大須は萌えているか?

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明日香村でキトラ古墳壁画を見物&周辺をぶらぶら

先日、うちのかーちゃんが「明日香村まで連れて行け」と宣うので、ドライブがてら名阪国道をひた走ってきました。せっかくなので行きがけに大回りして新名神鈴鹿PAに寄り道して、スーパーアグリのマシンを眺めたりもしつつ。

そして到着したのは、明日香村にある「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」という施設。石室内に、高松塚古墳と似た作風の壁画が描かれていたコトで有名になったキトラ古墳に隣接している施設です。

キトラ古墳の壁画は保存のため石室から剥ぎ取られてこの施設内で保管されているそうなんですが、そのうち東側の壁に描かれている「青龍」と「寅(十二支のやつ)」が期間限定で一般公開されており、これが今回のお目当てなのでした。

『キトラ古墳壁画の公開』事務局 公式ホームページ

見学は事前申し込み制となっているんですが、そこまで応募が殺到しているワケでもないようで、行ったのが土曜日だったんですが、当日申し込みでも行けそうな感じでした(なお6月16日で公開終了)。今回が第11回目の公開というコトなので、人気も一段落している感じなのかな。

この「四神の館」、地階が入り口となっており、古墳の石室レプリカや壁画の剥ぎ取り作業などを紹介している常設展示もあります。常設展示は無料でいつでも見学可能、写真撮影もOK。

世界遺産に指定されるコトがほぼ内定している百舌・古市古墳群の中でも最大の大仙古墳とキトラ古墳を比較した図もあったんですが、同じ「古墳」というカテゴリーで括ってしまって良いのだろうか、ってくらい規模が違います。

古墳時代の初期から中期にかけて国内外への権力の誇示、王の象徴たる巨大な前方後円墳の築造がブームとなり、ヤマト王権が自分たちに服属した地方の国に対してもその築造を許可したコトで日本中に前方後円墳が姿を現し、そして「もうこれ以上こんなデカい墓いらなくね?」って流れになってダウンサイジングが進んでいった、という感じでしょうか。それにしても極端な違いだ。キトラ古墳に葬られている人も、天皇ほど身分の高い人では無かったんでしょうけど。

壁画の実物公開は時間単位でグループが区切られており、指定の時間になったら1階に上って警備員さんの説明を聞き、壁画が展示してある部屋に入室して10分経ったら退室する、という流れ。こちらはさすがに写真撮影NG。

実物を見てみると、思っていた以上に何が描かれているのかわかりません。四神の館のWEBサイトに写真が載っていますが、特に青龍は口から伸びた舌がちろっと見えるくらいで、それ以外肉眼ではぜんぜんわかりません。十二支の寅は比較的肉眼でも見えるんですが、それでも「比較的」といった感じです。「こういう図柄が描かれている」とわかった上で、目をこらすと「あーこれか」ってわかるくらいな感じ。

展示室内には、ここらへんにこういう図柄が描かれています、っていう図解が掲示されているので、それと実物の前を交互に行き来して目を凝らす、という感じになります。

壁画を見学したあと、実際のキトラ古墳も見てみたんですけど、いやホントにちっちゃいのね。整備された状態でこれだから、以前はホントにそこに古墳があるコトすらわからなかっただろうなあ……。

同じ場所に展示されていたミニチュアは、まるで小型UFOのよう……。

近所の住人は「古墳ぽいものがある」というコトは認知していたようで、高松塚古墳の壁画が発見されて話題になった際に「こっちにも似たようなのがある」と連絡があり、それがきっかけでキトラ古墳も発見されたんだそうで。この辺り、まだ公に知られていない古墳が他にもまだありそうな気もしてしまうから困ったもんです。

キトラ古墳を見たあとは、せっかく明日香まで来たのでもう少しぶらぶら。まず、キトラ古墳のすぐ近くにある高松塚古墳。こっちの方がデカく、「古墳」って感じする。

古墳のすぐ近くには壁画を展示している施設もありますが、こちらはレプリカ。ホンモノは修復作業中かと思いますが、この壁画修理作業室も年に数回公開されているんですねえ。

国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開について | 文化庁

これも興味あるっちゃあるけど……そもそも壁画の修理っていつ終わる予定なんでしたっけ?

高松塚古墳のあとは、甘樫丘近くにあった駐車場にクルマを駐め、飛鳥寺方面へ。この日は雨が降ったり止んだりな天気でしたが、この頃には少し日が差してきました。

飛鳥寺はむかーし一度来たコトがあるハズなんですが、昔すぎて「あれ?こんな場所だったっけ?」という感じで。鎌倉時代頃に作られたという蘇我入鹿首塚は、甘樫丘(蘇我氏の邸宅があったとも言われる)と飛鳥寺にちょうど挟まれるような位置に建っているんですね。

飛鳥寺は元の名を法興寺といい、建立したのは蘇我馬子。日本初の仏教寺院とされますが、オリジナルの建物は残ってません。建立当時は五重塔に3つの金堂を含む、広大な敷地を回廊で囲む立派な寺だったようですが、平城遷都の際には元興寺として奈良に移転。飛鳥の寺もそのまま存続したものの、鎌倉時代に建物の大半を焼失して衰退。今の本堂は、江戸末期に再建されたものだそう。

「飛鳥大仏」と呼ばれる本尊の釈迦如来像は建立当初からのもの(だとすると、1400年以上前の仏像だ)とされますが、火災で失われた部分も大きかったようで、大部分は後世に作り直されたものとも、いやオリジナルの部分も相当残っているとも、諸説あります。

この飛鳥大仏は写真撮影OKなんですが、それというのも鎌倉時代の火災後、江戸時代に本堂が再建されるまでは地元の人たちが掘っ立て小屋みたいな建物でかろうじてこの本尊を維持してきたそうで、長きにわたり受け継がれてきた民衆の思いを知ってもらうという意味もあるんだとか。

そして飛鳥寺から、さらに散歩がてら用水路沿いを歩いて行き、

橘寺に到着。聖徳太子が生まれた場所ともされてます。

この本堂も江戸時代に再建されたもの。ここもかつてはたくさんのお堂が建ち並ぶ大寺院だったようですが、今ではお寺の真ん前が田んぼになってたりもします。境内には、人間の二面性を表しているとされる「二面石」なんてのもあるんですが、これ言われないとどっちが「善」でどっちが「悪」かわかりません。

橘寺の道路挟んで対面には川原寺跡(現在は弘福寺というお寺が建っている)がありますが、ここも「飛鳥の四大寺」のひとつとされる大寺院だったというわりに、いつ、誰が創建したのかという史料がまったく無いという謎の寺。

位置関係的には、橘寺と対になるような関係の寺だったようにも見えるんですけどね。

あとはクルマに戻って帰路に就いたんですが、久しぶりに来てみると明日香村も良いですね。奈良市や京都みたいに観光客だらけってコトも無く雰囲気良いし、謎だらけで妄想が捗るし。……そういや『究極超人あ~る』にも、「なんだか謎ばかりでしたね」「いいのよ、それが大和路なんだから」みたいな会話がありましたねえ。

キトラ古墳の壁画も、今回見た東壁以外の部分が公開されたらまた見物に来てもいいかも知れない。