国に無数に存在する、八幡社のチェーン店第一号(?)。神と仏の違いもさることながら、九州の宇佐八幡が奈良の東大寺と密接な関係を持つようになったきっかけが気になるところです。「八幡神の託宣」により、宇佐側から大仏の造営に協力を申し出たという流れみたいなんですが……。

うがった見方をすると、当時の一大国家事業であった大仏造営に絡んで積極的に仏教と習合していくコトで、八幡神の売り込みをかけた……なんていう風にも見えちゃうんですけど。

手向山八幡宮のすぐ北隣には、東大寺の三月堂と二月堂が。ここは今まで来たコト無かった気がする。

三月堂は拝観料を払うと中の仏像も見られるんですが、時間が段々押してきていたのでパスしてしまいました。奈良時代の仏像がてんこ盛りみたいなので、見ておけば良かった気も……。

二月堂の本尊は秘仏となっており見るコトはできないんですが、高い場所にあるので眺めが良いです。

宇治 平等院

二月堂まで見たあとは、JRの奈良駅までぶらぶら歩き、電車で京都へ戻る……前に宇治で途中下車。せっかくだから、平等院も見てみようかなと。ここも昔行った記憶はあるんですが、もういつだったか思い出せないくらい昔の話なので。その平等院への道すがら、どこかで見たような「飛び出し女子高生」が……。

うあーそうか、宇治つったら『響け!ユーフォニアム』の舞台だった。元気があれば聖地巡りなどして、「おまつりトライアングル」で久美子と麗奈が登ってた大吉山にも登ってみたりしたかったんですが、奈良でかなり歩き疲れた&だんだん日が傾いてきてたので断念。

そんなワケでまっすぐ参道を歩いて平等院へ行ったんですが、15時くらいでもかなり混雑しててびっくり。あと、今って通常の拝観料+境内で別途300円支払うコトで鳳凰堂の内部も見せて貰えるんですね。20分毎の入れ替えで、毎回50名ずつ(ガイドさんによる説明付き)。せっかくなので内部拝観の受付所に行ってみると、「45分待ちですがよろしいですか?」と言われたりしたものの、それくらいなら時間潰せるやろと待つコトにしました。

で、待ち時間に鳳凰堂を外から眺める。

平等院藤原頼通が、父・道長から譲り受けた別荘を寺に改めたもので……ってなんか今回藤原氏尽くしやな。本来の意味でマッポーめいた時代に顕現したニルヴァーナ的アトモスフィアを漂わせているのがこの鳳凰堂であり、実際スゴイ。……いやしかし、ホントにシンメトリーで美しい造形ですよねぇ。

東大寺の大仏殿では「でかっ!」みたいなコト言ってる人が結構居たのに対し、ここでは「思ってたのより小さっ!」みたいなコト言ってる人が結構居ましたね。確かに、10円玉で見ると南北の翼廊って人が入れる大きさなのかと思いきや、実際はほぼ飾りといっていい大きさですし……。

拝観料には「鳳翔館」というミュージアムの入館料も含まれており、鳳凰堂中堂から移された雲中供養菩薩像(全52躯のうちの半分)やら、オリジナルの鳳凰像やら、めちゃくちゃ細かい意匠が凝らされている梵鐘やら、ここも国宝のオンパレード。ここ見物してたら、わりとすぐに45分経っちゃいました。

鳳凰堂の内部もやっぱり撮影禁止なんですけど、中に安置されてる阿弥陀如来坐像は木造なのに、金属製かと思えるような精緻な作り。それを取り囲むように木造雲中供養菩薩像(半分レプリカ、半分本物)が壁一面に配置されており、また扉や壁面には来迎図も描かれ、これ色がくっきり残ってた時にはものすんごいきらびやかな空間だったであろうコトは想像できます。これが藤原氏パワーか。この空間が見られただけでも、宇治に寄った甲斐はありましたね。

そうこうしている間に、どんどん日が傾いてきたのでぼちぼち撤収。

宇治から京都の間には伏見稲荷もあるんですが、さすがにもう寄り道するだけの時間も体力もありませんでした。しかし、稲荷駅からはかなりたくさんの人が乗ってきて、伏見稲荷の人気っぷりを実感。

そんなこんなで、この1日だけでかなりの神と仏にお参りできたので、これでもう今年の厄はどこかに吹き飛んだんじゃないでしょうか(希望的観測)。今でこそ寺と神社はきっちり分離されてしまってますが、興福寺春日大社、あるいは東大寺と八幡社のように、神も仏もごちゃ混ぜにした感覚こそが日本の歴史なのですきっと(?)。